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「吉本興業」と「山口組」の物凄く根深い関係・前編

2011-09-19 19:36:44 | うんちく

この文章は「紳助事件」が起きた8月にたのサイトで書いた文章の「再録」です。「goo」では初めて書く事になります。

 

私が書こうと思っていた部分がジャーナリストの手でネット上に出て参りました。
これを読んでもらった方が分かりやすいと思いますが、「吉本興業」と「山口組」はその創設期と言うか黎明期のころからの付き合いがあるのです。

それは、100年に及ぶ物凄く長い長い、本当に長い付き合いなのです。

知れば知るほど、「吉本興業」と言うのはヤクザとツーカーの会社である・・・と言う事がわかるのです。

「暗黒社会」と本当に深い深い付き合いのある会社が、体質改善して真の意味からの「善良なる正義の悪許すまじ」の会社になっている訳が無いのです。

色々と努力はしているのですが、「宿命」の様な半ば「腐れ縁」からの脱却、真の脱却は「遠い山の彼方」の状態であります。

今回の事ではもっと「ドロドロ」の部分があったハズなのですが、一切表に出てきません。
多分、「裏」で動きがあり握り潰されているのでしょう。

少し長い話なのですが、お読み下さい。


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天下を獲った吉本興業と山口組 「100年の関係」 (メンズサイゾー)


  島田紳助の電撃引退から数日がたち、会見で語られなかった真実が次々と明らかになっている。そうした中で徐々に浮かび上がる島田と山口組系暴力団との親密な関係。だが、そもそも吉本興業と山口組には、明治期から関係があったのは歴史的事実といえる。現在、組織同士のつながりはないとは言え、100年のよしみから個人的な付き合いに発展した輩は島田ひとりだけではないだろう。そこで今回の記事では、共に天下を獲った吉本興業と山口組の因縁浅からぬ関係を紹介したい。

 明治40年頃、山口組初代組長の山口春吉は、神戸の港に沖仲士としてやってきた。沖仲士とは船舶の荷揚げ荷下ろしを行う労働者のことである。春吉は、持ち前の頑強な肉体と寡黙な人柄で人望を集め、神戸にやってきて数年後、沖仲士仲間を集めた労働者組織のリーダーとなった。これが後の山口組へと発展していくことになる。

 一方、吉本興業の出発は明治45年。吉本吉兵衛・せい夫妻の寄席経営に始まる。無名の落語家や流派に属さない漫才師を一手に引き受け、さまざまな演目を披露することから人気を集め、次々と点在する寄席を買収。起業から10年余りで、上方演芸界を掌握するほどに成長した。

 神戸山口組と吉本興業の接点は、お互いにそれぞれの地域で頭角を現して来たころになる。

 
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