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The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
ときたまロックとクラシックも
 
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名盤になりそこねた一枚 Motion / Lee Konitz

2013-03-11 17:11:58 | 変態ベース

~ 名盤になりそこねた一枚     Motion /  Lee Konitz
                                             変態ベース
 京都の木屋町通りに呼人(よびと)という店があった。雑居ビルの2階にあったその店は、殆んど人目に付かない。昼はジャズ喫茶、夜はスナック。知る人ぞ知るといったお店で、ジャズ通にも殆んど認知されていなかったように思う。私の友人が、昼のジャズタイムにその店でアルバイトをやっていたのだが、たいてい客は入っていなかった。そんな訳でいつも昼間は私達、つまり軽音楽部の連中の貸し切り状態。コーヒーは只、好きなレコードを大きな音で、かけたい放題、聴きたい放題。学生のやることだから、遠慮を知らない節度をわきまえない。思い返せば汗顔ものだが、幸せな時代だった。
そんなある日、リー・コニッツの『Motion』が店でかかったことがあった。それ迄このアルバムについて全く知識がなかった(というよりリー・コニッツその人を、あまり聴いたことがなかったと言うべきか)。その時友人と交わした会話(論争というほどのものではなかったが)は、このアルバムの演奏方法についてだった。アルバムには有名なスタンダードナンバーが何曲か取り上げられている。そのいくつかは、テーマ部分は演奏されない。つまり、いきなりアドリブが始まり、そのまま終わってしまうのだ。
「これでは一体何の曲をやっているのか解からない。」
「いや、ジャズにとってアドリブこそ生命であって、アドリブ・インプロヴィゼーションが充実していれば、テーマはどうだっていいんじゃないか。」
「そもそもジャズにとってテーマって何?」 「テーマは必要なのか?」
そんな結論が見えそうにもないことを、夜を通して語り合ったのである。はたから見ればばかばかしいが、幸せな時代だった。

 ヴァーヴのコニッツと言えば、藤田さんご推奨の『Very Cool』(57年5月5日)が真っ先に思い浮かぶ。音のハリやイマジネーションの豊富さ。リー・コニッツというミュージシャンのユニークさが凝縮された素晴らしいアルバムだ。ドン・フェラーラ(tp)、サル・モスカ(p)、ピーター・インド(b)、シャドウ・ウィルソン(ds)。知名度という点でサイドメンは少し地味な感じもするが腕前は確かだ。トリスターノ楽派のつわものが勢ぞろいしたと言っても過言ではない。ウィットに富んだ会話をご堪能頂けることと思う。実にセンシティヴな作品だ。コニッツというミュージシャン(トリスターノ楽派の人はおおむねそうだが)はひねくれているというか、フレーズをリズム通り素直に吹かない。弱起(1拍目から入らない)を多用し、アクセントやビートを裏返したりする曲者だ。『Very Cool』は、そのトリッキーさが嫌味にならず程よく刺激的だ。聴けば聴くほどに、奥深い作品と感嘆させられる。

 その次に思い出されるのは、上記の『Motion』(61年8月)だろう。薄暗い背景に、ライトに浮かび上がったコニッツの顔が朱に染まっている。「赤のコニッツ」。私にはそういうイメージがある。編成は、サックスによるワンホーン・トリオ。ロリンズがお得意としていた楽器編成だ。ピアノのような和音楽器が抜けると、演奏に「間」が生じる。漫才で言えば、合いの手、ツッコミがいなくなった状況だろう。俄然ベーシストの役割が重要になってくる。つたないベースランニングではそれこそ「間」が持たない。本作のベーシスト、ソニー・ダラスは堅実なプレイでその大役をこなしている。しかしながら、ピアノを欠くと、演奏が解かりづらくなることも確かだ。前述の通りテーマの提示がないので、漫然と聴いているとどんな曲を演奏しているのか解からなくなる。また集中して聴かないと小節を見失うことになる。素人には勿論のこと、経験のあるリスナーにとっても聴力、スキルが試される踏み絵のようなアルバムなのだ。
『Motion』のセッションは、最初ニック・スタビュラスがドラムスを叩いていた。しかし出来栄えに満足できなかったためか、エルヴィン・ジョーンズに替えて再び収録が行われた。それが最終的にアルバムに収録されるテイクとなったのだ。後に全セッションを網羅した完全盤が発表されたが、それはCDにして3枚にものぼる膨大な量になってしまった。スタビュラスの入ったセッションもそんなに悪いとは思えない。それでも延々とセッションに重ねたのは、コニッツ自身納得行かないところがあったからだ。リスナーにとって些細なことでも、ミュージシャンには譲れないこともあるのだ。
 御存じのようにエルヴィン・ジョーンズはロリンズのヴィレッジ・ヴァンガード(サックストリオ)にも参加していた。コニッツがそのジョーンズを指名したのは、やはりあの演奏が意識の片隅にあったからではないだろうか。同世代のロリンズやコルトレーンの活躍は、大いにコニッツを刺激したと思う。この時期を境にして、コニッツの演奏は次第に変容していった。それはライバルに水を開けられまいという焦りや葛藤だったのか。それとも彼の好奇心が次の時代に吸い寄せられていたからだろうか。

 ジャズには音遊び的な実験とユーモアの精神が必要だ。リー・コニッツはいつも探究心に溢れ、ジャズの魅力を最大限に体現するミュージシャンだ。テーマをとばしていきなりアドリブに突入するパフォーマンスも、彼一流のユーモアと実験精神の表れなのかもしれない。誤解を恐れずにもの申すならば、ジャズに過大なロマンスや感傷を求めるのはお門違いと言うものだ。私はジャズから受ける感動とは、元来そのようなセンチメンタルなものとは少し中身が異なるように思う。打ち震えるような感動を求めるならば、もっと美しい旋律や叙情性豊かな詞を持つ音楽の方が適している。
それではジャズを聴いても全く感動が得られないかと言えばそんなことはない。ただ感動の種類が違うのだ。ジャズのアドリブなんて、そんなロマンティックな感情のこまやかさを表現するには遠回し過ぎるし歯痒くもある。痛快でもっと人の機知・洒落やユーモアのセンスに根ざした音楽。それがジャズの楽しみなのだ。ジャズは興奮だ。
リー・コニッツの演奏などはまさにその典型。コニッツの演奏は、ジャズと云う掴みどころのない音楽の象徴でもあるのだ。もしこのアルバムにとっつきにくい要素があり、それが本作を名盤の呼名から遠ざけたとしたら少々残念だ。しかしその解かりにくさや取っつきにくさこそが、ジャズ本来の魅力でもあるのだ。若い頃に友人と繰り広げたジャズ談義。いまだにその結論の糸口さえ見えないが、『Motion』を聴くと、あの頃のことがほろ苦く想い出されるのだ。


アーリー・エバンス その3

2013-03-09 21:36:46 | Jazz

アーリー・エバンス その3
                   The Blueswalk

 ビル・エバンスのピークはスコット・ラファロを擁したトリオでの『ポートレート・イン・ジャズ』に始まる一連の1959年以降の作品だと思われるが、その1年前のマイルス・デイビス・グループへの参加によってその萌芽がまさに開花し始めたといっても差し支えない。
 よく知られているように、ジョン・コルトレーンやレッド・ガーランドの例を持ち出すまでもなく、マイルス・デイビスは新人を発掘することに掛けてはジャズ界随一の嗅覚とセンスを持っていた。当時、マイルスはプレスティッジからコロンビアへ移籍した直後で、新しいサウンドを求めていた時期に当たる。コルトレーンを外すわけには行かないが、レッド・ガーランドやフィリー・ジョー・ジョーンズのリズム・セクションではとうに先は見えている。そこで、ここに新しいピアノ・サウンド・クリエイター候補としてビル・エバンスに白羽の矢が当てられたわけだ。その結果として、「コード進行(ハーモニー)の束縛から解放した(コード進行に囚われない)自由なアドリブ」奏法として《モード手法》が生まれたのだが、これは瓢箪から駒などといわれるような偶然の結果では決してなく、ビル・エバンスというピアニストでなければなしえなかった産物だろう。マイルス・デイビスの慧眼には恐れ入るべしだ。

 ビル・エバンスの参加した最も古いマイルス・デイビスのレコードは1958/5/17録音の『ライヴ・イン・ニューヨーク』のようだが、その10日後のスタジオ録音『1958マイルス』(1958/5/26)が最も重要だ。ジャケット・デザインは池田満寿夫氏による、1979年日本編集のレコードだが、このようなすばらしい演奏がオクラになっていたとは驚きだ。メンバーもこのレコーディング以降は黄金のカインド・オブ・ブルー・セクステット(マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ、ビル・エバンス、ポール・チェンバース、ジミー・コブ)だ。
特に1曲目の“オン・グリーン・ドルフィン・ストリート”における、ビル・エバンスの耽美的なイントロとそれに続くポール・チェンバースの思索的なベースの妙、その後のマイルス、コルトレーン、キャノンボールの各ソロ、全く非の打ち所のない演奏だ。さらに、“フラン・ダンス“、“ステラ・バイ・スターライト“、“ラヴ・フォー・セール“と続く4曲(1曲“リトル・メロネエ“は別メンバーでの1956年録音)はマイルス・デイビスの数多い演奏中トップ・クラスにあげられる。
すでにこの作品において《モード手法》への方向性がはっきりと意識されていることがわかる。『カインド・オブ・ブルー』が《モード手法》を取り入れた完成形の作品とするなら、この『1958マイルス』はその原型として高く評価すべき作品である。マイルス・デイビスのレコードで僕が最も多くターン・テーブルに載せているレコードだ。

 このあと、マイルスのグループではライヴ録音が続くが、まずは『アット・ニューポート1958』が楽しい。ライヴ録音なので、前作のようなビル・エバンスのピアニズムを鑑賞するというわけには行かないが、エバンスも意外と根性があったんだと再認識させてくれる一枚だ。レコードではマイルス・デイビス・グループ(1958/7/3録音)とセロニアス・モンク・グループ(1963/7/4録音)と全く脈絡のない2つのセッションのA、B面カップリングであった(もちろんジャケットも異なる)が、CDではコンプリートとして個々に独立させたバージョンになったので買う立場からは改善されたようだ。演奏は前作と同じメンバーだが、メンバー紹介でのビル・エバンスへの拍手が少ないのが当時を物語っている。マイルスを除いての一番人気はもちろん、キャノンボール・アダレイに決まり。1曲目のチャーリー・パーカーのビバップ曲“アー・リュー・チャ”、マイルスの急速長調のオープン・トランペット、キャノンボールの火を吹くようなアルト・サックス、コルトレーンのシーツ・オブ・サウンドを髣髴とさせるテナー・サックスに対し、ビル・エバンスがどう対峙したか、そう、音なしの構えとはこのこと、こんな奴らに付き合っていられるかとソロなし(取らせてもらえなかった?)だ。他の曲ではきっちりソロしているので、御大マイルスがいようがいまいが自分に合わない曲ではソロしないと自己主張しているようで面白い。

