以前紹介した石橋湛山の「改革いじりに空費する勿れ」(昭和11年4月25日『東洋経済』社説)を真似て書いてみました。
筆者のみるところ、日本人の一つの欠点は、外からの影響を受けやすく、その度に左右にふれ過ぎる癖だと思う。この「浮遊病患者」には、大きく二つの弊害がともなう。第一は陰謀やプロパガンダに乗せられやすいということだ。主体的な解決が求められている時に、偏ったイデオロギーにのみ囚われ、思考停止に陥りやすい。第二に偏ったイデオロギーに重点を置くが故に、対抗勢力の打倒や社会の変革にこだわりすぎる点である。そこに危険があるのである。
これは右翼と左翼とに共通した傾向である。左翼の華やかなりし頃は、総ての社会悪を戦争責任や体制批判に持っていったものだ。この左翼の理論と戦術に対抗するうちに、現在の右翼は何時の間にか「反共・従米」や自由競争などのプロパガンダに染まっている。疲弊した戦後の社会体制は、改変されねばならないだろう。しかしながら忘れてはならないことは日本人の「心」や「伝統」、「風土」まで捨てずとも、充分に社会を改善する方法はあるということだ。大切なのは国民が、日本国民としての「誇り」と「使命感」を持って、社会繁栄と護国のための努力を続けることだ。
湛山のように先見の明があるかどうかはわかりませんが、以上の言葉を今の世に捧げます。
そして、今度こそしばらく筆を置きます(ふぅ)
筆者のみるところ、日本人の一つの欠点は、外からの影響を受けやすく、その度に左右にふれ過ぎる癖だと思う。この「浮遊病患者」には、大きく二つの弊害がともなう。第一は陰謀やプロパガンダに乗せられやすいということだ。主体的な解決が求められている時に、偏ったイデオロギーにのみ囚われ、思考停止に陥りやすい。第二に偏ったイデオロギーに重点を置くが故に、対抗勢力の打倒や社会の変革にこだわりすぎる点である。そこに危険があるのである。
これは右翼と左翼とに共通した傾向である。左翼の華やかなりし頃は、総ての社会悪を戦争責任や体制批判に持っていったものだ。この左翼の理論と戦術に対抗するうちに、現在の右翼は何時の間にか「反共・従米」や自由競争などのプロパガンダに染まっている。疲弊した戦後の社会体制は、改変されねばならないだろう。しかしながら忘れてはならないことは日本人の「心」や「伝統」、「風土」まで捨てずとも、充分に社会を改善する方法はあるということだ。大切なのは国民が、日本国民としての「誇り」と「使命感」を持って、社会繁栄と護国のための努力を続けることだ。
湛山のように先見の明があるかどうかはわかりませんが、以上の言葉を今の世に捧げます。
そして、今度こそしばらく筆を置きます(ふぅ)
先の日記で私の「千思万考」を紹介いただき、ありがとうございました(^^)
今回の日記を拝読して感じたことを書きます。
>筆者のみるところ、日本人の一つの欠点は、外からの影響を受けやすく、その度に左右にふれ過ぎる癖だと思う。
これ、本居宣長が主張した「からごころ」に相通じるものがありますね。
外来の、普遍的・合理的に組み立てられた思想や発想(からごころ、漢心)にかぶれやすく、借り物の言葉を振りかざして天下万物を語る日本人。当時の左右の儒学者や仏教学者を批判した言葉ですが、これは今の言論界にも通じる批判だと思います。
反米とくれば反戦平和、改憲反対、格差是正、親米とくれば靖国万歳、改憲賛成、自由競争と、左右両者の主張が凝り固まっているのは本当にどうしようもないですね。何を変え、何を守っていくべきか、真剣な議論をしてこなかった結果でしょう。まさにイデオロギーのための論争が生んだ結果であるように思います。
保守の方に夏目漱石や陸羯南、大川周明、江藤淳の如く、外来思想に対抗する者たらんとする自分が西洋化してしまうことへの葛藤を内に含んでいる者が本当に少なくなったような気がしますね。残念なことです。
>先の日記で私の「千思万考」を紹介いただき、ありがとうございました(^^)
いえ、こちらこそ、色々教えていただきありがとうございました。
無名大臣さんのトラバがなければ、私はほとんど直感だけで、走ってしまうところでした(笑)
「千思万考」の「昭和天皇陛下のご発言メモ」も拝見しました。いつもながらの卓見ですね。陰謀論もいよいよ納得です。「皇室」は「高貴なマイノリティー」であり、だからこそすばらしい日本の象徴なのだと思います。
>これ、本居宣長が主張した「からごころ」に相通じるものがありますね。
なるほど、確かにですね。
私は言論人としてはまだまだ未熟だと思っていますが、日本人のアイデンティティーというかそういうものを考えているといつもこの問題に突き当たると感じています。
「普遍的・合理的」な思想や宗教には、数々の闘争を生き残ってきた一種の排他性、傲慢さのようなものがやはりあって、日本人はあまり民族や宗教の対立がなかったせいか、それらに対する免疫が弱く、無頓着すぎるのかもしれませんね。または、「薬」として使いこなすだけの経験がないというか。
>何を変え、何を守っていくべきか、真剣な議論をしてこなかった結果でしょう。まさにイデオロギーのための論争が生んだ結果であるように思います。
そうですね。とくに「何を守る必要があるか」は半端なイデオロギーなどないほうが良いという気がします。私は護国の精神の根本は、日々何に感謝して生きるか、という「気持ち」だと思っています。最近の「愛国心」議論にはその根本が欠けていますね。ま、それこそが日本の植民地化がいかに進んでいるかの証左ともいえそうですが。
>自分が西洋化してしまうことへの葛藤を内に含んでいる者が本当に少なくなったような気がしますね。残念なことです。
そうですね。そしてその葛藤を抱く「護国の戦士」が誰もいなくなったときが、日本人の「植民地化」が本当に完了するときかもしれませんね。
伝統的保守で、さらにマイノリティーを肯定しようとする私は、いまやマイノリティー中のマイノリティーかもしれません。なんとか「政治利用」されないよう、がんばりたいと思います(笑)
コメントありがとうございました。