竹林の愚人  WAREHOUSE

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ルノワールは無邪気に微笑む

2006-12-08 22:02:53 | BOOKS
千住 博 「ルノワールは無邪気に微笑む」 朝日新書 2006.10.30.

芸大、美大を卒業して、プロの画家になって活躍しているひとの数は、全部の大学合わせてせいぜい年に2、3人です。ましてそれなりに名が知られるようになる画家は、数年に1人もいればよい方です。 
東京芸大の場合、学生は全員すぐれた資質の持ち主です。しかし卒業して10年経って、画家として生活しているのはそのなかでもごくわずかです。 
ではどこに差があったのか。それは作品の差ではなく、打たれても打たれても舞台に立ち続けたかどうかだった、ということではないでしょうか。 
画家になりたいのなら、どんなに失意の連続だったとしても作品を公に発表し続けることです。発表という場数を踏めば踏むほど、舞台が大きければ大きいほど、少しずつでもよくなっていくものです。芸術とはコミュニケーションの一種ですから、こうやってひとの目に触れるなかで初めて見出されてゆくのです。 
いくつもの入試審査や展覧会の審査をやって来ましたが、才能は、人前に出される限り必ず見出されます。私も卒業後はテレビディレクターになって文化番組の制作をやりたいと考えていたのですが、何かの番狂わせのように作品が芸大の買上げになってしまって、それなら、どんなに苦しくても画業でやっていこうと決心したのです。 
しかし最初のころは展覧会に出しても落選ばかりで、なかなか注目されるには至らない日々でした。ニューヨークに渡り、30代半ばになってやっと外国で見出された感じだったのです。私に合う舞台は日本ではなかったということです。この経験から、私は何かをやろうとして上手くいかないときは、やりたいということに問題があるのではなく、その舞台の設定にこそ問題がある、と感じるのです。 
打たれても打たれても発表をし続けることです。決して現場から逃げてはいけない、と思います。特に第一線を生きるということは、各方面から、ときとして猛烈に打たれ続けることです。打たれ強くなくては生きていけません。負けなかったひとが、その世界の歴史を作る、ただそれだけのことです。成功者とは、成功するまでやったひとのことです。

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