 『ジャズ・アット・ザ・プラザ』はプラザ・ホテルでの1958/9/9ライヴ録音。同じライヴ演奏ながら、こちらは屋内ということで落ち着いた演奏であるが、1曲目の“イフ・アイ・ワー・ア・ベル”でマイルスのトランペットがところどころでオフ・マイクになっている部分があるのが惜しい。ビル・エバンスを筆頭に全員快調に演奏しているのでなおのこと録音の不味さが本作を台無しにしている。カインド・オブ・ブルー前の黄金カルテットの記録という意味以上の価値はないので、マニアのみもっていればよいアルバムだろう。1973年発売だから、マイルスが発売を渋った結果に違いない。

 この間、ビル・エバンスのリーダー作として、『エヴリバディ・ディグズ』(1958/12/15録音)と『グリーン・ドルフィン・ストリート』(1959/1/19録音)がある。いずれもフィリー・ジョー・ジョーンズがドラムスで参加したピアノ・トリオの演奏だ。ベースは前者がサム・ジョーンズ、後者がポール・チェンバース。マイルス・グループではモードに向かって突っ走っているビル・エバンスだが自己リーダー作ではかなり楽しんでやっているという感じがする2作である。いずれもスタンダード中心で、バラードあり、心地良いスウィングするものありでハツラツとしたビル・エバンスが聴ける。演奏曲がバラエティに富み、飽きが来ない作りをしている。前者では、ピアノ・ソロの“ピース・ピース”、バラードの“テンダリー”が聴き物だろう。後者ではタイトル曲と“あなたと夜と音楽と”で美しさが際立っている。ビル・エバンスとフィリー・ジョーとが合うなんて意外と思われるかもしれないが、案外ビル・エバンスにはハードボイルド的な側面があるのでウマがあったのかもしれない。スコット・ラファロ、ポール・モチアンとのトリオ演奏と較べたら色々批評も出てくるだろうが、これはこれでかなり質の高い(ビル・エバンスに質の低いのはないけれど・・・)演奏記録である。

 さて、『カインド・オブ・ブルー』(1959/4/22録音)である。これについては僕にはあまり付け加える言葉もないのだが、やはり世紀の大傑作というしかない。ジャズファンを自称して持っていない、聴いたことがないという方はすぐ買って聴いてください。そして、1曲目の“ソー・ホワット”を聴いてください。イントロのビル・エバンスのピアノとポール・チェンバースのベースのユニゾンを聴いてください。これが、モード・ジャズです。ジャズに美的なものを求めるとするならこのレコードしかない。気を静める、気を落ち着かせる、静かにジャズに浸るといった場合にはこの上ない盤である。だが、ジャズを聴いて楽しむ場合にはたしてこのレコードを一番に推薦できるかというとはなはだ疑問が残る。実際、今回取り上げたビル・エバンス関連のレコードで見ても、僕は『1958マイルス』を一番好んで聴いているのだから。


会員募集

2013-01-16 00:10:29 | KJS_Report

2013年が明け、生活は変わらないのに政権が交代しただけで、世間は円安・株高で浮かれているようです。我々関西ジャズ・ソサエテイ(KJS)は先の見えないジャズの将来を憂いつつも、今年も地道にコツコツと裾野を広げる活動をやって生きたいと思います。

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アーリー・エバンス その2

2013-01-15 18:56:35 | Jazz

アーリー・エバンス その2
                                            By The Blueswalk

 

 年取ると物忘れが激しくなって困る。去年の5月にアップすべき記事を今頃アップです。


 ビル・エバンスが初リーダー・アルバム『ニュー・ジャズ・コンセプション』を1956/9/27に録音し、世に“新しいジャズの概念”を問うた訳であるが、その反応はいまいちだった。なぜか、時代が早すぎたというしかないだろう。まだ、大半のジャズ・ファンはハード・バップやウエスト・コースト・ジャズに浮かれており、その変革を必要としているのは一部のジャズ評論家やマイルス・デイビスやジョン・コルトレーンなどの一部のミュージシャンでしかなかったのだ。その必要性を感じていないから、聴いても楽しめないし、面白くも無いのだ。それに、このレコードの作りにも問題があった。一言で云うと、ビル・エバンスの良さが発揮できていないということだ。局部的には後年のエバンスらしい面が出ている箇所も散見されるので、あっ、ビル・エバンスだなとわからない事はないが、全体としてはその辺にいるバップ・ピアニストとあまり変わりがない。新人なんだから私がビル・エバンスですというような音作りでないとだれも食いついてこないだろう。だから、売れなかった。その結果、このあと3年間というもの、リーダー・アルバムを出せてもらえなかった。しかしこの3年間、不遇な扱いを受けていたわけではなく、様々なセッションを経験し、自分を磨き成長していったからこその1958年のマイルス・デイビスのグループへの抜擢だと考えれば、まがりなりにも自己名義のレコードを出すことが出来たという、不幸中の幸いの出来事ではあったと解釈して良いだろう。さて、そのマイルス・デイビス・グループへの参加までのセッション・アルバムを少し見てみよう。


 ジョー・ピューマ『ジャズ』(トリオ・アンド・カルテット)は1957年2月の録音。
この白人のギタリスト、ジョー・ピューマは地味で派手さはないが、良い意味でくつろいだ小気味良い演奏をしている。後半(レコードでいえばB面か)の3曲にエバンスが参加しているが、これまでの参加アルバムの中では一番乗っているのではないだろうか。ドラムスがポール・モチアンなので気心も知れており、ベースはオスカー・ペティフォードという安心してリズムをゆだねられる相手だからこその雰囲気に乗ってエバンスも快適にかつソロでは内省的な演奏をしている。例えば、”アイ・ガット・イット・バッド”、上記『ニュー・ジャズ・・・』でも取り上げられているが、前作のビ・バップ・ピアニストからなんとたった半年でのこの変わり様、一皮向けたビル・エバンスの誕生だ。しかし、売れんがための日本のタイトルは“ジョー・ピューマ~ビル・エバンス”となっている。これはちょっとやり過ぎって云うもんだ。


 ジミー・ネッパー『ア・スウィンギング・イントロダクション』は1957年9月の録音。
チャールス・ミンガスの「ジャズ・ワークショップ」在籍時にジミー・ネッパーが残した唯一のリーダー作。この直前8月にチャールス・ミンガスの『イースト・コースティング』のレコーディングに参加している縁で、エバンスがこの録音にも誘われたのであろう。ミンガスのレコーディングでは殆んどソロらしい演奏をさせてもらえなかったが、ここでは少人数ということもあり、かなりのソロ・スペースを貰い、エバンスらしい演奏を展開している。そういう意味で、だんだんとビル・エバンスの評判が巷に知られるようになり、評価も上がってきていることがこれらの数作の録音で判るのである。ネッパーはミンガスのチームでは作・編曲を担当していただけあって、通ごのみのレコードというべきか、この統制の取れたアルバム作りは最高の出来といって良いだろう。トロンボーンの技術もさることながら、プロデューサーとしての手腕ももっと評価されるべきだろう。


 サヒブ・シハブ『ジャズ・シハブ』は1957年11月7日の録音。サヒブ・シハブといえば(変な名前だがアメリカ生まれの白人。顔と名前から中東系では?)、「サヒブズ・ジャズ・パーティ」で知られているマルチ・リード奏者である。ジョン・コルトレーンの初期の傑作『コルトレーン』の“バカイ”で無神経なバリトンを吹き散らし、“コートにすみれを”ではシハブが抜けてほっとしたという方も居られるのではないだろうか。さて、このアルバム、シハブの初?リーダー作である。フロントにフィル・ウッズ(as)、ベニー・ゴルソン(ts)、それにエバンスという新進気鋭が入ることで、3管編成の重厚なハーモニーが聴かれる趣味のいい作品に仕上がっている。ここは、ベニー・ゴルソンのアレンジが発揮されたと判断しても良いだろう。つまり、若きゴルソン・ハーモニーの初期のショウケースと云った趣だ。さて、肝心のビル・エバンスであるが、静謐な中にある一つ一つの音の粒立ちの明確さというものが出ており、まだ過渡期の音と見ることはできるが、かなりのスピードで自己を確立しつつあることは疑いない。


 エディ・コスタ『ガイス・アンド・ドールズ・ライク・ヴァイブズ』は1958年1月16日の録音。エディ・コスタはヴァイブ奏者でありピアニストでもある。その人がなぜピアニストを雇って録音したのか?この録音前年、コスタはダウンビート誌のピアノ、ヴァイブ両部門の新人賞を得ていたにもかかわらず、”二兎を追うものは一兎も得ず”という言葉があるように、ピアニストとしての限界を悟ったのではないだろうか(本当はピアニストとして行きたかったらしいが・・・)。それは、エバンスのような、新進気鋭のピアニストの出現を身近に感じた結果の判断だと言えるだろう。この1958年、エバンスがそのピアノ部門の新人賞を獲得したのだから。結果的にその判断は正しかったと言えるし、このレコードの成功もその効果によるものであろう。ここでのエバンスのハツラツとした演奏はエバンスが本当の意味でエバンスになった最初の演奏だと断言して良い。どうでも良いことだけれど、ここでも現在ではタイトルが”エディ・コスタ・カルテット”から” ビル・エヴァンス・アンド・エディ・コスタ”になっている。エディ・コスタ、『温情でエバンスにチャンスを挙げてやったのに』と草葉の陰で嘆いているだろうか。


 ヘレン・メリル『ザ・ニアネス・オブ・ユー』は1958年2月21日の録音。1954年、クリフォード・ブラウンとの世紀の大傑作を世に出した”ニューヨークのため息”ことヘレン・メリルにしてはその後目立った評価のレコードが出せなかったので、起死回生の一発を狙ったとしてもあながち穿った考えではないだろう。そこで白羽の矢が立てられたのがビル・エバンスだったのだ。メリルはもともと歌唱力はあまりなく色気とハスキー・ボイスで勝負するタイプなので、きっとエバンスとの相性が良くて、両者の良いところが上手く引き出されているのではないだろうかと想像したのだが、それは期待しすぎだった。つまり、ピアニストの唄伴はしょせん唄伴でしかなく、歌い手を持ち上げるのが仕事だから、エバンスの求めている芸術性を発揮できるスペースは少なかったということだ。そういう意味で、このレコードにビル・エバンスのサムシングを求めるのは筋違いということなのだ。でも、バックのエバンスの演奏を聴いていると意外と楽しんで演っているさまが聴いて取れるし、エバンスらしさも短いながら出ているのでこれはこれで成功したレコードと捉えて良いだろう。ヘレン・メリルの唄を聴くには数多いレコードのなかでも上位に位置づけられる出来であることは疑いない。


