Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

第56回光陽展広島展鑑賞雑感(2)

2008-06-16 09:30:15 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:『過ぎ去りし日』



 記事更新するのに悩んでしまうことがある。

 それは過去数回(たぶんたったの3回)経験しているが、この度も同じく、毎朝記事更新するつもりで起床しながらも、朝のコーヒーを飲みながらキーボードに向かうと書けなくなる日々が続く。 もう10日あまりになるから始末が悪い。
 ちょうどこの時期、拙ブログでは一昨年前から「光陽展・広島展」の鑑賞後記を連載しており、今年で3回目となる。 だから、どうしても書き進めて行かねばならぬテーマが目前に在るにもかかわらず、この3週間あまり書きあぐねているのだから始末が悪い。

 そう、それには確たる理由が在る。 その理由とは、つまり、添付画像の絵画に立ち向かって暫く眺めていたら、あまりにも考えること多く走馬灯のように自分自身の過去の出来事と『この絵画』の印象とがオーバーラップしてきて混沌としたものが頭を駆け巡り、過去完了と過去進行形と過去形と現在形の英文法構文がひしめき合ってきて、挙句の果ては現在進行形と未来形まで展開していくから何が何だか解らなくなる。

 混沌とする、その悩みの種とは? 書かねばならぬエッセイの題材は『木村順子氏の作品』である。 本年度の光陽賞受賞作品『過ぎ去りし日』のこと、、、。

 氏の絵画制作のコンセプトに基づく作風は、昨年作品「プラタナスの風」(平成18年6月16日記事、参照願います)に見えてくるものと同じはず。であるが、本年度作品からは、木村順子氏の創作に対するアイデンティティーをさらに鋭く追及された氏の芸術的感性と英知、生れ乍らにして持っておられる機微の数々、それらが発露し結晶した軌跡が見えてくる。

 つまり、
 作品タイトル「過ぎ去りし日」の如く、人間の深層心理に潜む過去の蓄積からえぐりだしたものを、作者は未来予測にまで繋げようと試みられているに違いない。 作品中央部やや右上に位置する「遠近法によって描かれた暗い物体」は、暗過ぎて見えない未来への道程(みちのり)を描いておられるに違いなく、画面中央部から下部にかけて左右に広がる「横断歩道」に見えるものは紛れもなく道路であり、人の渡る道であるはず。 なんと画面左右への横断歩道の広がりには、時系列的な流れを感じさせられるし、やや赤色がかった右部分よりも、明るく広がった左部分への時空の変化も見て取れる。 上下且つ左右さらには対角線上にも、時間と空間の拡がりを描き切った渾身の秀作か、、、。

                  <…続く…

 PS:うわぁ~ 参っちゃいました。でも、書きました! ようやく難しい作品の感想文が書けたから、後は少し肩の力を抜いて記事更新したいです。  

-----------------------------------------

作品紹介メモ:

No. 44

資 格: (光陽会)会員 

題 名: 『過ぎ去りし日』

作者氏名: 木 村 順 子 (広島)

受賞名: 光 陽 賞

--------------------------------------

* 主催 『光陽会

* 後援・広島県教育委員会・広島市教育委員会・広島国際文化財団・NHK広島放送局・中国新聞社・中国放送・広島テレビ・テレビ新広島・広島エフエム放送

 光陽展広島展事務所: 広島市中区本川町1-2-11  市谷 實



最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。