空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく

いのちに帰るスイッチ

2007-02-26 12:45:08 | nam amita-yusu
nam amita-yusu(ナムアミターユス)
nam amita-bha(ナムアミターバ)

このふたつのサンスクリット語を合わせた日本語を
ご存じでしょうか?
はい。たいっへんポピュラーな『南無阿弥陀仏』です。

Namは「深く信じる」「頭をさげる」「帰命」
(命の根源に命を帰すということでしょうか)
Amitaは「無限の」
(Aは「無」mitaは「計量する」つまり量ることができない)
yusuは「時間」bhaは「空間」です。

ナムアミダブツとは時間も空間もはかりしれぬほどの
大きないのちの根源に頭をさげるということでしょうか。
般若心経を一言で言い表すと、南無阿弥陀仏となるそうです。

わたしはいま
『南無阿弥陀仏』と『超ひも理論』に興味があります。

なんじゃ?と思われるでしょう。
ちょっとお待ちください。

わたしはあるきっかけからnenbutsuをするようになりました。
日本語では?ハイ、念仏。
『南無阿弥陀仏』を繰り返す、アレです。
( いわゆる宗教じゃありません。無宗教です。ネンブツだけするひとけっこういるんです。写経だけするひとがいるように。入り口としてはいわゆるジブンを修正するプラクティスのようなものでした。今は目的が違いますケド。)

はじめはただなんとなくやっていたのですが
ある頃からnenbutsuをすると
異次元とつながるような感覚になるようになりました。
と書いてもたいそうなことではありません。
昔の人もそうだったろうし、今もよくあることですし、
それにこれからはひとの感覚はひらいてくるので
こういうことは案外とフツウのことになるでしょう。

ありがたいことに昔からの智慧なんでしょうか、
阿弥陀如来の額にある百豪(びゃくごう)というところは
ある“スイッチ”のようです。
その1点をイメージし、そこに触れ、
その中に入り続けるというnenbutsuをし続けると
わたしはそのひらく感覚が顕われます。
ただし、これは自分の業も感じてのことで
それに目をつむるならそれなりです。
むしろ業があるから手招きされるといったほうがいいのかも。
業こそがチケット。

不思議ですね。
仏教に生まれたこの作業は、
なんとかそことつながろうというニンゲンの切なさと
“そこ”からの智慧や慈悲が結びついた賜物なのでしょうか?

ところで『超ひも理論』というのをご存じでしょうか?
物理科学の最先端の理論です。
もう、科学の世界では11次元までないと説明がつかないそうです。
ひとの感覚がひらいてくるのと、
科学がすすむのとがまさにシンクロしています。面白いものです。

別次元というのはたしかにあるようです。
そして、nenbutsuをすると
例えば慈悲だとかそういった仏性というのは
まさに薄皮1枚の次元で重なり合い、触れあい、直結し、
どこでもない、まさに“いまここに”
あるのだと実感させられるのです。
まったく距離はありません。

『南無阿弥陀仏』はとてつもなく深く広大な6文字という結晶ですが
nenbutsuをしていると
ナムアミダブツのココロは般若心経だとも思われるときもあります。
般若心経の最後のことばをご存じでしょうか?
この真言以外はそのことばの説明書きだそうです。

ギャアテイギャアテイハラギャアテイ 
ハラソウギャアテイ ボウジイソワカ
原音「ガテー ガテー パーラガテー
パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」
訳「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。」(中村元博士の訳)

進化というのは“しつづける”というそれ自体が
素直な宇宙の法則なのだということを象徴しているようです。
それに抗うことで苦しみが生まれてくる。
つまりこれは
いのちのもとめるほんとうのところへと進みつづけることへの祝福。
まさに<説明書き>にあるとおり、
これ以上の真言はないかもしれません。

南無 阿弥陀仏というのはまるで
「これをもとめつづけるこころと、ここへと帰りつづけるすべての
行ないに帰命します(したがいます)」
とも言っているようにも感じます。

いろいろな手垢がついて
イメージが出来上がってしまっているかのような
『南無阿弥陀仏』ですが
これはジツは時間も空間も
それこそ“次元”をも超えた超最先端であり
生も死も時代も距離も超えたいきとしいけるもののつながりを
実感として感じさせられるようになる、広大な6文字だと
いやマッタク毎回新鮮なオドロキとカンドウを覚えるのです。

nenbutsuにかぎらず
“自分のためだけ”にする研鑽は
やがてどこかで行き詰まりがやってきます。
それは進化の約束にのっとっていないからなんでしょうね。
なにを目指して世界が進化してるかっていう1点なんでしょうね。

“ひとりは世界のために世界はひとりのために”
ぽつんとさとったひとりがあるのでなく・・
誤解を招きたくないのは
異次元を感じたいからするのではありません。
結果的にそうでも。
もっとシンプルでソボクでピュアで切々たるものだ
と予感しています。
一切のために。Let's nenbutsu !

