私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

この漫画、誰か分かりますか?

2011-05-15 13:07:04 | Weblog

 この漫画、誰だかお分かりですか。

             

 

 大正14年(1925年)加藤高明内閣の時に逓信大臣であった犬養毅の漫画です。此の時、既に70歳でした。その途中で大臣の職を辞し、独り富士見高原の山荘に引きこもり、そこで静かに余生を送ります。でも、世間はそれを認めません。次の総選挙の時に、地元岡山の支持者たちが、勝手に立候補させて、勝手に当選させてしまうのです。70歳になっても、当時の日本では、まだ、その人物を国際的にも国内的にも政治の舞台に無理やりにでも引っ張り上げなくてはならないほどの特異な人物だったのです。それだけ当代に希有な人物だという証明にもなります。
 備中庭瀬て生まれています。

 このようにして、彼は、いやいやながらでも政界に復帰させられます。そして、又またいやいやながらに、今度は政友会の総裁にまでならされます。さらに、そのいやいやは続きます。そして、ついに、昭和6年には内閣総理大臣に任命される羽目になります。いやだいやだの人生行路の末日が近づいている事にも気が付かずにです。この時、当の犬養の頭髪は薄く真っ白でしたが、斎藤実盛よろしく黒く染めて総理に就任したという逸話まで残っています。
 その彼が翌昭和7年(1932年)5月15日、そうです、今日、総理官邸で海軍の青年将校の為に暗殺されます。その事件が5・15事件なのです。
 「話せば分かる」と云う言葉はあまりにも有名です。しかし、彼がその死ぬ間際になって行った言葉の、その言葉の出所をお知りのお方はいないのではないかと思われます。どうでしょう。

 私は彼の書を一幅持っています。その中には次のような文言は書かれています。

        

 

 「心静則衆事不躁」と。
 これは「心静かにして、ゆっくりと話し合いをすれば、そん何ワイワイ騒ぎたてる事はなく、総てのものは解決できますよ。話し合う事が大切だ」。
 と、云う意味なのだそうです。
 これこそ、彼の最期の言葉、「話せば分かる」の元になった原典ではないでしょうか。

 5・15事件の日ですので、特別に犬養毅に付いて書いてみました。
 


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