鳩山法相の「死刑は自動化すべき」(確定判決を受ければ法務大臣の署名を得ることなく死刑を執行することができるという意味)という発言に、死刑廃止議員連盟の会長である亀井静香氏が、「鳩山氏には法相の資格がないし、人間の資格もない」と怒りをあらわにしたという。亀井氏に拍手喝采を送りたい。ぼくもまったく同意見だ。
死刑は一度執行されれば取り返しがつかない。だから執行を担う行政の側の長である法務大臣が、裁判記録を精査し、司法の判断に誤りのないことを確認した上で判を押すのが現行制度の建前である。鳩山法相は、冤罪で死刑になる人が出てきてもかまわないというのだろうか。ペルシャ湾の給油問題では、国会の承認を得ずに自動延長できるという法案が準備されている。二つの問題が浮き彫りにしたのは、重い責任から逃れようとする現在の政治家の脆弱な姿である。
しかし亀井氏の指摘とは逆にぼくは、今回の鳩山発言にある種人間的なものを感じた。彼は法務大臣になったものの、死刑執行の書類に判を押したくないのではないか。だから「死刑の自動化」などと言い出したのではないか。判を押すだけでも法務大臣には大きなプレッシャーなのだ。法務大臣に死刑執行の現場に立ち合うことを義務付ければ、執行の書類に判を押す大臣はいなくなるだろう。
日本人の97%が死刑制度に賛成であると聞く。それならば裁判員制度にならって、「死刑員制度」を創設してはどうか。法務大臣の署名を受けて全国民を対象に無作為で抽選を行い、このくじに当たった人に、絞首台のスイッチを押してもらうのだ。おそらく誰も引き受けないから、死刑制度は自然消滅するに違いない。
何故引き受け手がないのか。誰も人殺しなどしたくないからである。死刑も立派な人殺しだ。自分がやりたくないことを、どこかの誰かに押し付けることは、人間として間違っている。しかし、もし嬉嬉として引き受ける人がいれば…。その人こそ怖い。
死刑は一度執行されれば取り返しがつかない。だから執行を担う行政の側の長である法務大臣が、裁判記録を精査し、司法の判断に誤りのないことを確認した上で判を押すのが現行制度の建前である。鳩山法相は、冤罪で死刑になる人が出てきてもかまわないというのだろうか。ペルシャ湾の給油問題では、国会の承認を得ずに自動延長できるという法案が準備されている。二つの問題が浮き彫りにしたのは、重い責任から逃れようとする現在の政治家の脆弱な姿である。
しかし亀井氏の指摘とは逆にぼくは、今回の鳩山発言にある種人間的なものを感じた。彼は法務大臣になったものの、死刑執行の書類に判を押したくないのではないか。だから「死刑の自動化」などと言い出したのではないか。判を押すだけでも法務大臣には大きなプレッシャーなのだ。法務大臣に死刑執行の現場に立ち合うことを義務付ければ、執行の書類に判を押す大臣はいなくなるだろう。
日本人の97%が死刑制度に賛成であると聞く。それならば裁判員制度にならって、「死刑員制度」を創設してはどうか。法務大臣の署名を受けて全国民を対象に無作為で抽選を行い、このくじに当たった人に、絞首台のスイッチを押してもらうのだ。おそらく誰も引き受けないから、死刑制度は自然消滅するに違いない。
何故引き受け手がないのか。誰も人殺しなどしたくないからである。死刑も立派な人殺しだ。自分がやりたくないことを、どこかの誰かに押し付けることは、人間として間違っている。しかし、もし嬉嬉として引き受ける人がいれば…。その人こそ怖い。
「10万人署名」の話を聞いて、この国の人々がこんなにも「他人の不幸に同情的」なのに驚きました。もっとも、彼らは、10万、100万人殺すことには、一枚噛むことも含めて、至って寛容か、鈍感か、とても良いことだと思っているようですが。
今の日本のありさまは、魯迅に作家になることを決意させた「藤野先生」に出てくる19世紀の中国の人々のようです。
そういえば、森巣博さんも「裁判員のようにくじ引きで死刑員を決めて包丁でそいつに刺殺させることにすれば、直ぐに死刑制度なんて無くなるよ」といってた気がします。
鳩山は、「ベルトコンベア式で」とも言っているので、国権として「どんどん死刑にしたいが、でも俺が手を血で汚すのは嫌だ」と言いたいようなので、非常に嫌な意味で極めて人間的な人だと思います。政治権力を振り回す資格の無い人だと思います。
Lさま。はじめまして。コメントをありがとうございます。憎悪を共有することでしか、連帯できない。なんと貧しく不幸な国民なのでしょうか。魯迅の時代の中国人と同じ。なるほどなと思うご指摘です。魯迅を読み返してみたくなりました。