日本人の女性の監督が12年に渡って取材した
パレスチナの女性ガーダのドキュメンタリーが
今、東京渋谷で上映されています。
パレスチナの実際の生活はよく知らないでいました。
人間と人間の根深い衝突の現実には
生半可な言葉では表せないものがあります。
13才の息子を銃弾で失った両親(ガーダの親戚)の嘆きは
言葉を失います。
それでも厳しい状況の中でもひとは歌い、食べます。
よくぞいのちがあったものよという
銃弾飛び交う現場映像。
2ヶ月も、威嚇なのでしょうか?
監視塔からマシンガンやら夜昼となく意味もなく撃たれる生活。
それでも女たちはお菓子をつくります。
ガーダは23才の頃、古い因習に反発する女性でしたが、
結婚し、子供を育て30を越えて
自分の祖母や上の世代の歴史や伝統を伝える必要を感じ
聞き書きを始めます。
本を出そうと努力しはじめるガーダの姿を監督は追い続けます。
監督、古居みずえさんは37才で原因不明の難病を発病して
歩行器がなければ歩けないほどでしたが、
使った薬が劇的に効いて奇跡的に回復。
真剣に人生と向き合ってこなかった自分を悔やみます。
そして「一度きりの人生、何かを表現したい。」と
OLからフォトジャーナリストへと転身された方です。
そこには1歩も引かぬ気迫がみなぎっています。
映画のあとのトークショーで、現場のお話を聞きましたが
女性は禁止されているところも髪をまるめて女性であることを隠して
なんとしても撮りたいと登って撮ったようなことを
一緒に現場にいた広河隆一(フォトジャーナリスト)さんが
おっしゃっていました。
「これは本気だと思った。」と。
この映画は結果的に
イスラムの男性社会への挑戦にもなったのでした。
また、あまりの危険に他のジャーナリストが引き返す状況の中でも、
古居さんとガーダは活動を続けました。
古居さんはガーダの身の安全を気遣い、
ガーダも古居さんを気遣います。
でも“失うものは何もない”と
大きく人生をシフトした古居さんは言います。
「これはわたしの仕事で、責任だから。」
取材したガーダや家族や街の人々に信頼を得て
この映画はいきいきとしたにんげんをとらえた映像となっています。
ガーダの父は近所の人にこう紹介されるそうです。
「彼には娘が6人いる。5人はパレスチナ人で1人は日本人なんだ。」
ガーダは言います。
「わたしたちがずっと前に捨てた報道に対する信頼を、
わずかでも取り戻させてくれた数少ない人物なのです。」
前述の広河さんも言います。
「ガーダとその周辺の人々が古居のビデオカメラの前では、本音を語り続けたことも驚異的なことである。ガーダだけでなく、周囲の人々も、古居が何を写し撮ろうとしていたのか、感じ取っていたと信じるほかない。そしてこうしたことが可能であるためには、取材者にどれほど『ともに生き、ともにたたかう』感性を要求されたことか、察するにあまりある。」
背の低い小さな方でした。
人はシフトするのに年齢も性別も病気も障害にはならないですね。
最後にこの映画に寄せられた声のひとつ
「女の情感こそが、もしかしたらこの世界を変える可能性を持つのかもしれない。」森 達也(映画監督/ドキュメンタリー作家)
東京渋谷UPLINKでは6/30まで上映が続くそうです。
以降も延長の可能性あり。
7月もUPLINKにて上映&監督のトークショーあります。
7/15(土)・7/17(祝)・7/21(金)
※21日は女優の根岸季衣さんもゲストです。
詳しくはホームページをご覧ください。
http://ghada.jp