ゴールデンウィーク中に開催されていた 「イタリア映画際2010」。何本か興味ある作品はあったのだが、なかなか予定が合わず、なんとか1本観ることができた。
フランチェスカ・コメンチーニという女性が監督の 『まっさらな光のもとで』 という作品で、ひとりの女性としてそして母であることをテーマに、女性ならではの視点で描かれた作品。
30代後半のマリアは、離婚後夜学のイタリア語教師をしながら自立して生きていた。
ところが、映画館で知り合った男性と付き合い、予期せぬ妊娠。出産を望まない男と別れ、ひとりで出産するも、早産で我が子は保育器の中。
自発呼吸が出来るようになるかどうかもわからないまま、じっと見守るしかない毎日が続き、母親になれるかどうかただ待つだけの日々。時間だけが過ぎて行った。
仕事仲間や教え子らに支えられながら、やがてマリアに明るい光が射し込み、頑張って生きていこうと思える未来が開ける。
とまあ、話の流れはざっとこんな感じ。
まず、映画館で知り合った男性といつの間にそういう関係になっていたんだ?という素朴な疑問があった。
その男性は、赤ちゃんを連れて観に来ていた男ヤモメで、途中で赤ちゃんが泣きだしたので映画館を出て行き、観終わったマリアが外に出るとベンチにその男性がいて、マリアが “最後まで観るべき映画よ” というようなことを言って声を掛けたのだった。でもふたりのアプローチは描かれず、あとは殆んどいい関係だった頃の回想シーンだけだった。
それにしてもこのマリア、後先のことを考えずに行動しすぎ。自分で男を引っ掛け、妊娠して捨てられる。妊娠がわかっても煙草は吸うわ、お酒は飲むわで、瀕死状態の子供を目にして初めて現実を自覚するのだった。
ところがマリアさんったら、またまたイケメンの若い医師と出来ちゃうだなぁ・・・これが。全く懲りない女性だ。
30代後半という設定なのだが、疲れ果てた顔は40代後半に見えた。それでもイケメンを誘惑するマリア。彼女のどこに魅力があるのか、私にはわからなかった。
6ヶ月という異例の早産で、医師もどうなるかわからぬまま時は流れて行き、何もできない歯がゆさゆえにイラつくマリア。でもその長い時間の間に起こることが、この作品中でいちばん人間味のある場面だった。
同じアパートに住む女検事のちょっと重い話に母親として考えさせられ、新生児室で知り合った若い女性は、同じような境遇でもポジティブ。その彼女とは最初はギクシャクしていたが、やがて仲良くなり、お互いに励まし合う。
離婚した元旦那に会いに行き、マリアがアパートに連れてきた時は、まさかここでヨリを戻すのか?と思ったが、これについては元旦那に理性があって良かったと思った。
仕事仲間でもあり友達でもあるファブリツィオは、本当によき理解者で、彼と結婚すればいいのにと、ふたり一緒のシーンを見る度に思った。
教え子たちも、いろんな境遇でいろんな悩みを抱えている大人たち。マリアは、彼らからも逆にいろいろ教えられて行く。
原題の 『Lo spazio bianco』 の意味は “白い空間” だが、この映画では空白の時間とも取れる。それは、マリアがただひたすら待つだけの孤独な時間。学業に費やせなかった空白の時間を取り戻そうと頑張っている生徒達からは、その空白も大切なことだと学ぶ。
男に関してだらしのないいい加減な女性だという印象が強いマリアだったが、我が子を見守る日々の中で、母親として人生を取り戻そうと自分を見つめ直して行く姿には共感できた。
無事に保育器から出ることができた我が子を胸に抱きしめるマリアを見て、頑張ってほしいと応援したくなる最後だった。