新宿安田生命ホール「埋もれ木」試写会。映画の前に小栗康平監督と立松和平氏のトークショウがあった。
入場時間の1時間位前に、ホールの階段下に並んでいると、小栗康平監督が、まだ開いていないホールの入り口を探しあぐね、警備員に尋ねるも、試写に来た一般人と思われ「列に並んで下さい」と言われて、しょうがなく携帯でスタッフと連絡を取っていた。
カンヌグランプリ監督であっても、やっぱり自ら「監督です」とは言えないのだろうか。気の毒になった。
開場時間の10分程前に、立松和平氏が普通に皆の並ぶ階段を上って会場入りしていたが、誰も気づいていなかった。
二人のトークは、立松和平氏の発するひと言ひと言がとても自然に力の抜けた、あのイントネーションと共に何とも言えないおかしみを醸し出して、会場は非常に盛り上がっていた。
今まで観た試写会のゲストトークの中で、一番受けていたし、内容もとても面白かった。
映画の内容には触れないという約束で、“夢”を描いた作品であるという事だけをトークの題材にしていたのだけれど、二人の話すひと言ひと言が非常に深く真理を突いて、考えさせられる内容で、この話を聞けた事が非常に素晴らしい体験で、とても価値のある時間だった。
例えば小栗康平監督の映画はカット数が少ないという事。
どうしてそうなるのか、そうする事の意義と、それから生まれてくる事とは。
引きの画が多い事。
その意味と、その画から感じる事。拡がる世界。
監督は、自分の映画が、押しつけがましくなく、画面に余韻を持たせ、観客一人一人に感じるままに考えさせる事を究極的な理想としているようだ。
立松和平氏は、監督と友人で、作品のファンでもあり、監督のそんな作品達を愛している様子だった。
小栗康平監督作品を初めて観る。
シーンの多くは、とても引いた画から始まり、人物に寄って行っても、最高でバストアップまで。
それもバストアップになった場面は、浅野忠信、岸部一徳、夏蓮の三人だけで、多分全部でも3,4回しかなかったと思う。
引きの画と自然光と普通の室内照明の為か人物が暗くて遠いので、ほとんど他のキャストの顔はよく見えない。
最後の方まで、平田満が初めの方から何度も出ていた事を気づかなかった。
エンディングロールで特別出演の松坂慶子の文字を見て、ほとんど全員が「一体どこに出ていたの?」と思ったと思う。
その他にも、主要キャスト以外に、驚くような人がわずかなシーンに出演している。
そういった引きの画に、前のシーンからのセリフや、画に映っていない人物のセリフが被ってくる。
この感じは、一体なんだろう? と観ながら考えていた。
監督はファンタジー映画と何度も話していたが、もの凄くリアル過ぎて、逆にそれがファンタジーに思えてくるような感じ。
例えば、そばに居る人達が話している事を、何とはなしに聞いている時。
自分にとって重要な事柄や、直接関わってくるような事なら、聞き耳を立てて、話に入って行くだろうし、全く興味のない事柄なら、相づちしながらも聞き流している。
そんな雰囲気が、ずっと続く。
ほとんど意味のないセリフを、顔の見えない役者達が、ただ話している。
それが、とてもリアルで、その繰り返しに次第にファンタジーを感じ始める。
実際ファンタジーっぽい映像も出て来るが、そのシーンが逆にとてもリアルに感じ、リアルな会話やシーンの中に、ファンタジーを観る。
私達の現実の日常の中でも、リアルとファンタジーは意外に表裏一体で、いつ、どこでも何かのはずみでどちらにでも転ぶ事が出来るのだとはっきりと気づかされる、刺激的な映画だった。
入場時間の1時間位前に、ホールの階段下に並んでいると、小栗康平監督が、まだ開いていないホールの入り口を探しあぐね、警備員に尋ねるも、試写に来た一般人と思われ「列に並んで下さい」と言われて、しょうがなく携帯でスタッフと連絡を取っていた。
カンヌグランプリ監督であっても、やっぱり自ら「監督です」とは言えないのだろうか。気の毒になった。
開場時間の10分程前に、立松和平氏が普通に皆の並ぶ階段を上って会場入りしていたが、誰も気づいていなかった。
二人のトークは、立松和平氏の発するひと言ひと言がとても自然に力の抜けた、あのイントネーションと共に何とも言えないおかしみを醸し出して、会場は非常に盛り上がっていた。
今まで観た試写会のゲストトークの中で、一番受けていたし、内容もとても面白かった。
映画の内容には触れないという約束で、“夢”を描いた作品であるという事だけをトークの題材にしていたのだけれど、二人の話すひと言ひと言が非常に深く真理を突いて、考えさせられる内容で、この話を聞けた事が非常に素晴らしい体験で、とても価値のある時間だった。
例えば小栗康平監督の映画はカット数が少ないという事。
どうしてそうなるのか、そうする事の意義と、それから生まれてくる事とは。
引きの画が多い事。
その意味と、その画から感じる事。拡がる世界。