 ハル・マクシック『クロス・セクション・サクシーズ』は1958年3月25日の録音。ハル・マクシックと読むのかハル・マクージクと読むのかはっきりしないのだが、知性的なところが際立っているウエスト・コースト派のサックス奏者である。その点で共演者としてアート・ファーマー(tp)とビル・エバンスの起用は正解だろう。ところがだ、編曲重視の曲想にどうもエバンスが違和感を覚えたか、全然らしさが出てこない。それが編曲だと言ってしまえばそれまでだが、これは聴く方にとっても消化不良を覚えてしまいそうだ。と書いていたら、3曲目の”イット・ネバー・エンタード・マイ・マインド”のイントロでこれまた、いかにもエバンスらしいリリカルで繊細なソロが出てくる始末だ。どう評価して良いか戸惑うが、結局B面まで聴き通してみるとマクシック色が濃いながら、意外と各自の個性が各所に出て、殆んど完成されたビル・エバンス奏法がふんだんに聴ける好アルバムであるという結論に達するのだ。

 さて、次回はマイルス・グループへの参加作品を検証してみよう。


今週の1枚 Red Rodney  Red Rodney Returns

2013-01-13 15:26:15 | 今週の1枚

       Red Rodney

タイトル  Red Rodney Returns

レーベル CADET LP 643

録音  1959 Chicago

演奏者  Red Rodney (tp)
  Billy Root (ts)
  Danny Kent (p)
  Jay Cave (b)
  Frank Young (ds)
  

sideA
 1 Show Nuff
 2 Red Hot And Cool
 3 I Remember You
 4 5719

sideB
 1 Whirllwind
 2 Jordu
 3 Shelley
 4 Two By Two

  
  ビ・バップ トランペッター レッド・ロドニーの再起作。汲むスピード溢れる流暢なアドリブラインが特徴で、白人ナンバーワン・トランペッターであろう。このリターンズを聴くとクリフォード・ブラウンの再来では?と思わせるハツラツとした切れの良い音を出しており、その実力の割には録音機会に恵まれず寡作で終わったのが惜しい。


過小評価の人たち ~ソニー・スティット~ リーダー編

2013-01-12 15:22:32 | Jazz

過小評価の人たち   ~ソニー・スティット~ リーダー編
                                              By The Blueswalk
 前回も書いたが、僕はソニー・スティットがチャーリー・パーカーのそっくりさんと呼ばれたのは悪い意味ではなく、チャーリー・パーカーと同じくらいのテクニックとフィーリングを持っていると云ういい意味での捉え方をしている。違いは、パーカーがビ・バップという革新的なジャズのスタイルを創造したのに対し、スティットは後継者として生涯を通じてそのビ・バップの殻から出ることなく、いわば職人芸、名人芸を追及した人と云えるだろう。だから、この分野はスティットに任せておけ、誰もスティットにはかなわないよという狭いけれども確固としたテリトリーを持ち、それが古臭いだの、時代遅れだのと云われてもそれしか出来ないといったビ・バップ馬鹿職人なのだ。日本の伝統的な芸術や技能ではその道の大家には「人間国宝」などという称号を与えられるが、まさにソニー・スティットはビ・バップの国宝的名人なのである。
 ところで、ソニー・スティットがこの過小評価というテーマに相応しいのかということを皆さんの中には疑問に思われているのではないかと危惧しているし、逆に過大評価じゃないのかと言われそうな心配もあるのでそのことについて一言述べておきたい。1940年代前半に演奏活動を開始し、1982年に亡くなるまでほぼコンスタントにレコーディングの機会を得て、生涯に100枚を越す作品を出している。そして、駄作といわれるものがほとんどないという状況にもかかわらず、テナー・サックスとアルト・サックスの二刀流ということもあって、どっちつかずのイメージと温厚すぎる性格も相まって、人気という面であまり評価の対象にならなかったというのが現実ではないだろうか。以下に挙げる代表作を見てもその領域の一流どころといわれる奏者に引けをとっていることは決してなく、むしろ同業者(サックス奏者)からは畏敬の念を持って接しられていることを我々日本人は知るべきではないだろうか。


 初期の大傑作として、この『スティット~パウエル~J.J』は1949年当時のビ・バップ作品を代表する1枚である。ここではテナーを吹いている。面白いのは、アルトの場合はチャーリー・パーカーゆずりのスピード豊かで歯切れの良い鋭い音色を聴かせるのに、テナーの場合はレスター・ヤング張りのふくよかで、流れるようなフレージングを特徴としていることである。そして、バド・パウエルのピアノもここでの聴き物である。このアルバムは人気的にはバド・パウエルの絶頂期の演奏が聴けることの方が評価されているだろう。1949~1950は、バド・パウエルとしては『ジャズ・ジャイアンツ』と『アメイジング・バド・パウエル』の間の録音なのだから悪かろうはずがない。その凄まじい神がかったパウエルを向こうにまわして一歩も引けをとらずのがっぷり四つの横綱相撲だ。1曲目「All God’s Children Got Rhythm」、いきなり飛び出すパウエルのピアノを聴くだけでもゾクゾクものだが、それに負けないイマジネーション豊かなフレージングで対抗している。J.Jジョンソンとのセッションも5曲ほど入っているが、前者が余りもすばらしいだけに無くても良いほどだ。


 『ペン・オブ・クインシー』は1955年の作品。これも名盤の誉れ高い作品である。クインシー・ジョーンズがアレンジしていると云うので敬遠されがちであるが、オーケストラといってもストリングスが入っている訳でもなく、10人のジャズ・バンドであり、中規模編成のバンドをバックにしたスティットのアルト・ワン・ホーンの作品といっても差し支えない。歌心豊かで悠然としたスティット節が全面に渡って聴かれる。こういう場面で一人主役となることの楽しさ、嬉しさが伝わってくるような吹きっぷりである。クインシー・ジョーンズのアレンジもスティットのソロを主眼に置いているので、バックの演奏はバラエティに富みながらも、小賢しいところがなくスマートだ。「My Funny Valentine」を聴けば、チャーリー・パーカーとの違いは歴然としている。エモーション一本で浪々とバラードを吹き切るこの技はスティット独自の世界だ。前述の作品がどちらかというとバド・パウエルの演奏の方に耳が行ってしまうのに比べ、ここでのスティットの演奏を彼の最高傑作と評価する人も多いのもわかる。


 『ウィズ・ザ・ニュー・ヨーカーズ』は1957年、ハンク・ジョーンズのピアノ・トリオをバックにしたお洒落な作品。ジャケット写真からも今までになく楽しんでいるという雰囲気が伝わってくる。この時期、つまり1955年から1960年ぐらいまでが初期のスティットの絶好調期で立て続けに佳作を発表しているのだが、これはチャーリー・パーカーの死(1955/3/15)と無縁ではありえない。ライバルというか目標としていた先輩の死でこれまで悶々としていた気持ちが一気に吹っ切れて創造意欲が湧き上がってきたのではないだろうか。バド・パウエルとハンク・ジョーンズのバックのリズム・セクションが異なることでこんなにも違うのかと思われるほどリラックスし、伸び伸びしたスティットのアルトが冴え渡る。もちろんハンク・ジョーンズの小気味良いピアノに助けられている部分も多いのだが、前『ペン・オブ・クインシー』で発揮された唄心豊かなバラード演奏はここでも健在で、ここにニュー・ヨークのラウンジでしか聴けない一流ジャズの醍醐味を味わうことが出来る。聴きやすいという観点から判定するとこの作品が最も一般的に受け入れられやすいのではないだろうか。


 『スティット・プレイズ・バード』は1963年の作品。前月のレポートでパーカーの亡くなった直後にこのアルバムを録音したと書いたのは僕の記憶違いでした。この作品こそ、チャーリー・パーカーの呪縛から吹っ切れたスティットがパーカーと対峙し、その違いを見せつけ、それを世に問うたパーカー・トリビュート作品である。全11曲中10曲はパーカー作曲、他1曲はパーカーの演奏で馴染み深い曲なのだから、おのずと対比せざるを得ないし、その違いを認識せざるを得ない。そういう観点から聴くと、やっぱり似ているなあと思うのだが、一番分かり易い違いは、音の出だしがパーカーだと、瞬間的にパッと出て歯切れが良いのに対し、スティットは時間を掛けてスゥーと出て流麗な感じといった表現が当てはまりそう。違いを際立たせるのにピアノのジョン・ルイスとギターのジム・ホールの参加も一役買っている。だから、パーカーをいっぱい持っているからこの作品は要らないということにはならない、スティット・ファンは必ず持っていなければならない作品なのだ。


 『チューン・アップ』は1972年の作品で、1950年代の全盛期を過ぎて、再び1970年代で2度目のピークを迎えるきっかけとなった作品である。選曲はジャズ・スタンダード中心であるが、こういったバップ曲にはうってつけの盟友バリー・ハリスに勝るピアノの共演者はいないだろう。ここでは曲によってアルトとテナーを持ち替えており、アルトはパーカー流、テナーはヤング流というのはいつもどおりで変わり映えしないという印象があるかもしれないが、5曲目のオリジナル曲?「Blues For PREZ And BIRD」のタイトルがスティットの挑戦意欲が未だに衰えていないことを物語っている。スティットにとって生涯、レスター・ヤング(PREZ)とチャーリー・パーカー(BIRD)は目標であり、ライバルであったのだ。ただ、今日に至ってはオールドスタイルの感が漂ってしまうのはしかたがないか。


今週の1枚 Bob Florence and his Orchestra NAME BAND:1959

2013-01-05 18:25:02 | 今週の1枚

         Bob Florence and his Orchestra

タイトル   NAME BAND :1959

レーベル   CARLTON RECORD

録音       1958 LA

演奏者   Bob Florence(p)
           Johnny Audino, Tony Terran, Irv Bush, Juiles Chaikin(tp)
           Bob Edmundson, Bobby Pring, Don Nelligan , Herbie Harper(tb)
           Herb Geller, Bernie Fleischer(as)
           Bob Hardaway (ts)
           他

sideA 1  Everthing I Got Belongs To You
        2  Give A Listen
        3  Under Paris Skies
        4  Undecided
        5  End Of A Love Affair
        6  Southern Fried

sideB 1  Easy Does It
        2  I Wanna Hear Swing Songs
        3  Pastel Blue
        4  I'll Remember April
        5  Baby Come Here
        6  Little Girl

