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過小評価の人たち ~ソニー・スティット~ リーダー編

2013-01-12 15:22:32 | Jazz

過小評価の人たち   ~ソニー・スティット~ リーダー編
                                              By The Blueswalk
 前回も書いたが、僕はソニー・スティットがチャーリー・パーカーのそっくりさんと呼ばれたのは悪い意味ではなく、チャーリー・パーカーと同じくらいのテクニックとフィーリングを持っていると云ういい意味での捉え方をしている。違いは、パーカーがビ・バップという革新的なジャズのスタイルを創造したのに対し、スティットは後継者として生涯を通じてそのビ・バップの殻から出ることなく、いわば職人芸、名人芸を追及した人と云えるだろう。だから、この分野はスティットに任せておけ、誰もスティットにはかなわないよという狭いけれども確固としたテリトリーを持ち、それが古臭いだの、時代遅れだのと云われてもそれしか出来ないといったビ・バップ馬鹿職人なのだ。日本の伝統的な芸術や技能ではその道の大家には「人間国宝」などという称号を与えられるが、まさにソニー・スティットはビ・バップの国宝的名人なのである。
 ところで、ソニー・スティットがこの過小評価というテーマに相応しいのかということを皆さんの中には疑問に思われているのではないかと危惧しているし、逆に過大評価じゃないのかと言われそうな心配もあるのでそのことについて一言述べておきたい。1940年代前半に演奏活動を開始し、1982年に亡くなるまでほぼコンスタントにレコーディングの機会を得て、生涯に100枚を越す作品を出している。そして、駄作といわれるものがほとんどないという状況にもかかわらず、テナー・サックスとアルト・サックスの二刀流ということもあって、どっちつかずのイメージと温厚すぎる性格も相まって、人気という面であまり評価の対象にならなかったというのが現実ではないだろうか。以下に挙げる代表作を見てもその領域の一流どころといわれる奏者に引けをとっていることは決してなく、むしろ同業者(サックス奏者)からは畏敬の念を持って接しられていることを我々日本人は知るべきではないだろうか。


 初期の大傑作として、この『スティット~パウエル~J.J』は1949年当時のビ・バップ作品を代表する1枚である。ここではテナーを吹いている。面白いのは、アルトの場合はチャーリー・パーカーゆずりのスピード豊かで歯切れの良い鋭い音色を聴かせるのに、テナーの場合はレスター・ヤング張りのふくよかで、流れるようなフレージングを特徴としていることである。そして、バド・パウエルのピアノもここでの聴き物である。このアルバムは人気的にはバド・パウエルの絶頂期の演奏が聴けることの方が評価されているだろう。1949~1950は、バド・パウエルとしては『ジャズ・ジャイアンツ』と『アメイジング・バド・パウエル』の間の録音なのだから悪かろうはずがない。その凄まじい神がかったパウエルを向こうにまわして一歩も引けをとらずのがっぷり四つの横綱相撲だ。1曲目「All God’s Children Got Rhythm」、いきなり飛び出すパウエルのピアノを聴くだけでもゾクゾクものだが、それに負けないイマジネーション豊かなフレージングで対抗している。J.Jジョンソンとのセッションも5曲ほど入っているが、前者が余りもすばらしいだけに無くても良いほどだ。


 『ペン・オブ・クインシー』は1955年の作品。これも名盤の誉れ高い作品である。クインシー・ジョーンズがアレンジしていると云うので敬遠されがちであるが、オーケストラといってもストリングスが入っている訳でもなく、10人のジャズ・バンドであり、中規模編成のバンドをバックにしたスティットのアルト・ワン・ホーンの作品といっても差し支えない。歌心豊かで悠然としたスティット節が全面に渡って聴かれる。こういう場面で一人主役となることの楽しさ、嬉しさが伝わってくるような吹きっぷりである。クインシー・ジョーンズのアレンジもスティットのソロを主眼に置いているので、バックの演奏はバラエティに富みながらも、小賢しいところがなくスマートだ。「My Funny Valentine」を聴けば、チャーリー・パーカーとの違いは歴然としている。エモーション一本で浪々とバラードを吹き切るこの技はスティット独自の世界だ。前述の作品がどちらかというとバド・パウエルの演奏の方に耳が行ってしまうのに比べ、ここでのスティットの演奏を彼の最高傑作と評価する人も多いのもわかる。


 『ウィズ・ザ・ニュー・ヨーカーズ』は1957年、ハンク・ジョーンズのピアノ・トリオをバックにしたお洒落な作品。ジャケット写真からも今までになく楽しんでいるという雰囲気が伝わってくる。この時期、つまり1955年から1960年ぐらいまでが初期のスティットの絶好調期で立て続けに佳作を発表しているのだが、これはチャーリー・パーカーの死(1955/3/15)と無縁ではありえない。ライバルというか目標としていた先輩の死でこれまで悶々としていた気持ちが一気に吹っ切れて創造意欲が湧き上がってきたのではないだろうか。バド・パウエルとハンク・ジョーンズのバックのリズム・セクションが異なることでこんなにも違うのかと思われるほどリラックスし、伸び伸びしたスティットのアルトが冴え渡る。もちろんハンク・ジョーンズの小気味良いピアノに助けられている部分も多いのだが、前『ペン・オブ・クインシー』で発揮された唄心豊かなバラード演奏はここでも健在で、ここにニュー・ヨークのラウンジでしか聴けない一流ジャズの醍醐味を味わうことが出来る。聴きやすいという観点から判定するとこの作品が最も一般的に受け入れられやすいのではないだろうか。


 『スティット・プレイズ・バード』は1963年の作品。前月のレポートでパーカーの亡くなった直後にこのアルバムを録音したと書いたのは僕の記憶違いでした。この作品こそ、チャーリー・パーカーの呪縛から吹っ切れたスティットがパーカーと対峙し、その違いを見せつけ、それを世に問うたパーカー・トリビュート作品である。全11曲中10曲はパーカー作曲、他1曲はパーカーの演奏で馴染み深い曲なのだから、おのずと対比せざるを得ないし、その違いを認識せざるを得ない。そういう観点から聴くと、やっぱり似ているなあと思うのだが、一番分かり易い違いは、音の出だしがパーカーだと、瞬間的にパッと出て歯切れが良いのに対し、スティットは時間を掛けてスゥーと出て流麗な感じといった表現が当てはまりそう。違いを際立たせるのにピアノのジョン・ルイスとギターのジム・ホールの参加も一役買っている。だから、パーカーをいっぱい持っているからこの作品は要らないということにはならない、スティット・ファンは必ず持っていなければならない作品なのだ。


 『チューン・アップ』は1972年の作品で、1950年代の全盛期を過ぎて、再び1970年代で2度目のピークを迎えるきっかけとなった作品である。選曲はジャズ・スタンダード中心であるが、こういったバップ曲にはうってつけの盟友バリー・ハリスに勝るピアノの共演者はいないだろう。ここでは曲によってアルトとテナーを持ち替えており、アルトはパーカー流、テナーはヤング流というのはいつもどおりで変わり映えしないという印象があるかもしれないが、5曲目のオリジナル曲?「Blues For PREZ And BIRD」のタイトルがスティットの挑戦意欲が未だに衰えていないことを物語っている。スティットにとって生涯、レスター・ヤング(PREZ)とチャーリー・パーカー(BIRD)は目標であり、ライバルであったのだ。ただ、今日に至ってはオールドスタイルの感が漂ってしまうのはしかたがないか。



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