88グリーンビートル

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長野 ガーデニングの旅

2021年08月13日 | 日記
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長野ガーデニングの旅

梅雨の真っただ中、3日間休みを取って長野に行きました。前回、諏訪に泊った時、原田泰司美術館が、諏訪湖の畔にあると後で知って、悔しい思いをしたので、ここを中心にスケジュールを 組みました。

①  バラクラ・イングリッシュ・ガーデン


建築物と違って、庭は季節によって異なります。前回は秋で、ダリアの季節でしたが、今回は本命のバラを見に行きたいと思っていました。7月初めでちょっと遅いのですが、長野は寒いから、ちょうどいい頃かなと思っていましたが、やはり少し見ごろを過ぎてしまったようです。園内を傘をさしてみて歩きました。梅雨空にも関わらず、想像していたより、多くの人が訪れていました。














基本の寄せ植え例











② 原田泰司美術館


朝日新聞から、毎年暮れにもらうカレンダーの絵が楽しく、そこには昭和時代の山村の和やかな風景が、描かれていました。後に原田泰司画伯の作品と知り、その絵にひかれて、丸善で本を買ったのが40年ほど前になります。聞けば現在も、諏訪湖の畔に居を構えて、活躍されているとのこと。
今、庭のデザインをしているので、こういう心に伝わるような絵を描きたいと思い、絵の複製を10枚ほど買いました。一枚一枚紹介したいのですが、まとめて写真に撮った絵でないと載せられません。本もたくさん出版されていますので、まだご存じない方は、ぜひ一冊買って、原田泰司の世界をのぞいてみてください。


③ 松本市 オープンガーデン
松本市オープンガーデン
日本では、松本市が早くからイギリスのようなオープンガーデンをスタートしました。市の発行しているパンフレットによれば、いろいろなルールやマナーが書かれています。
車で巡るツアーもあるようですが、私の場合は、時期が過ぎていて、個々に連絡を取って、拝見させていただきました。
公の施設でなく、個人の好意で見学させていただいているので、庭のお話をするだけで、写真を撮って、ブログで紹介したりすることは、控えさせてもらいました。


④ 松本城の石垣








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愛知 名古屋周辺の庭(後半)

2021年08月12日 | 日記
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名古屋周辺の庭 (7月~12月)

① デンパーク


今年、2回目になります..というのは、前回訪れた時に、大温室の植物が、夏に観葉植物の庭に模様替えするとの案内があったので、これはぜひとも行かなくては思っていました。
大温室の展示は、レンガなどで囲った花壇の中に、植物を鉢ごとコンクリートの床に並べだけですが、植物の葉が広がっているので、鉢が見えず。いかにも花壇に植わっている様に見えます。
夏休みの日曜日ということもあって、小さな子供連れの家族で、園内はどこもにぎわっていました。
























② 花遊庭


こちらも今年2回目になります。
デンパークの帰りに寄りました。夏で、花は少なかったけれど、自然風で、いつ見てもいい庭です。炎天下、スタッフの若い女性たちが、たのしそうに雑草取りをしていました。

















③ フルーツパーク 

私の家から歩いて10分くらいのところに森林公園があり、そのはるか離れた場所に、熱帯フルーツを集めた温室のある、フルーツパークが隣接しています。

ブログで紹介するのは今回が初めてですが、当然のことながら、これまで何度も訪れました。

台風14号で仕事を休みにしましたが、雨も止んだので、午後から出かけました。

見慣れた温室の中をを30分ほどで一回りし、外に出て、果物のいろいろな品種が植えられている果樹園を歩きました。

ブドウ畑、ミカン畑、イチジク畑、柿畑、栗畑と順々に見て歩き、メンデルのブドウに前までやってきました。

確か、理科や生物の教科書に載っていて、当時は何のことかよくわからまいまま習いましたが、そのメンデルが、遺伝の実験に使ったとされるブドウの木の子孫が植わっていました。