  分厚いホーン・セクションとお洒落なアレンジで楽しい演奏を聴かせる。いかにもウエスト・コーストのビッグ・バンドという感じである。ちょうどスウィング・ジャズとモダン・ジャズの中間に位置している演奏で、古さを感じさせず、かつモダン・ビッグ・バンドにありがちなうるささ、押し付けがましさが無く、中庸の程よさがたまらなく心地良いのである。


過小評価の人たち ~ソニー・スティット~ その1

2013-01-05 18:07:57 | Jazz

過小評価の人たち    ~ソニー・スティット~ その1
                                                 The Blueswalk
 ソニー・スティットは不運なミュージシャンである。それは、チャーリー・パーカーがいたから”というのがジャズ界では定説になっている。裏を返せば、これは大変な褒め言葉でもある。なぜなら、チャーリー・パーカーと争ったのはたった一人、ソニー・スティットだけであるともいえるからだ。
僕がブルースからジャズの方に嗜好が傾きかけていたころ、初めてソニー・スティットを聴いた時、なんと、ジャズ界にもこんなにもブルース・フィーリングを出せる演奏者が居たんだと驚きと共に大変嬉しくなった記憶がある。それ以来、ずっとその曲の演奏が入ったレコードを探し求めたのだが、なかなか見つからない。曲名は”ブルース・フォーPCM”と分かっているのだが、どのLPに入っているか分からない。その頃(1981年ごろ)はまだインターネットが発達しておらず、いわゆるパソコン通信といって、電話回線につなぎ、Windowsもまだ世の中に出ていなくて、テキスト・ベースの画面からニフティ・サーヴなどの業者を通じてジャズの掲示板(今で言うところのホーム・ページ)に登録していろんな情報を得ようとしていた時代である。30年前の話であるが、パソコンというものが世の中に出始めた頃のことで、今から考えると隔世の感がある。今は誰でも何処でも何時でもネットを検索すればどんな情報でもすぐに手に入る時代となってしまったが、その頃は自分で考え、努力して手に入れなければならないという難しさと楽しさがあった。さて、話は元にもどるが、そのジャズ愛好者向けの掲示板の管理者である『ほったん』さん(もちろんニックネームであろうが、いまでも名前だけは鮮明に記憶している)から、この曲の由来とLPの名前を教えていただいた。それが「ヴァーモントの月」というレコードであった。それ以来、僕の中ではソニー・スティットのレコードが蒐集の最優先となってしまった。今では、62枚(実際はCDとレコードのダブリも多いので50数枚だろう)まで増えてしまい少し食傷ぎみではあるが・・・
ちなみに、僕のペンネームThe Blueswalk はソニー・スティットの曲のタイトルから盗っている。皆さん、『真夏の夜のジャズ』という、1958年に開催された第5回ニューポート・ジャズ・フェスティバルを記録した映画はご存知と思う。

                                             

その中に、スティットがサル・サルバドールと共演している映像を憶えているだろうか?映画の中ではただの“ブルース”というタイトルで紹介されているが、まさにあの曲が僕のテーマ曲なのである。スティットはThe Blueswalkというタイトルでレコーディングしていない(と思う)ので、巷ではこの曲はクリフォード・ブラウンの演奏で有名であり、作曲者としてもクレジットされている場合も多いが、これはれっきとしたスティットの曲であるのだ(ここは強調したい)。さらに、ルー・ドナルドソンのBlueswalkとは似て非なるものであることも言っておきたい。さて、うんちくが長くなったのでまた話を元に戻そう。
ソニー・スティットが何故チャーリー・パーカーのそっくりさんとかエピゴーネンとか言われるのか?ちょっとひどいですね。エピゴーネンって「模倣者」とか「亜流」とかいう意味ですよ。時代的に言えばチャーリー・パーカーがビ・バップ革命を起こした時代(1940年代後半)でビ・バップを演奏できるアルト・サックス奏者が2人以外に殆んどいなかったということと、共通点といえば少しだけ音質とアドリブでの流麗さが似ているということぐらいなので、ことさらチャーリー・パーカーと較べることもないと思うのだが、褒めようとして言ったのか、二番煎じだと云いたかったのか、今でもチャーリー・パーカーのそっくりさんという肩書きがまかり通っているのである。
スティットのあるレコードの解説で寺島靖国氏が、“パーカーとスティットを較べるのはおかしい。スティットが10人束になって掛かってもパーカー1人に勝てない”などと書いていたが、そこまで言うことはないだろう、これはスティットのレコード評なんだからもっと褒めろよと怒り心頭にはなったものの、反論できないのも事実であった。パーカーが上であることは疑いようもない事実ではある。がしかし、パーカーの模倣者でないことは聴いてみればすぐ分かる。パーカーは一発必殺の瞬発力とカミソリのごとき切れ味、それと他を圧倒するスピードのアドリブ・ライン、スティットは鬼気迫るエモーションのブルース・フィーリングと悠揚迫らざる流麗なアドリブの妙とでも云ったら良いだろうか。云ってみれば、コルトレーンとロリンズを較べるようなものなのだ。どっちがどっちかって?それはあなたが判断してください。それでも、評価はコルトレーン対ロリンズが50:50としたら、パーカー対スティットは99:1ぐらいにしかならないだろうね。僕は67:33(つまりパーカーの半分ぐらいはあるのでは)と思っているのだけれども・・・
 こんな具合だから、ソニー・スティット自身も巷の評価を凄く気にしていたようである。もともと、テナーとアルトの両刀使いで、しかも殆んど甲乙つけがたいほどのテクニックを持ち合わせていたこともあって、パーカーの二番煎じという汚名を嫌ったのか、1950年ごろにはアルトを吹かなくなり、もっぱらテナーに専念したようだ。デクスター・ゴードンやジーン・アモンズとセッションは今日でもテナー・バトルの典型的名演としてジャズ史に刻まれていることでも理解できるだろう。そして、やっと天敵チャーリー・パーカーが1955年に亡くなって、やおらまたアルトに持ち直したという、あまり嬉しくない経歴を曝け出すことになる。しかもその最初のレコード・タイトルが『スティット・プレイズ・バード』なのだからこれ以上の皮肉はないだろう。
 1960年代になるとマイルス・デイビス・グループの一員としてヨーロッパに遠征し、ライブ録音を残しているが、これがまた評判が悪い。まあ、スティット・ファンの僕から見ても新進のマイルスと旧態のスティット(年は1歳しか離れていないのだけど)が合う訳がないと思うのだが、このときのマイルスの気持ちは如何ばかりか計り知れない。いくら、人がいなかったとはいえマイルスも選ぶのに迷ったことだろう。その次の遠征では、しっかりとコルトレーンを引っ張り出すことが出来てなんとか汚名を晴らすことができたマイルスであったが、当のスティットは出来の悪いレコードが後々まで不評を買うことで終わってしまっている。そんなこんなの生き様を見ると、楽器が上手い、下手もさることながら、愚直すぎるスティットに同情をせざるを得ない。
 スティットの晩年は、これまた凄まじい。1982年に来日公演を催し、北海道を皮切りに日本縦断演奏旅行を開始した。普通なら、大都市の東京、大阪だけでやれば済むのに、これまたスティットの性格が災いしたのだろう、エージェンシーにいやといえなかったのか、自ら進んで企画に乗ったのか。ところが、この時既にスティットは癌を患っており、体調がすこぶる悪く、車椅子に乗り、看護婦帯同の楽旅だった。ただ、本人の意志も固く開始されたのだが、旭川での講演では最初の1曲で力尽き、そのまま帰国の途につき、3日後にワシントンDCにて帰らぬ人となってしまったのである。


Live from Far East Billy Harper Quintet

2012-08-14 09:40:42 | 変態ベース

Live from Far East   Billy Harper Quintet

                         変態ベース
 6月の例会は、『Billy Harper Quintet Live』を選らんだ。1974年にビリー・ハーパーがサド~メル・オーケストラの一員として来日した際は、若手のホープとして周囲から好奇の視線を受けていた。日本公演の合間に、オーケストラの同僚だったジョン・ファディスと双頭リーダー作を録音したが、ガレスピー直系のファディスと新主流派のハーパーでは全く毛色が違う。あれはどんな作品に仕上がったのだろう。もう40年近く興味を満ち続けているのだが、未だに聴く機会に恵まれない。ハーパーも近年の写真を見ると、頭にずいぶんと白いものが目立つようになった。テキサス生まれのこのテナーマンも今年で69歳になる。あのチンピラ風の角刈りパンチヘアーも、どこか好々爺然としてきた。
 例会で彼のアルバムを選曲したことで、久方ぶりにじっくりとハーパーを聴くことができた。この人、今も昔も本当に変わらない。新主流派の旗手として斬新でエキサイティングな演奏を続けてきた彼には、常にアグレッシヴ・革新的なイメージがあった。しかしここまで自分のスタイルに固執すると、ひるがえって保守的なプレイヤーというイメージが強調される。一体、何が保守で何が革新なのか分かりにくい。コルトレーンだってあのままずっとモードやフリージャズばかりやり続けていたら、保守的な野郎だと思われていたかもしれない。保守と革新は表裏一体なのかもしれない。もし保守的という言葉が的を得ていないと思うならば、確信的で信念を持ったプレイヤーと言い換えればよりその本質を突いているだろう。
ハーパーがデヴューしたのは70年代の初頭。ギル・エヴァンスやサド~メルのオーケストラに参加しながら、腕を磨き徐々に名を上げていった。徹底的に吹きまくるスタイルはホンカーと呼ばれる連中と混同されがちだが、私はそのような仕分けには違和感を覚える。一曲の演奏時間は長いけれど、冗長でだらだらと垂れ流しのような演奏はしない。音楽と対峙する姿は生真面目そのものなのだ。ハーパーのバックボーンにはアフロアメリカンとしての強い信念を感じる。初期から最近に至るまで、彼の演奏の全てが同じトーンで語られるのはその帰属感が揺るぎないからだ。演奏が時に重苦しくのしかかるのもそのせいだ。コルトレーン没後、マッコイ・タイナー等を中心に新主流派と呼ばれるミュージシャンが台頭した。ハーパーもそのフォロアーのひとりだった。彼等の多くは野に埋もれ、またあるものは骨抜きになり他の集団に飲みこまれていった。しかしハーパーという男は節を曲げる素振りすら見せない。頑固者と言われようが、時代遅れとそしられようが、この半世紀近く自分のあるがままの演奏を貫き通してきた。率直に立派と認めざるを得ないだろう。