監督は、自分の映画が、押しつけがましくなく、画面に余韻を持たせ、観客一人一人に感じるままに考えさせる事を究極的な理想としているようだ。
立松和平氏は、監督と友人で、作品のファンでもあり、監督のそんな作品達を愛している様子だった。
小栗康平監督作品を初めて観る。
シーンの多くは、とても引いた画から始まり、人物に寄って行っても、最高でバストアップまで。
それもバストアップになった場面は、浅野忠信、岸部一徳、夏蓮の三人だけで、多分全部でも3,4回しかなかったと思う。
引きの画と自然光と普通の室内照明の為か人物が暗くて遠いので、ほとんど他のキャストの顔はよく見えない。
最後の方まで、平田満が初めの方から何度も出ていた事を気づかなかった。
エンディングロールで特別出演の松坂慶子の文字を見て、ほとんど全員が「一体どこに出ていたの?」と思ったと思う。
その他にも、主要キャスト以外に、驚くような人がわずかなシーンに出演している。
そういった引きの画に、前のシーンからのセリフや、画に映っていない人物のセリフが被ってくる。
この感じは、一体なんだろう? と観ながら考えていた。
監督はファンタジー映画と何度も話していたが、もの凄くリアル過ぎて、逆にそれがファンタジーに思えてくるような感じ。
例えば、そばに居る人達が話している事を、何とはなしに聞いている時。
自分にとって重要な事柄や、直接関わってくるような事なら、聞き耳を立てて、話に入って行くだろうし、全く興味のない事柄なら、相づちしながらも聞き流している。
そんな雰囲気が、ずっと続く。
ほとんど意味のないセリフを、顔の見えない役者達が、ただ話している。
それが、とてもリアルで、その繰り返しに次第にファンタジーを感じ始める。
実際ファンタジーっぽい映像も出て来るが、そのシーンが逆にとてもリアルに感じ、リアルな会話やシーンの中に、ファンタジーを観る。
私達の現実の日常の中でも、リアルとファンタジーは意外に表裏一体で、いつ、どこでも何かのはずみでどちらにでも転ぶ事が出来るのだとはっきりと気づかされる、刺激的な映画だった。
「ヒトラー~」とどっちにしようか迷った挙句もう公開だというので「埋もれ木」にしました。
監督さんのこだわりと人の良さがにじみ出ていていい意味で理解できない作品でした。
理解できなくても納得できたからそれでいいだろうと…。
入場制限されていたみたいですね。
「ヒトラー~」ももう試写始まってるんですね。
俳優さんの顔、表情、を観ようと目を酷使したみたいで、見終わった後はもの凄い眼精疲労が!
字幕じゃないから、と思った物の、字幕映画よりも目と頭を使わされる日本映画でした。
南果歩さんの近くに座られてたのですか?
さすが女優!という感じで、美しく華がありましたね。
転ぶ音が凄くてびっくりしました!
柱に寄りかかってだらだらしていたので知りませんでした。
監督のお友達のどこかで見たことのある老齢の方が一番前に座らされて監督が謝っていました。
長くないエンドロールなんだからじっと見てれば転ばないのに…、慌てて逃げるように帰るのも失礼ですよね。「タダなんだから」
あの会場の段差は1段5~6Cmしかないからかえって転ぶのかも。
開演5分前位に現れて、終映後は見かけなかったです。
転んだ音がそこから聞こえたようなので、chikatさんもその辺りにいらしたのかな?と思いました。
前の方だったのかな?
あそこの階段、低くて広い段と狭い段と交互にあって、下りるのもいつもちょっと恐いです。
コメント&TBありがとうございます。
この映画こそ本当の意味でのファンタジーではないかと思います。CGをこれほどまでに有効に使用した映画は最近では珍しく、僕はこの手の稀有な作品に心から感謝したいです。
ではまた。
CGを多用していると、聞かないとわからない(聞いてもわからない)ような使い方、こそCGの正しい使い方だと私も思います。
小栗康平監督作品にはこれからも注目していきたいと思います。
コメントありがとうございます。
この映画を観て、とても感じるものがありました。
他の方のレビューが見たくて、こちらを訪問させていただきました。
またよろしくお願いいたします。
監督自身が、受け身で観ていたら何も得られないと言っていた通りの非常に想像力を刺激される映画でした。
この映画を観て、普段どんなに自分が受け身で映画を観ているのかを再認識させられました。
他の作品を観た事がないのでこれから観るのが楽しみです。
また是非遊びに寄ってやって下さいね!
とても真摯な方で、いろんな事を感じ、考えておられるのが嬉しかったデス。で、最後のあの場面ね、本当にある所にあるんだそーですよ。
ツボヤキさんのブログで、コメントが私だけなんて驚きです。監督が読まれたと思うと恥ずかしいです。
思い出しても全てが夢の中のようで、見えない物が見えたり、見える物が見えなかったり。
スクリーンで観られて良かったです。
これからは新しい方から遊びに行かせて頂きますね。今後ともよろしくお願いいたします。