なぎら 健壱 「町のうしろ姿 都電沿線2006年夏」 岳陽舎 2006.12.10.
人は町のうしろ姿に気がついてあの頃はと振り返るもうそこに“あの頃”はいないのに繰り返しては口に出ず幾度もあの頃思い出す 久しぶりに訪れた鬼子母神の境内は変わっていなかった。境内に辿り着くまでのうっそうとした並木も、境内の駄菓子屋も、同じ顔を見せてくれていた。なんとなく眼に入る緑が、幼いとき見た武蔵野辺りの風景とオーバーラップした。 木漏れ日の中にたたずんで、心地よい風を頬に感じていると、そこにほっとする自分がいるのを発見する。しかしそのとき、それとは裏腹な気持ちが心に浮かんだ。いずれこの辺りの風景もなくなってしまうのではと。 場所と景観がオーバーラップした武蔵野も、そして下町も山の手の区別もつかない、東京は平べったい町になってしまった。確固たる区別さえなくなってしまった。そんなことを考えていると、途端に現実に引き戻されてしまう。 この界隈を撮影しておかなければ…‥。それならば都電沿線か。 三ノ輪橋や町屋は本来の下町ではない。しかし、下町然としている。要するに本来の下町が下町色を失っていく中、荒川区界隈も拡大した下町の仲間入りをし、下町らしさを残してくれている。それすら、だんだん希薄になってきている。“らしさ”を失いつつある。 やはり写真を撮るなら、都電沿線しかない。 降り立った鬼子母神の駅前で、愕然とさせられた。そこにあったはずの鶏肉店が忽然となってしまっている。昔はどこでも見かける、たたずまいのいい店舗だった。それが跡形もなく消え、工事中の無味な塀で囲まれていた。この場所を撮影したのはそんな昔のことではない。わずか2年ほど前である。それが消えてしまっている。 しかしそれを単に偶然だと片づけてしまうのは、怖いことである。つまり東京は刻一刻と変わっているのだ。これは偶然なんかじゃない、必然的に眼に入ったのだ。今この時間にも東京は変わりつつある。消えてしまっているものがある。 都電の停留所は全部で30。それを変則的に歩いた。本当に我ながらよく歩いたと思う。歩いて知ったことは、普段いかに我々は町を見ていないかということであった。都電沿線全てを考えると、あまり馴染みのある場所ではなかったが、これがよく行き来している馴染みの場所であっても、同じこと。見ようとしなければ、町は見えてこない。町を愛でれば、必ず新しいものが見えてくる。町がそれを見せてくれる。
人は町のうしろ姿に気がついてあの頃はと振り返るもうそこに“あの頃”はいないのに繰り返しては口に出ず幾度もあの頃思い出す 久しぶりに訪れた鬼子母神の境内は変わっていなかった。境内に辿り着くまでのうっそうとした並木も、境内の駄菓子屋も、同じ顔を見せてくれていた。なんとなく眼に入る緑が、幼いとき見た武蔵野辺りの風景とオーバーラップした。 木漏れ日の中にたたずんで、心地よい風を頬に感じていると、そこにほっとする自分がいるのを発見する。しかしそのとき、それとは裏腹な気持ちが心に浮かんだ。いずれこの辺りの風景もなくなってしまうのではと。 場所と景観がオーバーラップした武蔵野も、そして下町も山の手の区別もつかない、東京は平べったい町になってしまった。確固たる区別さえなくなってしまった。そんなことを考えていると、途端に現実に引き戻されてしまう。 この界隈を撮影しておかなければ…‥。それならば都電沿線か。 三ノ輪橋や町屋は本来の下町ではない。しかし、下町然としている。要するに本来の下町が下町色を失っていく中、荒川区界隈も拡大した下町の仲間入りをし、下町らしさを残してくれている。それすら、だんだん希薄になってきている。“らしさ”を失いつつある。 やはり写真を撮るなら、都電沿線しかない。 降り立った鬼子母神の駅前で、愕然とさせられた。そこにあったはずの鶏肉店が忽然となってしまっている。昔はどこでも見かける、たたずまいのいい店舗だった。それが跡形もなく消え、工事中の無味な塀で囲まれていた。この場所を撮影したのはそんな昔のことではない。わずか2年ほど前である。それが消えてしまっている。 しかしそれを単に偶然だと片づけてしまうのは、怖いことである。つまり東京は刻一刻と変わっているのだ。これは偶然なんかじゃない、必然的に眼に入ったのだ。今この時間にも東京は変わりつつある。消えてしまっているものがある。 都電の停留所は全部で30。それを変則的に歩いた。本当に我ながらよく歩いたと思う。歩いて知ったことは、普段いかに我々は町を見ていないかということであった。都電沿線全てを考えると、あまり馴染みのある場所ではなかったが、これがよく行き来している馴染みの場所であっても、同じこと。見ようとしなければ、町は見えてこない。町を愛でれば、必ず新しいものが見えてくる。町がそれを見せてくれる。