 1991年、ビリー・ハーパーは極東(Far East)ツアーを行った。参加メンバーはBilly Harper(ts)、 Eddie Henderson(tp)、 Francesca Tanksley(p)、 Louie Spears(b)、Newman T Baker(ds)。トランペットのヘンダーソン以外はほとんど無名だ。ピアニスト以下のメンバーはハーパークインテットのレギュラーのようだ。スティープルチェイスからリリースされたアルバムは、そのツアーからの実況録音である。私家盤ほど酷くはないものの、あまりハイレベルの録音とは言い難い。東アジアの国々を転々とするどさまわりツアーでは、録音機材の調達もままならなかったということか。しかしその音源には、ハーパーの真骨頂とでも言うべきパワフルな熱演が詰まっている。

 一枚目の『Billy Harper Quintet Live / On Tour in the Far East』は、韓国は釜山に於ける録音だ(4/27)。アルバムを見ると10分を超える長尺の演奏が多い。ライヴで演奏時間が長くなることはありがちなことだ。しかしやたら長いだけで内容の伴わないのは御免こうむりたい。ハーパークインテットのプレイも確かに長いけれど退屈はしない。それは彼等の楽曲にストーリーがあるからだろう。各人のソロスペースも十分にとっているが、前奏部やコーダにもじっくり時間をかける。演奏に起承転結があり、それぞれの展開が実にナチュラルなのだ。その傾向は冒頭のI Do BelieveやCroquet Ballet等のミディアムテンポのナンバーではより顕著だ。ハーパーのソロも男性的でエモーショナル。ギミックなしプレイは気迫がこもっている。ロリンズが好調だった頃は、テナーサックス一本で周りを沈黙させたものだ。ハーパーの演奏にも、絶頂期のロリンズに比類するだけのたくましさがある。テナーサックスはかくあるべきだ。
Countdownは、名作『Giant Steps』の挿入曲だ。速いテンポの曲で、ハーパーはその力量と溢れるパワーを最大限に発揮する。いわゆるスタンダード~歌ものはこのアルバムでは取り上げられてないが、4曲目のInsightはAutumn Leavesのコードチェンジを使っているようだ。


 『On Tour Vol.2』は台湾の高雄市からのライヴ(4/22)。こちらも演奏時間が長い。さすがに25分を超える2曲目はきつい。コルトレーンのヴィレッジ・ヴァンガードのように、モードものは長くなる宿命なのか。歳と共に聴き手も、こらえ性がなくなってくるのだ。このアルバムからは1曲目のPriestessと、最後のDestiny Is Yoursが秀逸だ。どちらもハーパーの古いオリジナル曲だ。ハーパーという人は楽器の鳴り方が痛快だ。音楽の根源的なパワーが、スピーカーの向うから飛び込んでくる。それが聴後の爽快感、カタルシスにつながる。決して器用なテナーとは思わない。ある定型の演奏しか出来ないし、どこにでもあるようなスタンダードを吹かせたら、途轍もない陳腐なプレイになってしまうかも?そんな気がするのだ。ハーパーには彼独自の演奏パターンがあってそれしかない。しかしそれが素晴らしものであれば、なにもひとつ注文をつける言われはない。
 さて、3曲目のMy Funny Valentineは、唯一取り上げられたスタンダードだ。はたして奇妙な演奏になったかというとそんなことはない。ちょっとスピリチュアルなムードを持つこの演奏はハーパーの真骨頂だ。しかし「いやこれはクサイ」と感じてしまう人もいるだろう。そういう人はハーパーと御縁がなかった諦めていただくしかないが。なお、まだ聴いたことがないが、このシリーズは『Vol.3』(マレーシア、クアラルンプール)も発表されている。

 


Bluenote The Sidewinder / Lee Morgan

2012-06-29 17:44:59 | 変態ベース

Bluenote               
The Sidewinder / Lee Morgan

                                          変態 ベース
「かっこええやん なにこれ?」
CDケースを手にして興奮しているのは、およそジャズとは縁もゆかりもない風のおにいちゃん。ちょっと予想外の反響にいい気分だ。知り合いのショットバーでかかっていたそのCDは、以前私が持ち込んだリー・モーガンの『The Sidewinder』だった。サイドワインダーはアメリカの砂漠地帯に生息するガラガラヘビのことだ。よこば横這い移動(よ夜ば這いではない)する奇妙な習性を持っている。狙った獲物は逃さない。背後から忍び寄りパクリと食いつく。さてはこのおにいちゃんも噛み付かれたか。
3月の末、阿倍野近鉄百貨店で中古CD/レコード掘り出し市が催された。阪神百貨店では例年開催されているが、近鉄というのは珍しい。ちょうどお目当てのレコードがあったのでぶらりと覗いてみた。中古あさりもめっきり行く機会が少なくなったが、えさ箱をかき回しているとやはり楽しいものだ。ついつい時のたつのも忘れてしまう。しかし次第に腰のあたりがだるくなってきて、気になるレコードが10枚近く集まった時点であえなくギブアップ。といってもこんなにたくさん持って帰るわけにはいかない。その中から更に厳選して4枚に絞った。合計3,200円也。その中の一枚が探していた『The Sidewinder』だった。
思えばサイドワインダーなんてアルバムは、硬派のジャズファンを自認する人間からは、軟弱なレコードと疎まれていたものだ。そんな批判・風評はもちろん私の耳にも届いた。それを真に受けてか、このレコードには全く関心というものが湧かなかったのだ。「けっ、聴いてられるか」聴きもしないくせに、確かにそんな空気はあった。あの頃は他にも興味のあるレコードが山ほどあったし、いつしか記憶の彼方に押しやられてしまったのだ。
それから少し時が流れ、やがてCDが主流となった。ワルツ堂がまだまだ元気のあった頃、輸入CDそれもブルーノート、プレスティッジの再発盤は一枚1,000円程度。殆んどたたき売り状態で棚に並んでいた。元々ブルーノートなんかにはそんなに興味があったほうではなかった。しかし、あまりの安さにつられ、一枚、二枚と買い集めていた。その中にこの『The Sidewinder』もあったのだ。

                            

 このアルバムはブルーノートにとって異例の大ヒットとなった。あのブーガルーのリズムが、大うけにうけた最大のポイントだ。60年代のブルーノートサウンド、いやジャズ界全体を俯瞰しても、ブーガルー~ロックビートはしっかりと浸食していった。しかし我が国のジャーナリズムの反応はいささか冷やかであった。少なくとも70年代にかけては、殆んどこれらのアルバムは注目を浴びることもなく、見くびられていたように思える。そんな空気が入れ替わったのはいつ頃からだろう。フュージョン旋風も一段落し、やがてブルーノートの旧譜も再発されるようになった。半世紀の時を経て、古き佳きジャズが注目を集めるようになったのだ。その音楽はセピア調に染まり、いささか時代を感じさせたが、輝きだけは失っていなかった。
 『The Sidewinder』は前述のようにCDを持っていた。それをまたLPで買い足すというのは不合理なことだ。今更LPなんか手に入れても、とどのつまりが壁の装飾になるだけでは。しかし、ショットバーのおにいちゃんが発したように、このアルバムの持つかっこよさ、スマートさには、あがらい難い魅力がある。『The Sidewinder』は、いつかLPが欲しいと思っていた。それは単なる物欲かもしれないが、特別の思い入れのあるアルバムは、どうしてもLPのリアリティが必要なのだ。

 テナーのジョー・ヘンダーソンには、雑な演奏でがっかりさせられることがしばしばあった。しかしブルーノートにおける演奏は概ね安定している。いつもガッツのあるブローで、作品に気骨を与えてきた。これがハンク・モブレーだったらもっとソフトで、アルバムのタフネスがそがれたかも。ウェイン・シューターでもよかったが、もっとエキセントリックな内容になっていただろう。ジョーヘンのざらついた音色と、ハードなドライヴ感は、アルバムのコンセプトにぴったりだ。
 ピアノがバリー・ハリスというのも珍しい。ブルーノートの常連でないこのピアニストは、バド・パウエルを殉ずることでも有名だ。彼はハードバップの伝道師のような誠実さを持っているが、どんな演奏にも合わせられるようなスタンスの広いピアニストではないことも確かだ。ハリスがどうしてこのセッションに起用されたのか不思議に感じる。タイトルチューンでは、らしからぬ演奏が意外だ。どこか戸惑っているようにも聴こえるが、どんなものだろう。
 
掘り出し市では、他にも気を惹かれるレコードはあったけれど、値段と盤の状態が折り合わなかった。唯一納得できたのが本作だった。今回購入したレコードは現ブルーノートレコードの復刻で、まだビニールをかぶった新品だった。ジャケットにはオリジナルの4157番がふられている(以前の再発ものは84157になっていたはずだ)。オリジナルを集めている人は、このようなレプリカに興味を示さないだろう。まっさらでピカピカのジャケットというのも確かに違和感がないわけではないが、手に取るとどうしてなかなか美しい。レコードはめでるもの。なるほど、たまにはLPもいいものだ。しかしこんな買い物を続けていると、いつかアナログ狂いの深みにはまり込むことも考えられる。いわゆる病嵩じてといやつだ。くわばら、くわばら。


この春 2012 Part Ⅲ

2012-04-16 23:06:50 | 変態ベース

この春 2012 Part Ⅲ
                                                 By 変態 ベース
 宝塚歌劇を見に来るお客さんはどんな連中なんだろう。ちょっと澄ました麗人達が客席を埋めているのかと思ったが、期待に反してそうでもなかった。結構普段着のおばさんが多いのだ。但し想像したとおり女性が圧倒的で、その比率は20対1くらいか。少数派のおっさん達には、気恥ずかしいような肩身の狭いような一日だったに違いない。3月1日は私もその気恥ずかしいおっさんの一員だったのだ。
 お断りしておくが、もちろん私は常日頃から宝塚に関心を持っているわけではない。さるところからうちのかみさんが招待券を2枚頂いて、どうしても行かなければならない羽目になってしまったのだ。まあ、話のネタにでもなるのではという興味も無かったわけではないが、会社まで早退させられてしまったのでは殆んど強制連行だ。
 宝塚には手塚治虫記念館があって、子供が小さい頃には連れて来たものだ。しかし劇場に足を踏み入れるのは初めてのことだ。館内はゆったりとしていて、劇場エントランスまでの通路には、レストランやキャラクター商品を扱う売店がずらりと並んでいた。劇を観ない通りのお客さんも、そのお店で買い物ができるようになっている。公演は午前、午後の部があり、毎日2回行われている。役者さんも重労働だ。私達が観劇したのは15時スタートの午後の部だった。2階席の様子は分からないが、1階席は後の端の方を除いてほぼ詰まっていた。世の中にはよほど暇な人が多いのか、平日の昼間からよく入るものだ。