浅き川を深く渡れ

2007-02-24 16:51:57 | 珠玉の言葉
写真家の星野道夫さんの番組をやっていた。
~アラスカ『星のような物語』~

小学校の卒業文集の寄せ書きで
星野さんはこう書いたそうだ。
<浅き川を深く渡れ>
まさにそのとおりの人生を43歳で亡くなるまでまっとうされました。

浅く思える川も
深く渡ることができる。

あるひとが言った言葉にずっと引っ掛かっていたことがありました。
友人の友人が言った言葉で、また聞きですが
そのひとは花屋さんを辞めるにあたってこう言ったそうです。
「もうここには学ぶことはない。」

その人自身のことは深くは知りませんが
その時、どこかごうまんな印象を持たされました。
(ちょっとわるいんですが、じぶんの鏡としてのことばです・・。)
学ぶことはない、と言い切るとき
川を浅く渡っていないか?

その時の違和感をこの言葉が説明してくれました。
星野さんは小学生にしてすでに
「浅き川を深く渡れ」という言葉を大事にしていた。
だからこそ深い人生を歩めたのだな、と。

川が浅いのではなく、
渡る人の深さで川はいくらでも深くなる。

いい言葉ですね。

ときめきとぬくもり<IORI SPACE>

2007-02-13 13:03:56 | shop*spot
mixiでのご縁でマイミクになっていただいた
オアシスさんのブログが素敵!
毎日のように更新されるそれは
楽しくておいしそうな手作り食べ物や
素敵なガーデン話(写真がまたいーんだ)etc.
おまけにいつも絵本紹介があり
看板犬のムーンの一言もカワイイ。
てんこもりです。

オアシスさんは森の中で
手作り家具工房IORISPACEをやっていて
ギャラリーもやっているそうです。
家具は見ているだけでも
毛羽立ったこころがすーっとつるんとしてくる
気持ちいい肌触りのものです。
お人柄が出てますね。ぜひご覧ください。和むことうけあい。

住かは楽園?
http://blog.livedoor.jp/yumekanauu/archives/52244248.html

淡いのゾーン

2007-02-12 12:09:09 | こころに残るはなし
ここのところつれづれに日本のあいまいさについて想っていたら
ちょうどそのことについてTVでやっていました。

TBSでやっていた『地球新世紀』
たいへん興味深かったのが
日本の民族性とヨーロッパ先住民族であるケルト民族との
共通性でした。

ケルト文化研究の鶴岡真弓教授は語ります。
ケルト文化には渦巻きの模様のほか、組み紐模様などがあります。
この組み紐模様には様々なものと結びつき、
受け入れるという精神性を象徴しているらしく
キリスト教が入ってきたときも自然崇拝であったケルトは
おおらかにそれを受け入れ自分たちのものとしました。

日本人が好きなエンヤはケルト音楽の血を大いに引いています。
日本の唱歌には
アイルランド民謡がメロディーとしてよく使われているそうです。
それは、日本人のこころに
ケルトのメロディーがよくなじむからでした。

両方に共通するのは
『淡い(あわい)のゾーン』
YES・NOでかたづけない、明暗に線引きをしないところだそうです。

ケルト遺跡と日本の茶室の共通性も語っていました。
[ミクロの中にマクロを観る]ことができる文化。
とても小さな空間に宇宙そのものを象徴できる。
キリスト教を最初にケルトに伝えた聖パトリックは
<聖三位一体>を伝えるためにクローバーの葉1輪で伝えました。
千利休は1輪の花で客を迎えました。

『淡いのゾーン』や[ミクロの中にマクロを観る]ということは
なにか普遍性を感じさせます。

そして「京料理が地球をすくう?」
それは<もったいない>のこころでした。
それはノーベル平和賞を受けた
ワンガリ・マータイさんが感激したという
エコ的リサイクル的MOTTAINAIからさらに踏み込んだ
「すべてのいのちを敬い、ありがたくいただく」という精神でした。
京都左京区にある店、『草喰(そうじき)なかひがし』さんでは
普通なら捨てるような魚の皮やウロコ、骨、蕪のおろし汁までが
芸術的なまでの料理となって出されます。
なかひがしさんは「びんぼうくさいもったいないではなく、もったいないとは豊かなことなのだ。」とおっしゃっていました。
なんて粋で豊かな文化!

