ガラパゴス通信リターンズ

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死刑執行人の哲学

2007-07-03 07:45:31 | Weblog
 日本のマスコミ報道の馬鹿ばかしにはあきれ果てる。光市の母子殺害事件での被告側の反論に轟々たる非難を浴びせている。これがテレビのトップニュースで報じられることだろうか。たかだか裁判の過程での一つの出来事でしかない。弁護団への非難も高まっている。このままでは殺人犯の弁護を引き受けた弁護士には、即「懲戒請求」がつきつけられかねない勢いである。

 刑事裁判は本来、むごたらしい事件を生み出した背景を明らかにして、そうした悲劇の再発を防ぐ、社会の学習過程としての機能を担っていると、かのG.H.ミードも言っている。ところがいまの日本人は裁判とは復讐劇やリンチの場であると勘違いしているのではないか。

 むごたらしい事件が起きるのは、いまに始まったことではない。経済の調子のいい時には、この手の事件が起きてもヒステリックな反応は起きなかった。年金問題がいい例だが、この国はもはや崩壊のふちに立っている。体制側は人々の憎悪やフラストレーションのはけ口を必死で探そうとしている。権力にむかうべき憎悪を凶悪犯罪を犯した人間に向けようとしているのだ。

いや、フラストレーションのはけぐちなどという生易しいものではない、と関曠野さんはいっていた。持てる者と持たざる者、中高年と若者、そして東京と地方の格差は絶望的なまでに広がっている。日本は実質的分解状態にある。そのなかで日本人という想像を維持するためにある種の人種主義が採用されているのではないかと、関さんはいう。極悪非道の人間という擬似人種を作り出して、それに対する共通の憎悪によって国民をたばねようというわけである。

 「犯人を死刑に!」と絶叫するテレビと、松坂、イチロー、ゴジラへの熱狂は、コインの表裏の関係にある。ヒルズ族とワーキングプアの境遇はかけ離れている。共感しあえる部分はどこにもないだろう。そんな彼らであっても、光市の元少年への憎悪は共有できる。松坂の快投にも、ともに喜びを覚えることができるのだ。

2 コメント

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なんかわかります (立読師)
2007-07-14 03:53:45
加齢御飯さんの話を読んで
確かにそういう傾向があるなぁ
と思いましたです

最近朝は○のもんたの朝ズバッ!見てるんですが
いや 忙しい朝に放送内容から時間が計れる
ていう理由で見てるんですが

この番組なんて 凶悪犯罪者に人権認めてないですよ
○のさんのコメントなんて 犯罪者死すべし
という感じで 
実際こういう人たちは隔離しちゃったほうがいい
というようなことをぎりぎりの表現で言ってますしね 
政治関係のニュースより取り上げ方がヒステリック 無駄に時間を割いていると思います
裁判員制度がコワイ (加齢御飯)
2007-07-14 12:57:25
 「この番組なんて 凶悪犯罪者に人権認めてないですよ
○のさんのコメントなんて 犯罪者死すべし
という感じで 」

 立読師さま。ようこそ。そうですか。み×はそんなあおりをやっているんですか。「めざましテレビ」の大塚さんはまだしも穏やかですよ(笑)。しかしメディが「犯人死すべし」なんてキャンペーンやってる国で裁判員制度なんかはじめたらどうなっちゃうんでしょうか。