ミュージカルのタイトルは『エドワード8世』。月組主役コンビの男役 霧矢大夢(きりやひろむ)と娘役 蒼乃夕妃(あおのゆき)はこのステージを最後に卒業退団する。宝塚には月組、花組、雪組、星組、宙組(そらぐみ)があって、大阪、東京の劇場で入れ替わり公演を行っている。それぞれの組に看板スターがおり、このふたりその中でもかなり人気者みたいだ。
 宝塚歌劇の出し物は2部構成になっており、第1部のミュージカルが1時間半、30分間の休憩を挟んで、1時間のレヴューがある。さて第1部のミュージカルの感想だが、率直に申し上げてあまり面白くなかった。人の好みや楽しみは千差万別。まあ、自分には性があってないとしか言いようがない。隣のかみさんを見ると開始直後からコックリコックリ舟を漕いでいる。誘った本人がこの始末だ。私も開演中はうとうとしていたので、結局ストーリーがよく解からないまま気がついたら終わっていた。劇中、コール・ポーターのBegin The BeguineとガーシュインのFascinating Rhythm 魅惑のリズムが挿入されていたことはぼんやりと覚えているが、それ以外どんな展開だったか全く思い出せない。男役と娘役の俳優もみんな同じ人物のように見えた。申し訳ないが配役すら最後まで把握できなかった。
 第1部でよく寝たおかげで、第2部は頭すっきり眼もパッチリ。しかし妙なことが気になってしかたがない。というのはレヴューの様子が口(くち)パクに思えて仕方がないのだ。舞台袖のスピーカーから聴こえる大音声の歌と演奏は、この上なくバランスよくミキシングされ、まるでCDに録音された音のように聴こえる。歌も演奏も生音にしては一糸乱れることもなく、不自然なくらい見事にまとまっている。舞台の手前にオーケストラピットがあって、指揮者の頭が見える。しかしそこにいるはずの楽団員の姿が全く確認できない。しかもオケピからは直音が全く聴こえないのもこれまた不思議だ。そのことが気になってずっと荒探ししていたのだが、明確な証拠は見つからなかった。ネットで調べると、私のように口パクに疑念を抱いている人がいるみたいだが、宝塚は基本的に生歌だと書き込みされていた。それでもあれはやはり口パクだったに違いないと今でも私は疑っている。別に口パクでも構わないのだが、気になるよなあ。


アーリー・エバンス その1

2012-04-09 23:06:59 | Jazz

アーリー・エバンス その1
                              The Blueswalk
 ビル・エバンスがジャズ・ファンに認知され始めたのは1958年5月以降のマイルス・デイビス・セプステット、レコードで云えば、『1958マイルス』以後であり、『カインド・オブ・ブルー』(1959/3/2)においてその大輪の花を咲かせ、その後のスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)を擁し、新しいピアニズムの境地を開拓していったわけである。

しかし、デビューは1953(1954?)年のジェリー・ウォルド楽団への参加に遡る。タイトルは『リスン・トゥ・ザ・ミュージック』

誰しもデビューはこのようなスウィング・ジャズ・オーケストラでのその他大勢のなかのひとりとしての参加というのが相場で、ビル・エバンスとて同様であっただろう。ただ、このバンドはストリングスにジェリー・ウォルド(cl)、エディ・コスタ(vib)、ポール・モチアン(ds)他のということであるから、少々のソロは取らせてもらったかもしれない。残念ながらこのレコードは持っていないので、ビル・エバンスがどれくらいの演奏をしているのか興味のあるところだ。

 

 ルーシー・リード(vo)『ザ・シンギング・リード』は1954/春の録音。

ルーシー・リードはジャズ・シンガーというよりポピュラー・シンガーと言えるような唱法で、さほど上手いとはいえない。特にアップテンポな歌には高音域のふらつきが気になってしまうが、スローなバラード曲では丁寧な心のこもった歌い振りが良い雰囲気を醸し出している。一方ビル・エバンスであるが、歌伴に徹しており、ボーカルに合わせた選曲、曲調ということもあり、個性というものがまだ出し切れていない。ただ、曲によっては往年のリリシズムの片鱗がところどころ出てくるものもある(特にスローな曲)ので持っていて損はしない程度の価値感か。このレコードの欠点はバックの演奏がディック・マルクスというもうひとりのピアニストのグループ(ピアノ、ベースのデュオ)との混在となっているため、ビル・エバンスのピアノに浸っているといきなり次が無神経なマルクス君の演奏になったりするので聴きづらいということだろう。CDだったら、エバンスがバックを演った曲のみ選択して聴いたほうが良いかもしれない。

 ジョージ・ラッセル『ザ・ジャズ・ワークショップ』は1956/3/31~1956/12/21録音。

フリー・ジャズでは無いが、実験的なジャズを標榜したジョージ・ラッセルの個性的な編曲が楽しいレコードである。アート・ファーマー(tp)、ハル・マクーシック(as,fl)、バリー・ガルブレイス(g)を中心とした、ハード・バップ以降の新しい形式の音楽を模索しているかのような音楽であるが、頭でっかちなことは無く、ちょうどウエスト・コースト・ジャズとハード・バップを混ぜたような音楽といったら良いだろうか。ビル・エバンスも各所でソロを披露している。その中で面白いのは、”コンチェルト・フォー・ビリー・ザ・キッド”におけるちょっとラテンの4ビートリズムにのって、ファーマーとマクーシックのユニゾンによるリフが繰り返されたあと、エレピかと思われるようなエバンスの躍動的なソロ、”バラード・オブ・ヒックス・ブレウィット”における耽美的な演奏が聴き所だろう。が、あくまでもジョージ・ラッセルの編曲重視の演奏なためエバンスを聴きたいと思ってこのレコードを買っても期待はずれだろう。

 トニー・スコット『ザ・タッチ・オブ・トニー・スコット』は1956/7/2録音。

16人編成、テンテット、カルテットと3つのタイプの演奏が入り混じっているので、もう一つ散漫で整合性に違和感のあるレコードである。もちろん主役はトニー・スコットのクラリネットであり、ビル・エバンスの出番は、A面最後の”イオリアン・ドリンキング・ソング”。ここではスコットの情熱的なクラリネット・ソロもすばらしいが、それに呼応したようなエバンスのピアノ・ソロがクールでヤバい。なんか、他のメンバーを無視して自我の境地をいくような恐ろしさだ。著名なアーティストも数名参加しているがソロはなさそうなので、トニー・スコット・ファンかビル・エバンス・マニアなら持っていたい程度の作品だろう。
 このあとやっとリーダー作『ニュー・ジャズ・コンセプション』を吹き込むことになる。     (次回へ続く)


女流ピアノ・トリオ

2012-03-22 21:22:54 | Jazz

女流ピアノ・トリオ 
                                                The Blueswalk

 今月のテーマは『トリオ』である。選択の幅を広げて色々な解釈で皆さんのベスト・チョイスがなされればいいなあと思っている。でも正直、通常トリオといわれるとピアノ・トリオを思い浮かべる人が殆んどであろう。僕もそのうちのひとりだ。
 ピアノ・トリオといえば、ピアノ、ベース、ドラムスの構成が主流であるが、その構成を確立させたのが バド・パウエル だといわれている。現代でこそこのフォーマットがその殆んどを占めているのであるが、その昔はピアノ、ギター、ドラムスのパターンも多かった。ナット・キング・コール・トリオや初期のオスカー・ピーターソン・トリオがその代表であろう。それから時代を経て、ビル・エバンスやキース・ジャレットなどのスタイリストを経由して現在のジャズの基本フォーマットとして定着しているのだ。そんな意味でピアノ・トリオはジャズの主流といっても良いほどの流れを形作っているので、ピアニストの数はジャズ奏者の中で比率も高いし、女性の占める割合もボーカルについで高いと思われる。現代では女流ピアニストが花盛りだが、50~60年代にはそう多くはみられない。そんな中から“野に咲く可憐なユリの花”のごとき女流ピアノ・トリオをバックに美味しい酒を楽しみたいものだ。

 ユタ・ヒップ『ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ』


ドイツで活動中に評論家レナード・フェザーに知己を得ていた彼女は1955年30歳でドイツからアメリカに移住し、その口ぞえもありブルーノート・レコードからデビューを果たした。プロデューサーのアルフレッド・ライオンも同じドイツ出身ということもあるし、新人を発掘することには定評のあるブルーノート・レコードの目に留まったのはラッキーであったといえるだろう。そしてその第1弾がこのヒッコリー・ハウスでのライヴ録音である。名も知れない新人のデビューをライブでしかも2枚組み、恐るべしアルフレッド・ライオンの慧眼というべきか。しかし、このレコードが際立って人口に膾炙しているという事実は演奏の良し悪しよりも、後年のブルーノート神話に拠るところ大といっても過言ではない。つまり、ブルーノート1500番代はすべて名作だとジャズ・ファンが洗脳された結果の人気だということだ。
 さて、演奏内容なのだが、さすがに初めてのライヴ録音ということで硬くなっているようだ。元来、テクニックを鼓舞するタイプでなく、内に秘めた情熱を淡々とクールに表現するタイプなので、冷たい感じがするかもしれない。チャーリー・パーカーの“ビリーズ・バウンス”なんかもトリスターノか?と感じる部分がないわけではないが、じっくり鑑賞するには持って来いのアルバムで、何回も聴き返していくごとに味の出るといった感じだ。アメリカのショー・ビジネス界に水が合わなかったのかもしれず、このあと、ブルーノートにズート・シムズとのセッション盤(僕はどちらかというとこっちの方が好きだ)を残してシーンからひっそりと消えていったユタ・ヒップであった。