淡いのゾーンは日本人のDNAに元々あるがゆえに
それがなんであるかを当の日本人がうまく表現できず
(それは言葉や表現と違う次元でもあるので・・)
一見強烈な白黒の文化のうずの中で
見失いそうになることがあります。

けれどもそれが遠く離れたケルトにもあったことで
にんげんの深遠に想いをいたすことができます。

なにか、感謝、そして合掌、したくなる今日となりました。

HANAO CAFE

2007-02-11 09:12:49 | shop*spot
千葉県の常磐線・千代田線 柏駅東口徒歩3分の住宅街に
HANAO CAFEというCAFEがあります。
(柏市中央町4-31/11:30~24:00 OPEN/火曜休)
ハワイがテーマの手作り感いっぱいのCAFEです。
好み・・。

行ってみたらこれが一見普通の家で、大きな看板もなく
うっかりすると見つけられないトコでした。
行く人はあきらめずにちょいとその先まで・・。

友人と行きましたが、くつろいで話ははずみました。
ランチはロコモコなど4~5種類あったかな?
ハワイアンティーがおいしかった。
香りがよくて。

近所だったらたびたびのんびりしに行きたくなるカモ。
HPを見ると2Fもあって貸しきりパーティも出来るようです。

HANAO
http://www.hanaocafe.com/index.html

チベット。そして。

2007-02-10 00:27:30 | 映画
映画『チベットチベット』を観た。

まず、空!
そしてこどもたちや人々のありありとした実在感。
そこからこのノンフィクション・ロード・ムービーは始まった。
その画面は鮮烈で、記憶のかなたの過去のような未来のような
いきなり響いてくる濃いりんかくを持つ景色。
自分の生きものとしての本能に触る風景。

金森太郎 コト 金昇龍さん(パスポートにもこう書かれている)の
まるでこどものようなある無垢さが、
カメラの前の人々をこんなにも無防備に笑ませるよう。
なぜ?どうして?というピュアな想いが彼の旅をふくらませた。

金森太郎 こと 金昇龍という青年は
ただ、世界を旅してみたかった。
そして、嫌いだった祖国韓国の地を一番最初に踏んでみて
そこに生きる人々を、その地を好きになっていく。
さらに足を伸ばしたモンゴルで、
ダライ・ラマの写真を見て関心を覚える。
そしてダラムサラで生きる亡命チベット人に触れ、
自分が在日3世として生きることと
インドで生きるチベットの人々とがシンクロする。

どうしても現在のラサを見たくなり、
亡命チベット人のルートをたどりたくなり、
やむにやまれぬものに突き動かされてこの映画を作り上げた。

ここにはチベットチベットでありながら
にんげんの根源的なものに触れてゆこうとする
若々しいたましいがあった。

それは人のこころのなにかを響かせずにはいられない。

彼が同行取材したダライ・ラマの姿で
どんな言葉よりも印象に残ったのは、
人々の手を取る時の彼のまるめた背中。
こころからのあいさつ。
ふんぞり返ることなど許されぬほどの過酷な運命を背負って、
人にあたたかい。
チベットの過酷な歴史はこの映画を観るだけでも胸つまる。

チベット難民センターのケアスタッフは言う。
「援助を受けることよりも、人々に知ってほしいのです。」
拷問を受けた尼僧は、後遺症で生きるのがやっとで泣く。
「あなたのような外国の方にこうして語ることが私ができる精一杯のことです。」

あらためて想う。
“大義名分”などいらない。
となりの人を虐げるならそれでもうアウトだ。

ダライ・ラマは亡命して来たばかりのチベットの若者たちに言う。
「今はただしっかり勉強しなさい。」
「チベット人と中国人を分けてはいけない。」

そう。中国人のしていることは、
わたしたちが普段となりの人にしていることと変わらない。
それが拡大されたもの。
その門を脱出しようとする時、
自分自身であるルシファー(堕天使)が立ちはだかる。

ダライ・ラマは虐げられることも虐げることも選ばない
中道を行こうとしている。
「最後のひとりになろうともチベットの精神は死なない。」

「ハチが腕にとまったからといってチベット人はハチを殺さない。」
仏教徒である誇りを語っていた。

旅を終えて金昇龍さんは韓国の先祖の墓に、
伝統的な韓国の衣装でお参りする。
その時、わたしはある衝撃を受けた。

わたしのアイデンティティーとは?

