「私に言わせれば、佐高も赤木も五十歩百歩です」。
足踏堂様。おっしゃることはわかります。私も赤木さんに対する評価を掌を返したように変えたわけではありません。ただ彼の主張の正当な部分を認めないのはフェアな態度ではないと考えるようになったということです。もちろんエントリーのなかに述べたように異論は多々あります。
「丸山真男」論文のなかで彼はワーキングプアと自分たちを一緒にしてくれるな。一度も正当な社会的承認を得ることができなかった自分たちの苦しみは彼らとは比べ物にならないといっています。これは、病の隠喩を使えば腰痛もちの人が、痛風もちの人に向かって「お前より俺のほうがよほどつらいんだ」といっているようなものです。これは佐高が赤木さんに向かっていったことと選ぶところがありません。佐高と赤木は50歩100歩という足踏堂さんのご指摘は当たっていると思います。
「俺のほうがこんなやつらよりよほど不幸なんだ」という論法は、それこそ不幸自慢合戦を呼ぶものでしかありません。それは、弱者を分断し、結局は強者を利するものでしかありません。これが赤木さんに対していまも抱く異論の一つです。
赤木さんが相対的に恵まれているというのもそのとおりだと思います。親の家に住めるというのもそうですし、『若者を見殺しにする国』を読むと、その学識は尋常ではありません。30になったばかりの若者が、ヴォネガットやそもそも丸山真男を知っているということにびっくりします。彼はネット時代の独学者なのか、もともと文化資本に恵まれているのか。そこはわかりません。
本を読みものを書くという作業には時間的金銭的ゆとりが必要です。親を頼らず、一人暮らしでフリーターでは、まったくそんなゆとりはもてないでしょう。それどころか餓死の危険と背中あわせになります。恵まれた環境を生かした赤木さんは立派だと思うだけに、弱者同士の反目を煽るような論法が惜しまれます。それにしても親元にいることを所得とみなして親同居税をとれという、『パラサイト・シングルの時代』の著者の主張はあらためて残酷なものだと思いました。
足踏堂様。おっしゃることはわかります。私も赤木さんに対する評価を掌を返したように変えたわけではありません。ただ彼の主張の正当な部分を認めないのはフェアな態度ではないと考えるようになったということです。もちろんエントリーのなかに述べたように異論は多々あります。
「丸山真男」論文のなかで彼はワーキングプアと自分たちを一緒にしてくれるな。一度も正当な社会的承認を得ることができなかった自分たちの苦しみは彼らとは比べ物にならないといっています。これは、病の隠喩を使えば腰痛もちの人が、痛風もちの人に向かって「お前より俺のほうがよほどつらいんだ」といっているようなものです。これは佐高が赤木さんに向かっていったことと選ぶところがありません。佐高と赤木は50歩100歩という足踏堂さんのご指摘は当たっていると思います。
「俺のほうがこんなやつらよりよほど不幸なんだ」という論法は、それこそ不幸自慢合戦を呼ぶものでしかありません。それは、弱者を分断し、結局は強者を利するものでしかありません。これが赤木さんに対していまも抱く異論の一つです。
赤木さんが相対的に恵まれているというのもそのとおりだと思います。親の家に住めるというのもそうですし、『若者を見殺しにする国』を読むと、その学識は尋常ではありません。30になったばかりの若者が、ヴォネガットやそもそも丸山真男を知っているということにびっくりします。彼はネット時代の独学者なのか、もともと文化資本に恵まれているのか。そこはわかりません。
本を読みものを書くという作業には時間的金銭的ゆとりが必要です。親を頼らず、一人暮らしでフリーターでは、まったくそんなゆとりはもてないでしょう。それどころか餓死の危険と背中あわせになります。恵まれた環境を生かした赤木さんは立派だと思うだけに、弱者同士の反目を煽るような論法が惜しまれます。それにしても親元にいることを所得とみなして親同居税をとれという、『パラサイト・シングルの時代』の著者の主張はあらためて残酷なものだと思いました。
ただ、ひとつ言わせていただきたいのは、赤木氏にネット上で共感している層に、私自身は絶対にコミットしてはいけないと思うのです。そして、その層の多くは大卒、あるいは院くらいまでは行った層である気がするのです。
先生が赤木氏の学識を認められるように、彼に共感する層も、ある程度の学識を持って語っています。私が彼らの中に感じるのは、中流(あるいはそのちょっと上)階級の不満なのです。
私はそうした層の不満をおかしいなどというつもりはありませんが、率直に言って、そうした物言いにジェラシーのような腹立たしさを感じます。彼らはこの国の「若者(全般)」の状況を改善しようと考えているように感じないのです。はっきり言ってしまえば、集団的な自慰行為にすら感じられます。
そもそも、私のような人間にとって、「赤木氏が流行っている」なんて気付きもしませんでしたし、未だにそんな流行は実感していません。
彼が文化人の間にどれだけのインパクトを与えたのかはわかりませんが、彼(ら)の主張がほんとうに社会的なものに結びつくのかというところに疑問を持っているのです。
全共闘の世代が結局思想なんかなく一般企業の幹部になっていったように、赤木氏(たち)だってそれを求めているんじゃないかとさえ思うのです。
足踏堂さんは間違ったことは何もおっしゃっていないと思います。赤木さんの言辞を理解するためには相当な知力が必要だというのもそのとおりです。赤木さんの文章は年長世代への知的挑発だと私は受け止めています。だからこうして大騒ぎして挑発に乗っているのです(笑)。しかしそれでは、若い世代の広い共感を集めるということにはなりません。60年代の若者の反乱は、知力の高い若者の書いた論文をきっかけに広まっていったものではありません。若者たちを鼓舞したのは、音楽や演劇やマンガや様々な対抗文化の波でした。若者の窮境を訴え、もてるものを嘲笑するような対抗文化ー具体的には音楽とお笑い等ーが出てこないと、なんだかだめな気がしています。
私も14年間悩まされました。
私が考案した腰痛解消法をお試しください。
【3分腰痛解消法】で、検索すると見つかります。
腰をお大事に。
放置していると将来大きな治療費を払わなくてはなりません。
また「自己責任」「甘えるな」「イマドキの若者は」などの民間療法は効果がないだけでなく、「戦争待望」などの恐ろしい副作用を起こす可能性があります。
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あいさま。おっしゃるとおりです。ただこの世には糖尿病、膠原病、前立腺肥大、アトピー性皮膚炎、喘息…。実に様々な病気=不幸があります。そこに序列をつけてはいけませんね。すべての不幸や屈辱や悲しみは平等なのであり、そこに序列をつけてはいけない。佐高を批判する中でそうしたすばらしいことをいいながら、赤木さんは自分で自分のことばを踏みにじっている。そこが残念でなりません。金子みすずではありませんが、不幸というのは「みんなちがってみんなたいへん」なのです。
まつもとさん。「憲法9条が若者を見殺しにする」というタイトルだったら、最初からぼくらも赤木さんに好感をもっていたでしょうね。だってそれは真実なのだから。だけれどもそれじゃあ絶対「論座」には載らない。もし載ってたら、世論とりわけ護憲派の反発は「戦争待望論」の比ではなかったはずです。朝日はずるいと思います。