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芸術とスキャンダルの間 戦後美術事件史

2006-09-15 23:23:21 | BOOKS
大島 一洋 「芸術とスキャンダルの間 戦後美術事件史」 講談社現代新書 2006.08.20. 

【偽物?ガンダーラ美術の傑作 奈良国立博の「菩薩」展】 
「奈良国立博物館(西川杏太郎館長)が開いている特別展「菩薩」に古代ガンダーラ美術の傑作として出品されている「石造弥勤菩薩立像」が、ガンダーラ美術研究家として知られる田辺勝美・古代オリエント博物館研究部長によって「10年くらい前につくられた偽作」と指摘され、今後、真偽をめぐって大きな論争に発展しそうだ。」昭和62年(1987)5月2日付の「毎日新聞」に載った記事である。 
田辺勝美がこの菩薩像を初めて日にしたのは昭和61年で、アメリカのクリーヴランド美術館で開催された展覧会カタログ『クシャーン彫刻』。一見して贋作だと判断。それが奈良博の特別展「菩薩」のポスターになっていたので驚愕する。オープン前の内覧会で現物に当たった田辺氏は4月30日付の質問状で、計13項目を指摘。作品をオリジナルとする同館の見解を文書で回答するよう求めている。質問状にたいする奈良博からの回答はなかった。それどころか田辺の贋作説のマスコミ報道のおかげで「菩薩」展は史上3番目の入場者を数えるという大成功に終わった。 
しかし、展覧会終了まで沈黙していた購入者「亀廣記念医学会」の理事長・亀廣市右ヱ門が動きはじめた。購入代金37万5,000ドル(当時の為替レートで5,800万円)。奈良博の館員がニューヨークの古美術商ウィリアム・H・ウォルフから買う約束をしたが、奈良博の予算は1点3,000万円で、とても買えない。そこで引き受けたのが「亀廣記念医学会」だった。奈良博の仲介だから信用したのである。亀廣は精神科医であり僧籍の身でもあった。仏像購入は病院の患者の精神療法になるという期待もあった。 
亀廣のもとへは贋作情報がどんどん入ってきていた。そこで奈良博に田辺勝美と論争するよう求めた。奈良博はしぶったが、仕方なく「ガンダーラ仏研究協議会」を非公開の形で7月3日におこなった。出席したのは西川館長ほか奈良博から5人と田辺氏。第3者的立場の高田修・元東北大教授らインド美術史、彫刻、文化財保存科学の専門家7人の計13人で、亀廣氏もオブザーバーとして同席した。協議会で、田辺はまさに十字砲火を浴びる感じであった。面罵、怒声が飛び交い、まるで軍事法廷。座長である樋口以外は「贋作の根拠がない」と述べ、「贋作の根拠がなければ本物だ」と、奈良博はその趣旨の見解を発表。が、樋口座長は会議の公式見解として、「本物であるとも偽物であるとも断定はできなかった」とした。 
購入者の亀贋市右ヱ門は、協議会の結果に失望し、みずから其贋の調査に乗り出す。仏像の写真に英文の細かい註釈をつけたパンフレットを自費でつくり、世界16カ国200カ所の美術館、博物館、研究者などに発送して判定をあおいだ。その結果、35通の返事があり、そのうち本物説は1通だけで、贋作説、あるいは「疑わしい」としたのが11通、他は専門家が不在だったり、判定不能だったり。パキスタン政府考古局博物館総裁アフマッド・ナビ・ハーン博士からの返答は「本物のようには見えないことが判明した」とあった。 
こうした調査依頼をしながら、研究協議会終了後、ガンダーラ仏を東京の田辺のいる古代オリエント博物館に移し、?線検査などをおこなった。その結果、仏像が「寄せ石づくり」の贋作であることが判明した。昭和63年(1988)3月8日の国会で取り上げられ、中島源太郎文部大臣が「今の経過では、これは本物である」と発言したため、亀廣はついに決断。亀廣記念医学会が(奈良国立博物館の仲介で偽物の仏像をつかまされ、損害をこうむった)として、国を相手に約5,500万円の支払いを求める国家賠償請求訴訟を大阪地裁に起こした。これにたいし、奈良国立博物館側は、責任を否定して全面的に争う構えで、仏像の真偽論争は、法廷で争われることになった。裁判は最高裁までいったが、美術品の真贋に裁判所は関知しない、ということで終わった。裁判所は白黒をつけることを避けた。 
ガンダーラ仏は現在、枚方市の関西記念病院のホールに安置されている。

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