インドの亡命チベット人は口を揃えて
「チベットへ帰りたい」と言う。
インドで生まれた子供達ですら。

韓国の衣装を身につけた金昇龍さんを見て、
“真っ白”になった自分に呆然とした。

でもそれは落ち込んだのではなく。
日本というくにの
それはある意味アイデンティティーでもあるという感覚でもあった。
様々なものを懐深く受け入れる素地があるくに。
あいまいさはそこに意志を持つなら中道がひらける。
そんな大きな可能性が元々このくににはあったのではないか?
大声を出して置き捨てようとしてきたけれど。
そんなものを自分の、
そしてこのくにのアイデンティティーとなせないだろうか?

とてもいい映画だった。
インスパイアされます。

チベットチベット
http://www.tibettibet.jp/index.html

Creative illness(創造的病い)

2007-02-07 13:51:23 | 
インパクトがありました。

『腰痛放浪記 椅子がこわい』夏樹静子(新潮文庫)

作家 夏樹静子は1993年1月から3年間、どんな検査でも異常の見られない原因不明の尋常でない激しい腰痛に悩まされた。椅子に座ることができない。タクシーも飛行機も座席に横になり、もちろん執筆も座ってはできない。30~40箇所であらゆる治療を試み、それは整形外科はもちろん、民間療法から霊の供養にまで及んだがどんな鎮痛剤も効かない激しい痛みから解放されることはなかった。やっと巡り会った心療内科の平木英人医師のしんぼう強い心身症治療[東北大学方式絶食療法と『夏樹静子』のお葬式を出そうという『夏樹静子』からの解放]によって死まで想った絶望の淵から生還する。平木英人医師は「あるがまま」を唱える森田療法によって自らも心臓神経症から回復し、医師となった人である。

----ここにあるのは人間の深遠にある自分自身ですら気づけないほんとうの自分の発見の物語。こころの奥深くの叫びがこれほどの肉体の痛みを生み出すことに、本人でなくともがく然とする。わたしたちは自分のほんとうの声を、いったいどこまで聞いているのでしょう?

<夏樹静子さんが引用する言葉>
「敗けた者が敗けたことを大らかに受け入れ、負け惜しみなどではなく、朗らかにその運命に遊べば、そのとき歌が生まれる」
西行花伝 辻邦生

「病むときは病むがよし 死ぬときは死ぬがよし」良寛禅師

<平木英人医師の言葉>
痛みから逃れようとせず、正面から対面してください。ねじ伏せなくてもいい、ただジッと受け止めるのです。痛みが強くなっても恐れずうろたえず、どこまで痛くなるか見きわめてやろうといった気持ちでいて下さい。そして、必ず治る、生まれ変わるのだと自分にいい聞かせるのです。

雑念は湧くに任せていいのです。そして最後に打ち消してください、必ず治るのだと。何度でも賽の河原の石を積み直してください。

治癒への道は螺旋階段を昇るようなものです。
同じ風景が繰り返し現われてきて、堂々めぐりをしているように感じながら、確実に治癒への階段を昇っているのです。

平常心でなくともいいのです。不安なら不安のまま、怖いなら怖いまま、イヤならイヤのままやる。終わったらああ、イヤだったというのではなく、怖かったけど、イヤだったけどできたと自分を評価してやって下さい。

苦しみは記憶として残るでしょうが、それに束縛される必要はありません。あの時できなかったから今度もできないだろうというふうに過去を基準にした考え方をやめましょう。今からは新しい生活が始まるのです。やれればよし、やれなければ再シャレンジする、それでいいのです。

<夏樹さんが相談した河合隼雄さんの言葉>
creative illness(創造的病い)
病いによって「大きな世界」が開かれる
「ぼくの感じとしては、時間がかかるかもしれないが、何か大きな世界がひらけてくるんじゃないかなあ。人間は大きな変革をする時に、産みの苦しみのようなものを味わうことがあるんですよ。それがクリエイティブな仕事をしている人だとジャンルを変えたりする場合などにね。」

まさに夏樹さんはミステリーからご自分のジャンルを変え始めていたところでした----。

~夏樹さんのあとがきより~
・・(略)このことだけは信じられる気がする。人間には自分が知っていると思うことの何百倍も何万倍も知らないことのほうが多いのだ。・・たとえ最悪の不幸と感じられるようなことに遭遇しても実はその時自分の前には幸福の扉が開かれつつあるのかもしれない。そしてどんな時もそういう形の希望を抱くことは、そのこと自体が苦しみからの解放に手をかしてくれるだろう。

チベットチベット

2007-02-04 14:46:34 | 映画
mixiで足跡踏んでくださったサンコンさんが
興味深い映画を紹介していました。

【映画紹介】
在日コリアン3世の旅人、金森太郎こと金昇龍はビデオカメラを片手に行く先を決めない旅に出る。路線をアジアに向け辿り着いた地、北インドのダラムサラ。そこは地元のインド人と亡命してきたチベット人が共生する一見静かな街だった。彼はここで、自らは望まず移住して異国で暮らす人々と出会う。