よく見ると、小さな青い実を着けたブドウが、ひと房ありました。メンデルのブドウを食べると、もう少し頭がよくなるかなと思い、一粒食べようかと手をのばしかけましたが、やめておきました。

ひと房といっても、実(み)はまばらで、ひょっとしたら、私みたいな不心得者が同じことを考えて、つまんでいったのかもしれません。

隣には、これまたニュートンが万有引力を発見したというリンゴの木の子孫ありました。ブドウもリンゴの木も、東京の小石川植物園【参照 小石川植物園】から挿し木したものをいただいて、植えたそうです。



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松本城と石川数正

2021年08月09日 | 日記
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松本城


石川数正の出奔

これまでに、数回訪れていますが、その時はまだ石垣にいまほど関心がなく、みなさん同様、国宝のお城を見る程度の訪問でした。

今回は、石川数正の築城した石垣を、じっくり見てみたいと思って、張り切ってやってきました。

さて、その石川数正ですが、徳川家の重臣で、家康が今川に人質のころから仕えていた、生粋の家臣です。石川数正の出奔については、いまだに諸説があり、私も昔から、知りたかったのですが、今回城を見て私なりに推察したことを書いてみたいと思います。

石川数正は、無骨な徳川の家臣団の中で、時世を読む知略に長け、武功も多く、諸国に一目置かれた武将でしたが、秀吉との交渉役を任された折、秀吉に気に入られ、ついには徳川家を出奔し、秀吉の家臣になりました。

当時、家臣の引き抜きは珍しいことでありませんでした。徳川家が召し抱えた他国の武将はたくさんあるけれど、団結心の強い徳川を出たのは、後にも先にも石川数正ただ一人だけで、それが謎に謎を呼んだのでありました。また一族郎党を引き連れ、三河をこっそり抜け出し、大阪までやすやすと旅ができたことが、謎の二つ目です。

誰もが、これは家康との同意のもと、あるいは密命を帯びて、秀吉のもとに行かせたというのが、歴史好きのみんなが考えることで、私もそう思っていました。

しかし、そんな見え透いたことを、秀吉が気が付かないわけはなく、ここはやはり、好条件で調略したのではないかとも思えてしまい、やはり、歴史上の謎です。

秀吉は、石川数正に松本の地に城を築かせ、東の徳川勢を牽制することになります。

そこで、私の推測はこうです。

家康と秀吉は,共に傑出した人物であったから、お互い口には出さないし、書面も残さないけれど、腹の中では話しあっていたのです。

戦をすれば、どちらが勝っても、負けても、せっかく築き上げた味方や基盤を損なう。隙を狙う新たな秀吉や家康が出てきて、世の中がまた乱れる。それよりも手を組んで、ひとつになった方がいい。
しかしお互いに戦で決着をつけようとする家臣を抱えているので、そうもいかない。

そこへ、知恵者の石川数正が交渉役にやってきたのを幸いに、秀吉は数正に、調略を持ち掛けるので、それに乗ったふりをしてくれと、頼み込む。数正はそれを家康に伝え、家康も同意した。数正は、永久に裏切り者のそしりを受けることになるが、徳川のため涙を呑んで引き受けた。

秀吉は数正に、徳川をどのように扱えばいいか相談しているように見せかけ、家康は、数正が徳川の意を汲んで、色々動いてくれているのを知っていたが、家臣の手前、数正の出奔を怒っているふりをした。

秀吉は、数正に松本城を与えて厚遇しているポースをとり、家康は、数正の知る徳川方の軍事機密が秀吉側に知られてしまうので、これまでの戦法をすべて新しいものにつくり変えた。もちろんこれも家臣を納得させるポースであった。

こうして、石川数正への調略、出奔劇は、それらしくなった。

その後の秀吉と、家康の関係が、うまく進んでいったのは、この石川数正の陰の力が大きい、というのが、私が松本城を見ながら推理した、「ポーズ説」です。

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