3.11
2011年のこの日。
大磯港の新しい灯台を設置する工事があるとの情報を聞きつけて、沖までスタンダップで漕いで
そばまで行って、この写真を撮った。
それが、午前8時か9時頃。
そのまま、なもとまで来ると大磯の先輩2人がいて、順番に波に乗った。
風もなく、波は、腿くらいで乗れる波があるのに、人がいなく、やけに静かだった。
その後、海から上がって、仕事についた。
昼頃から南風が吹いてきて、チョッピーになり、腰くらいに上がった。
そこへ、あの揺れが来たのだ。
電線は、縄跳びのように左右に振り乱され、目の前の信号待ちの車は、縦に横に揺れ、青になっても動き出せなかった。
近所の人は、みんな外に出てきて、様子を伺っている。
震源地は、どこだとテレビをつけるとアナウンサーがヘルメットを被って報道していた。
西湘に入れなくなり、長い渋滞が夜中まで続いた。
防潮門扉は、全て閉鎖された。
沖には、船が数台停泊していた。
それから数日間海岸には、立ち入り禁止となり。
波は、あるのに誰もいないという日が、しばらく続いた。
2011年のこの日。
大磯港の新しい灯台を設置する工事があるとの情報を聞きつけて、沖までスタンダップで漕いで
そばまで行って、この写真を撮った。
それが、午前8時か9時頃。
そのまま、なもとまで来ると大磯の先輩2人がいて、順番に波に乗った。
風もなく、波は、腿くらいで乗れる波があるのに、人がいなく、やけに静かだった。
その後、海から上がって、仕事についた。
昼頃から南風が吹いてきて、チョッピーになり、腰くらいに上がった。
そこへ、あの揺れが来たのだ。
電線は、縄跳びのように左右に振り乱され、目の前の信号待ちの車は、縦に横に揺れ、青になっても動き出せなかった。
近所の人は、みんな外に出てきて、様子を伺っている。
震源地は、どこだとテレビをつけるとアナウンサーがヘルメットを被って報道していた。
西湘に入れなくなり、長い渋滞が夜中まで続いた。
防潮門扉は、全て閉鎖された。
沖には、船が数台停泊していた。
それから数日間海岸には、立ち入り禁止となり。
波は、あるのに誰もいないという日が、しばらく続いた。