最初はインドで暮らすチベット人と在日の間に小さな共通点を見つけていた。しかし浮かび上がってきたのは今なお続くチベット人の受難の経緯だった。今になっても雪のヒマラヤを歩いて越えて来るチベット人亡命者の数は後を絶たない。

「彼らが命がけで守ろうとしているものは一体何なんだろう?
 おじいちゃんやおばあちゃんが僕に言いつづけた
 民族の誇りというものなんだろうか?」

混乱と衝動に突き動かされチベット人の現状を撮影し始める。この問題を少しでも多くの人に伝えたい。その思いはチベット亡命政府にも届き、ダライラマ14世への10日間に及ぶ同行取材をも可能にした。旅は続き、彼らが切望して止まない本当のチベット(現中華人民共和国、チベット自治区)を訪れ、失われゆく高度な精神文化や美しい自然をカメラに納める。

ノンフィクションロードムービー『チベットチベット』は、このふたつのチベットの狭間で素朴に生きる人たちに焦点を合わせ、今現在も強硬に続けられている、中国のチベット政策に疑問を投げかけるドキュメンタリーである。

●映画『チベット チベット』上映会@渋谷
日時 : 2月9日、10日、17日
会場 : 東京都渋谷区広尾4-2-24 JICA地球ひろば

【上映スケジュール】
2月9日 (金曜) 19時~
2月10日(土曜) 1回目:14時~、 2回目:17時30分から
2月17日(土曜) 1回目:14時~、 2回目:17時30分から
※開場はそれぞれ30分前から

【金森監督トークライブ】
10日と17日の上映終了後(4回とも)
映画と併せてお楽しみください。
料金 : 無料

【申込み】
下記お問い合わせ先にご予約ください。
なお、席数に限りがあるので先着順です(各回60名まで)。
JICA地球ひろば 地球案内デスク
 担当者:地球案内人
 電話番号:0120-767278
 ファックス:03-3400-7264
 Eメール:chikyuhiroba@jica.go.jp

チベットチベット
http://www.tibettibet.jp/index.html

宿神

2007-02-01 15:51:56 | 
今、朝日新聞の朝刊で連載している新聞小説
『宿神』がオモシロイ。

作者は夢枕 獏さん。
西行が主人公。その少年の頃から始まり、今青春期。
西行が平清盛と同い年だったとは、知らなかった。
23歳で妻子を捨てて出家する前は、
北面の武士(都を守る白河上皇が作った私設兵)だったんですね。

ごつい印象の清盛と
細面で繊細ながらも胆のある西行(佐藤義清のりきよ)が
案外うまが合っていて、
若者らしいやりとりがあってぐぐぐっと話に引き込まれます。
日本語もうつくしい。

うつくしいと言えば、西行の
「願わくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」
は多くの人の共感を呼びますね。
ほんとにきさらぎの望月の頃亡くなったとかで
しあわせな最後だったのでしょうか?

それからわたしが好きなのは、
「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
----です。
西行が伊勢神宮に行った時に詠んだと聞きました。
西行は出家してすぐに伊勢に赴き、晩年も伊勢に庵を結んだとかで
伊勢には思い入れがあったようです。

わたしが伊勢神宮にはじめて行く直前に
この歌のことを教えてくれた人がいて
行ってみてなるほど~と思わされました。

伊勢神宮ではありませんがどうしたものか、
実際に涙がほろほろこぼれてしかたがない
という経験をしたことがあります。
それは府中大國魂神社の片隅にある
巽神社という小さな祠の前でした。
まさにどなたがお祀りされているのかも分からずに
あふれくるもの・・。
通りかかった宮司さんにお聞きして、
それがイチキシマヒメを祀る祠であることを知りました。
(九州宗像大社や、厳島神社のご祭神で、水の女神)

わたしにとって深いご縁があることが、
様々なシンクロニシティーで知れますが
日本という島は神様の社や仏閣が星のようにあまた散らばる
とても奥深い土地だと思います。
そしてそれらがまさに今、活き活きと生きていらっしゃる。

『宿神』の西行のゆくえも楽しみにしながら
そんなことをまた思い出すのでした。

新聞小説を切り抜きしたくなったのは初めてです。
挿し絵がまたすばらしい。
わたしの好きな飯野和好さんです。

↓こちらには伊勢神宮で感じたことを綴っています。
http://nana-n.jugem.jp/?eid=28