マリさんの事も気懸かりですが、白浜の自宅で介護をしている親父のことはもっと気懸かりでした。
7月26日午前0時、お袋から携帯への突然の電話です。
23時頃寝付いたばかりのところへの電話だったので、お袋の緊迫した状況を理解するのにちょっと時間がかかりました。
「おじいちゃんがね、どうもだめらしい、朝まで持つかどうか・・・・」
「・・・・」
「聞いてる?」
「ウン、聞いてるよ。」
隣の自分の部屋からそんなやり取りを聞いていたエリさんが私の部屋へ飛んできて、
「お父さん、すぐに行くよってお婆ちゃんに言って、私が運転するから。」
「わかったお袋、これからすぐにそっちへ行くから、4時までには着くよ、心細いだろうががんばって。」
すぐに埼玉に住んでいる兄貴に連絡して白浜へ向かいます。
頭がボーっとしている私に代わってエリさんが運転してくれます。
真夜中のアクアラインはすいています。
2時40分にはもう富津ICです、もう館山です、後20分ほど一般道を通って白浜です。
ちょうどそこへお袋から2度目の電話です。
「おじいちゃんがいま息を引き取ったよ、間に合わなかったね。」
「・・・・・わかった、今館山に着いたからもう20分ほどでそっちにいけるからそれまでがんばってくれ。」
「待ってるから頼むね。」
・午前3時
白浜に到着、玄関を入って親父の部屋へ行くとお袋がほっとした顔をして、
「早かったね、あっエリちゃんも来てくれたんだ、ありがとう。」
いつも来てくれる訪問看護士さんが親父を清めてくれています、あわてることもなくお袋が緊急連絡したのでしょう。
これでやっと肉体に縛られない自由な世界へ飛び出せるぞとでも言いたげな、まったく苦しんだ後がないきれいな顔をした、97歳の旅立ちです。
先週来たときには右側を向いて寝てばかりいたので顔の右側が”お岩さん”のように点滴の水分が顔にたまっていたのですが、今はまったくその腫れもなくきれいな顔をしています、うそのようなきれいな顔をしています。
看護士さんが「可哀想なんですけど、いつも下になっていた右腕は水分がたまってパンパンに腫れているんですよ。」
介護ベッドの上に仰向けにしてくれ、体の清掃を終えた看護士さんが「朝の6時にY先生が来て確認をしてくれルことになってます。」と言って帰っていきます。
・午前6時
Y先生が来てくれ、親父の旅立ちを確認。
「死亡時刻は2時38分と聞いていますが間違いないですね? 『診断書』を書いておきますので8時過ぎに私の病院へ取りにきてください。」
・午前8時
私の長男:トモさんが館山駅へ到着するので私が駅まで迎えに行き、その足でY先生の病院で『診断書』をもらい、そのまま白浜の市役所へ『死亡届』を提出し『埋葬許可証』をもらいます。
親父とお袋は白浜へ住み着いた約40年前に千葉医大に『献体』の手続きをしていますので、『死亡診断書』と『埋葬許可証』が必ず必要なのです。
これで『献体』に必要な書類が整います。
・午前9時
千葉医大へ『献体』の連絡です。
「ご遺体はどのような状態で安置されているんでしょうか?」
「介護ベッドに安置していますが、今日は外がかなり暑くなってきているので心配なのですが。」
「そのままでは『献体』出来ない体になってしまいますので、ドライアイスを体の周りに置き、その上から布団をかぶせて冷やしてください。」
「わかりました。 私の兄が今晩こちらへ着ますので、『献体』の日時を明日27日午前中にお願いできませんか?」
「では明日7月27日12時頃に伺います。」
「よろしくお願いします。」
・午前9時30分
本日の外気温は30度を超えています、ドライアイス探しです。
Y先生の病院で聞けば分かるかと思いエリさんとトモさんに行ってもらいます。
病院でも大量のドライアイスをどこで手に入れられるか分からず、困っているとたまたま病院の前に葬儀社があったのですが折り悪くその事務所は今日はお休みで、でも隣町の千倉事務所に連絡が取れ、棺おけとドライアイスの手配をします。
大量のドライアイスってなかなか手に入らないものなんですね。
・午前10時30分
葬儀社の方が到着。
介護ベッドの親父を、葬儀社の2人、トモさん、私の4人で棺おけに移動します。
枯れ木のようですがなかなか重いです。
安置した後に旅立ちの支度です。
まず足に白足袋と脚絆、腕に手甲を付け、胸に数珠を置き、白装束の経帷子をパジャマのままの親父の上から来ているようにおき、その左懐に三途の河原の渡し賃の六文銭が入った財布をおきます。
そして右腕の脇には転ばぬ先の杖、左腕の脇には白い三角布をつけた旅路の日よけ用の草で編んだ笠を一緒に納棺します。
そしてもちろん大切なドライアイスを入れます。
ドライアイスはちょうどレンガの大きさのものを12個も入れてくれます。
これは普段の倍の量だそうで、明日の千葉医大までの搬送用には同量を追加する必要があるとかで、明日朝補充に来てくれるとのこと。
本当に助かります。
・午後3時
兄弟のように育った従兄弟の二人が到着。
親父も喜んでいることでしょう。
二人はとんぼ返りで帰らなくてはいけないので、2時間ほど親父と過ごして帰宅していきます。
・午後8時
遠方から兄貴が到着。
正月以来会っていない親父に対面。
泊まって明日の『献体』引渡しを一緒に行います。
・7月27日8時30分
葬儀社の方が補充用のドライアイスを持ってきてくれ、中へ入れてくれます。
額に触れると冷たくちょっと湿った感じがします、今にも息が吹き返すような感覚にとらわれます。
・12時
千葉医大の方が到着。
『献体』の詳細説明を聞き確認書類にサインし、いよいよ運び出しです。
ストレッチャーまで4人で運びますが棺は結構重いものですね。
医大と契約している業者の目立たない色の霊柩車に納め、いよいよお別れです。
足の悪いお袋、兄貴夫婦と娘のリカさん、私とトモさん、エリさんの7人で見送りです。
・午後2時
ケアセンターの方が到着、さあ今度はレンタルしていた電動介護ベッドの分解・運び出しが始まります。
手際よくてきぱきと分解し、あっという間に狭い四畳半が広々とします。
買い込んだ大量のオムツ、パッドや汚れ防止シーツを施設で活用してもらえるとのことなのでケアセンターに差し上げます。
さあ今度は一人残ったお袋の生活を補助してくれるヘルパーさんの打ち合わせを行います。
「要支援1」のお袋が使える介護保険の範囲内で受けられるサービスとして、週2回のヘルパーさん派遣が受けられます。
ゴミだし、掃除、洗濯、料理等おふくろが一人で生活できるようにヘルパーさんに来てもらう日時を打ち合わせます。
あわただしく親父は一人で旅立ちました。