 ロレイン・ゲラー『アット・ザ・ピアノ』


 ウエスト・コースト・ジャズの高名なアルト・サックス奏者ハーブ・ゲラーの奥さんで、おしどりコンビで少なからずレコードを残したロレイン・ゲラーの唯一のリーダーアルバムである。美人薄命というが1958年30歳の若さで喘息の心臓発作により突然亡くなったのが惜しまれる超美人のピアニストである。旦那との一連のレコードを聴いてもわかるとおり、こちらはバド・パウエル系の力強い、スピード感豊かなフレーズが心地良い。もともと発売は予定していなかったデモ用の音源で、突然他界したロレインへの追悼盤としてリリースされた、ジャズ・ファンには貴重なレコードである。バックのベース、ドラムを含め、やや一本調子な面も見られるが、ピアノの躍動感はホレス・シルバーを彷彿とさせるものがあるし、B面1曲目の“マダムⅩ”はまるでバド・パウエルの“ウン・ポコ・ロコ”、こんな強烈なピアニストもそうざらには居るまい。これもユタ・ヒップと同じく、聴きこんで良さがにじみ出て来るというタイプの演奏である。なにせ、リーダー作品はこれ1作なのだから、貴重この上ない。なお、オーネット・コールマンの「トゥモロウ・イズ・ザ・クエスチョン」の中の“ロレイン”は彼女をオマージュした曲である。


 パット・モラン『ジス・イズ・パット・モラン』


 以前、「美脚」のテーマで取り上げた作品である。パット・モランは唄も歌い、ベブ・ケリーの唄伴的なアルバムも残しているが、代表作となるとこの美脚盤に限る。それはなぜかというと、なんといっても無名のベーシスト、スコット・ラファロの参加に他ならない。なるほど、1曲目からついついラファロの快適なウォーキング・ベースに耳が移ってしまう。ラファロといえば、ビル・エバンス・トリオでの丁々発止なインタープレイが有名であり、それのみがスコット・ラファロのトレードマークとして持て囃されているようだが、ここではリズム・マンとしてのベーシストに徹していて、しかもそれが最良な形で発揮されているところにこのレコードの価値があると思われる。そういう意味では、このレコードはスコット・ラファロに食われているといっても言い過ぎではないだろうが、ここでのパット・モランのピアノも、歌伴の域を脱して、強烈なラファロのベースと対峙して奮闘していることは間違いない。それが4曲のピアノ・ソロ曲に顕われている。これはピアノのレコードなのだ、ピアニストが主役なのだ、そして、この美脚も私なのよという意思の表れだ。


 『ルッキン・フォー・ア・ボーイ』


 これは、3名の女流ピアニストのトリオ演奏をあつめたコンピレーションCDである。サヴォイ・レコードはブルーノート、プレスティッジ、リバーサイドなどに較べ、やや見劣りするレコード会社だと見られている節がある。その大きな理由は“組織化されたレーベルポリシーの有無の差”と寺島氏は云っているが、それは当たっているかもしれない。これがサヴォイの音だ、ジャケットイメージだというものがない。レコーディングにしても然りで、極論すれば、小規模なセッション録音の取り溜めを繰り返し、少したまったら1枚にまとめて“ハイ一丁あがり”的な発想なのだ。だから、レーベルがB級なら、傘下のアーティストもB級に見られてしまう。決してそんなことはないはずなのだが・・・ ここでも3名を1枚のCDに押し込めて発売をせざるをえない録音量での冷遇振りであるが、中身は決して悪くない。
 マリアン・マクパートランド  現在では女流ピアニストの大御所的な扱いをされ、やっと正統な評価を得ているが、それでも知名度はかなり低いといって良いだろう。出自が英国の貴族らしく、容姿も高貴であるが、演奏もそれに負けず劣らず品が良い。音を例えて云うなら、テディ・ウイルソンをもっと優雅にした感じといえば分かりやすいだろう。
 バーバラ・キャロル  最近といっても6年ぐらい前であるが、ヴィーナス・レコードから新作が出ており、僕もまずまず気に入ったCDであった。この若き日のお洒落で軽妙なピアノタッチ、カクテルを飲みながらジャズ・ラウンジで聴くのが良く似合いそう。
 アデレード・ロビンス  ほとんどこのCDでしか知られていない幻のピアニスト。歯切れが良く小気味良い演奏で、先頭に配置されているのはCDの作りとしては正解だ。1曲目から軽快にスウィングし、2曲目のブルージーな演奏も上出来だ。出来るならまるまる1枚分の録音でも残っていればと期待感を抱かせるピアニストだ。
 さて、あなたは今月は何を持ってくる?


この春 2012 Part Ⅱ

2012-03-18 13:29:45 | 変態ベース

この春 2012 Part Ⅱ
                           変態 ベース
 真剣にテレビドラマを見るのは久しぶりだ。いや連続ものはひょっとして初めてかもしれない。NHK大河ドラマ『平清盛』。前作『江』の評判があまり芳しくなかったものだから、今回はその汚名返上とばかり滑り出したはずが、早々に兵庫県知事からクレームがついた。曰く、「画面が汚い」「瀬戸内の海の色が真っ青ではない」海の色はともかく、時代考証に基づくならば、あのような薄汚れた清盛の格好も、リアリティーがあって面白いと思うのだが。福原京をいただく地元としてはイメージアップを期待していたのかもしれないが、日頃よりくちさがない井戸知事のことなれば軽く受け流す方が賢明だろう。しかし何だかケチがついてしまったようで、視聴率も思うように稼げていないとか。このままでは『江』の二の舞かと危惧する声も囁かれているらしい。
 平清盛という人物は日本史では悪人扱いされている。「平家にあらずんば、人にあらず」驕れるものは久しからず。その傲慢な振る舞いによって世間からはねたまれ、後世まで尾を引いているわけだ。日本人はとかく判官贔屓、敵役の源義経の方に人気が集まる。しかし主人公が横暴なヒール・悪役のままではこのドラマは成立しない。松山ケンイチ扮する平清盛がどのように物語を導くか、今後の展開が楽しみである。


 さて劇中でちょっと気にかかったことは、挿入歌に『タルカス』が使われていることだ。『タルカス』という曲は英プログレシヴロックグループ エマーソン、レイク&パーマー(E,L&P)の名曲だ(写真上)。今回ドラマで使われているのは、作曲家 吉松 隆がオーケーストラ用に編曲したしたものだ(写真下)。もともとシンフォニックな音空間の広がりをイメージさせる曲なので、このようなオーケストラレイションも違和感を感じない。映像にもすっきりと溶け込んで、なかなかどうして面白い効果をあげているように感じた。

 この2月はやけに忙しかった。日曜日はほとんど仕事でふさがったし、平日もおいそれとは休みが取れない。忙しいのは有り難いことだが、こういう時に限って私用と重なるものだ。2月16日は楽しみにしていた大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会だった。演目はベートーヴェン交響曲第6番『田園』と、ストラヴィンスキーバレエ音楽『春の祭典』である。管弦楽曲は自宅のオーディオで楽しむのもよいが、やはりナマの迫力には及ばない。特にハルサイはどうしても生オケで聴きたかったので、早くからチケットを購入していた。もちろん自宅に帰る余裕などない。福島のシンフォニーホールへは、現場から直行。19:00開演なのでのんびりと晩飯を食う時間はなかったが、ホール手前に「なか卯」があったので、大急ぎで牛丼をたいらげすべりこみセーフ。会場に入ると自分だけかなり浮いている。それもその筈、由緒あるシンフォニーホールに清盛のように汚れた作業服のまま駆け込んだのだからバツも悪かろう。おおよそホールの清掃係かなにかと勘違いされていたに違いない。
 本日の公演で大植 英次氏は、大フィルの音楽監督をひとまず退く。名伯楽 朝比奈 隆氏の後を継いだのが2003年。今回のコンサートがその締め括りの演奏会となるが、引き続き大フィルの桂冠指揮者として関係を保っていくようだ。それにしてもこのふたつの作品の取り合わせは何とも奇妙な感じがする。チラシにあるように「古典」と「近代」。確かにどちらも2月・春に相応しい楽曲なのだけれども。はたして聴衆はどちらがお目当てだったのか。
 『田園』の光さざめく様な美しさもさることながら、やはりハルサイの地の底から吹き上がるようなリズムは感動ものだった。ステージから押し寄せる音の律動が、強烈なロックビートのように体を揺さぶる。特に打楽器群の迫力は生オケでしか体感できないだろう。古典派に比べて管楽器の種類も豊富で、見ているだけで面白い。聴き終わった後もしばらく肩から力が抜けない。音楽を聴くだけでこんなに体力を消耗するものなのか。
クラシックのコンサートは、時間に遅れるとホールに入れてもらえない。咳払いひとつにも気を使うし、途中小用で立席なんてあり得ない。どうも素人にはかたぐるしい。それでも興味のある演目は、また聴きに出掛けたいものだ。ストラヴィンスキーの他のバレエ音楽、『ペトルーシュカ』や『火の鳥』も、ますますナマを体験してみたくなった。それとブラームスの4つの交響曲、マーラーの第1番~第5番も是非とも聴きたいプログラムだ。

 ONさん宅の新年会に続き、ディアロードの2月例会も楽しく過ごせとことは、この上ない喜びである。昨年末にジャズ喫茶オープンの知らせは受けていた。それがまさか早晩このような展開になるとは予想だにしなかった。既成のジャズ喫茶とは異なる明るい店の雰囲気が、いつもとは違った例会風景を演出したようだ。惜しむらくは、座席の配置を少し変更して、全員が向かい合えるようにしておけばもっと和めたことと思う。MZさんの知り合いのジャズ喫茶Real Jazz Cafeも次なる会場に決定した。会場探しに四苦八苦していた頃が懐かしい。あの頃はOKさん宅やBlue Cityに厄介になったが、見つかる時は得てしてこんなものだ。今後はライヴの計画も勘案しながら、ローテイションを練る必要がある。但し、今までお世話になった会場のオーナーに、あまり非礼があってはならない。

 気掛かりなのは、KDさんが体調を崩し入院しておられることだ。早く快復されてまた元気に例会にお見えになることを心よりお祈りしたい。音楽をさかなにワイワイ騒いでいるだけで気晴らしになる。例会に勝る良薬はない。
また年末にお越しいただいたIKさんだが、入会のご意思があるにもかかわらず、サックスのレッスンがかぶって参加できないようだ。特別な理由がない限り例会の第3日曜に変更はない。池本さんには申し訳ないがレッスン日の調整をして頂くしか手立てがない。それと2月にはふたりの新規加入が予定されていたが、諸般の理由で叶わなかった。くどい様だが会員の募集はしばらく続ける必要があるだろう。
 尚、高瀬 進さんにはせっかく参加頂いたが、交流する間もなくあっさり退出された。謂わばプロの方が例会にお見えになるということで、個人的にはちょっとした緊張感があったのだが。レクチャーや逸話が伺えるのかと思いきや、さっさと帰られてしまってかなり拍子抜けしている。

 2月のテーマになった「ヴァレンタイン」というのは、ご存知のように人のお名前だ。My Funny Valentine のちょっと可笑しなヴァレンタイン君も、ヴァレンタインデイの由来となった聖ヴァレンタイン候も、ポルノ女優の大御所ステイシー ヴァレンタインも。ということはヴァレンタインという名のジャズマンもいるのではないか?そんな訳で、スイングジャーナル別冊ジャズ人名事典をひも解くと、予想通りジェリー ヴァレンタインというジャズマンに出くわした。この人はかつてアール ハインズやビリー エクスタインの楽団でトランペットをプレイしていた。作曲もよくする人だったらしいく、彼の作品に有名なSecond Balcoy Jumpという曲がある。この曲はデクスター ゴードンのお気に入りで、ブルーノートの『Go』でも取り上げられている。御記憶の方もおられると思うが、ちょっぴりユーモラスで愛嬌のあるナンバーだ。多分ヴァレンタインの特集ということで似通った曲が並ぶのではと思ったが、果たしてMy Funny Valentineのオンパレードとなった。Second Balcoy Jumpなら例会の雰囲気が変わって面白いだろうと考えていた。しかし直前になってもっと例会の空気を変えてやれという気分になって、敢えて『Bitches Brew』を選んだのだ。

 『Bitches Brew』に決めた経緯にはもうひとつ伏線があった。昨年、KWさんが個人特集でマイルスの『On The Corner』をかけたことがあったが憶えているだろうか。これが個人的にはかなり新鮮だった。「ああ、こんなのも例会ではありなんだ」あの時はそんな目からうろこみたいな印象だったのだ。いつも選曲には例会のムードを逸脱しないよう気を遣っていたがそれは思い違いだったようだ。一体何を遠慮していたのだろう。KWさんのように素直の自分の好きなものをかけなければ意味がない。それが例会本来の楽しみ方なのだ。今回『Bitches Brew』を選んだのもそのことが頭をよぎったからだ。


 マイルス デイヴィスは絶大な支配力/影響力を持ちながら、永遠のヒール・悪役として君臨している。あの傲岸不遜な振る舞いが、彼のイメージをゆがめ、その音楽をもミステリアスにしているのだ。例会の時、『Bitches Brew』の感想をNKさんに尋ねてみたが、マイルスの音楽は全般的にどこが良いのかよく解からないとのことだった。ジャズの帝王と呼ばれるマイルスだが、彼の音楽を理解できないという人間は潜在的に大勢いるのだ。
 白状すると私もマイルスのことがよく解からない時期があった。確かにマイルスのレコードはよく聴いた。しかしそれはサイドマンの演奏やグループとしてのテンションの高さに魅かれていただけかもしれない。あの頃、マイルスのトランペットに心の底から共感したかと自問すると、よく解からないというのがその答ではなかったか。かつて大阪ジャズクラブを主宰していたYにその話をしたら、「WDさん、あなた本当はマイルスのことが嫌いなんですよ」と切り返された。その言葉がショックというか、悔しい気がして、長い間小骨のように引っ掛かっていたのだ。解からない=嫌い(性にあってない)ということなのか。

 さて『Bitches Brew』が発表されてから既に40年以上がたった。歳月だけを考えると古典と言われても何ら不思議ではない。しかし未だにその斬新さは失われていない。このような秀作を聴くと時代の遠近感が霞んでくる。この作品によってもたらされた8ビートと電気楽器は、ジャズの世界にどれだけ浸透しただろうか。むしろ一部のファン層からはよけい敬遠される結果を招いたのではないか。ラテンビートの使われ方に比べて、8ビートの立ち位置は微妙だ。それは8ビート(ロックビート)がジャズに於いて、いまだ承認を得られてないように感じるからだ。3月の例会では、8ビートジャズを個人特集として考えている。前回の失敗を顧みず、自分の好きなものをお聴かせするが果たして吉と出るか凶と出るか。皆様の率直なご意見を伺えれば有り難い。


過小評価の人たち ~スタンリー・カウエル~

2012-03-02 21:01:47 | Jazz

過小評価の人たち        ~スタンリー・カウエル~
                                             By The Blueswalk


 1941年5月5日米国オハイオ州トレド生まれ。クラシックやジャズの研究をした後、67年にマリオン・ブラウンの『Why Not!』のレコーディングでデビューしている。マリオン・ブラウンのグループということから察せられるとおり、ちょっとアヴァンギャルドな危険な香りのするフツーじゃないピアニストだ。67年から69年までマックス・ローチのグループに入り、そこでローチの推進する黒人文化遺産や民族意識の継承に目覚め、以後、行動にも音楽的にもその影響が顕われていくことになる。また、69年にはダウン・ビート誌の「国際批評家投票」でピアノの新人賞を獲得もしている。その後、ローチのグループで一緒になった、チャールス・トリヴァーとの双頭リーダーの《ミュージックINC》を結成し、さらにその作品の発表およびディストリビュートを目的として「ストラタ=イースト」というレーベルを立ち上げ、70年代ジャズシーンに怒涛の殴り込みをかけていくことになる。
 フツーじゃないと書いたが、決してフリー・ジャズのような難解な音楽性を標榜しているわけではなく、至極まっとうなジャズである。トリヴァーと並んで新主流派の一方のリーダーと目されたところにも、それが見て取れるだろう。クラシック的な要素やアフリカ的な要素などを吸収した上でのオリジナルでユニークな力強い音楽であるといえる。

 『ミュージック・インク』は1970年11月11日録音で、双頭グループ《ミュージックINC》のファーストアルバムである。全6曲中それぞれ3曲ずつのオリジナル構成である。いずれもジャズオーケストラの迫力を前面に出したタイトでリズミカルな、それでいてそれぞれの個性溢れた演奏がよどみなくテンション高く続けられ、70年代に最も期待されたグループの面目躍如な演奏である。トリヴァーのトランペットソロとカウエルのピアノソロもふんだんに取り入れられており、特にカウエル作品においては、ユニークかつ理知的なピアノソロが異彩を放っている。70年代を代表し、しかも現代に繋がるビッグバンド演奏の典型例として記憶にとどめておくべき傑作だ。残念ながら、《ミュージックINC》としては、75年の『インパクト』の2作しか発表できなかったという結果となり、このような演奏が2作目、3作目と連続して商業路線に乗れないところに、ジャズ・マーケットでの成功の難しさがある。

 


 『幻想組曲』は1972年11月の録音。スタンリー・カウエル名義の第1作で、ピアノ・トリオ作品。1曲目の“マイモウン”のイントロを聴いただけで、知的で透明感のあるピアノが聴く者の心を掴んで離さないだろう。それほど、インパクトがあり、美しくも力強いピアニズムなのだ。それに続く、スタンリー・クラークのベース(アルコとフィンガーの多重録音のようだ)とのアンサンブルにはゾクゾクっとさせられる。2曲目は一転、エレピを使用し、リターン・トゥ・フォーエヴァー的フュージョンタイプの乗りの良い軽快な演奏だ。3曲目のイントロはどっかで聴いたことのあるメロディだが、思い出せない。そういうことで、1曲ずつ書いていったらキリがないし、どこが“組曲”なのか僕には理解できないが、カウエルの代表作であることに間違いない。

 


 『ムサ』は1973年12月10日録音のソロピアノ作品。“ムサ”とは、カウエルのアフリカン・ネームから採られているとのことで、いわゆる1人称ジャズといったニュアンスが強い。全9曲ともカウエルのオリジナル曲で、内8曲はすでに発表済みをソロピアノに焼きなおしてのレコーディングということでもその意図が明解だ。確かなテクニックに裏づけされた力強いピアニズムと時代の最先端に立ってジャズの再構築を目指そうとする意欲が結びついた、稀に見る美しい結晶が見事に結実した傑作だ。ダラー・ブランド(アブドゥーラ・イブラヒム)の『アフリカン・ピアノ』と並び称されるといってよい。カウエルのピアノを聴くならこの作品が最も適しているだろう。

 


 『リジェネレーション』は1975年4月27日録音。ジャケットがアフリカのイエス・キリスト?と思わせる大胆なイラストに驚いてばかりではいられない。まずはエド・ブラックウェル他3人によるアフリカン・ドラムのポリリズムの中、男女のヴォーカルに管楽器を思わせるカウエルのシンセサイザーが絡んでいく。ポップになりすぎたかと思いきや、2曲目は打楽器とも、弦楽器とも聴き分けがつかない、まさにアフリカ的リズムの素朴なエスニック・ミュージックとくる。モロッコの三弦楽器であるとの解説でなるほどと納得。次はピッコロとドラムによるマーチング・バンドが繰り広げる踊りたくなるような軽快なリズムが身体を揺さぶる。さらには、ゆったりとしたハーモニカとピアノのユニゾンでハモるスロー・ブルースとくる。まあ、息もつかせぬバラエティに富んだ演奏のオン・パレード。全体を貫くのはアフリカを起源とするアメリカ南部のブルース、カリブのレゲエ、アフリカの民俗音楽を坩堝に投げ込んでその中からエキスを搾り出した黒人のソウルだ。

 


 『恋のダンサー』は1999年6月17日録音。ヴィーナス・レコードに罹ると、人間こうも変わってしまうのか?ハイパー・マグナムという高品質音響効果に胡坐をかいたイージーな企画に誰もが堕落してしまう。スタンリー・カウエルもその犠牲者の一人だった。カウエルにスタンダードを弾く必然性は何処にもないのに売れんがために墓穴を掘った結果がこのCDに凝縮された。成熟したと取るか、堕落したと取るかは聴者の自由意志であり、勿論、『リジェネレーション』から時間的に25年も経ている訳だから変わって当然だ。80年代にはアート・ペッパーの録音にも参加しているし、90年代の「Steeple Chase」の諸作品には70年代の時代を牽引しようとする気概と情熱は失われていなかったと思えるし、これらの作品の出来も論じる必要があるとは思うが、しかし最新のスタンリー・カウエルを象徴する録音としてこの『恋のダンサー』における凋落振りには目を覆わざるを得ないというのが僕の本音である。
 70年代のスタンリー・カウエルの諸作品に対し“昔はよかったね”ではなく、これらの遺産を継承して現代に再構築する気概のあるジャズ・ミュージシャンの出現を心待ちにしている。そうでなければ「ストラタ=イースト」の掲げたジャズの再構築という音楽理念があだ花に終わってしまいかねないという危惧を抱いている今日この頃である。