11日の12時頃、長春を飛び立ち北京経由で成田に戻る予定だったが。
11日の3時過ぎ―現地時間-便がキャンセルとのアナウンスがあった。
カウンターには「東京 地震」の文字。他には何もなし。
・・・・・・
東京が地震で成田が機能しない事態とは何なのか。良くない想像が広がる。
空港内のインフォメーションで尋ねても不明―当然ではあるが。
結局航空会社の手配のホテルで一夜を過ごすことになった。
この日のホテルは大変。
次から次へと深夜になっても旅行客が到着。
私もそうだが全員が不安で、決して上機嫌ではない。
不満もあったが、ホテルはよくやったと思う。
服務員さんたち全員に「謝、謝!!」。
ホテルではネットが利用できたほか、CCTVの2チャンネルが一日中日本の地震関連のニュースを流している。
温家宝首相は翌日のうちに日本に電報を送り、緊急援助隊も待機態勢に入った。
驚くべき迅速さ…中国国内でも、雲南が被災している最中だというのに。
雲南に関しては、あの第二次大戦末期、日本軍のほとんどが全滅した垃孟が映っている。
ミャンマーとの国境に近い街である。
建物は壊れたものの村民262名は無事とのこと。良かった。
それにしても第二次大戦では戦場となり、凄惨を極めた戦いの中で村民の犠牲も大きかった。
少年のころ読んだ「戦記物」では日本兵の勇敢さだけが描かれていた…当時はまだそんなものがあったのだ。
とんでもない。
本当なら日本から支援の手を差し伸べなければならない時なのに…申し訳ありません。
「対不起」。
日本に関する情報はネットを通じて入ってくるものの、実際のところ「何がどうなっているのかが、分からない」。
ただ被災地の凄絶な状況に見入るだけで。
堤防をこえていく「海」。
ただ瓦礫と化して押し流される街。
闇夜に轟々と火を噴く気仙沼の街。
火柱と黒煙を上げるコンビナート。
そして原発。
・・・何もできない。・・・
ただ何か重いものを飲み込みながら眺めているという気分。
この間国際電話も通じない。ただこれは私の場合で、一緒にいた方の中には連絡が取れた人も少なくなかった。
しかし良いことがなかったわけではない。おかげで普段なら知りあえなかったであろう日本人と中国人の知り合いを得ることができた。
中国の方は哈爾濱から多賀城市に行く途中で料理人とのこと。
到底無理な状況にとりあえず友人のいる横浜に向かうとのこと。
もう一人は日本の方で日中間のビジネスに携わっている。
中国の航空会社の対応は結果的には悪くなかった。---まだチェックインした荷物が手元に来ていないけど・・これは日本側の宅配業者の状況も響いていそうだ。
あの状況・この状況では仕方ないと思える。
今朝となり町の役場に用があり出向くと、ちょうど9時ごろ、被災地に状況調査に向かう派遣チームが出発するところだった。
後で聞くとすでに土曜日に給水車を派遣しているとのこと。
私も何かしなければ…。
帰ってからの感想が二つ。
その一。日本は幸せな国だ。これほど多くの国々に支援の声をあげてもらえる。
世界の人たちへ、本当にありがとう。
Thank You for Everyone in the World.
その二。国を再建しなければならない。覚悟する時がきた。
多くの犠牲を無にすることのないように、二度と決してこのような事態を招かないように、そして世界の未来が日本の中に見えるように、立ち向かっていこう。
11日の3時過ぎ―現地時間-便がキャンセルとのアナウンスがあった。
カウンターには「東京 地震」の文字。他には何もなし。
・・・・・・
東京が地震で成田が機能しない事態とは何なのか。良くない想像が広がる。
空港内のインフォメーションで尋ねても不明―当然ではあるが。
結局航空会社の手配のホテルで一夜を過ごすことになった。
この日のホテルは大変。
次から次へと深夜になっても旅行客が到着。
私もそうだが全員が不安で、決して上機嫌ではない。
不満もあったが、ホテルはよくやったと思う。
服務員さんたち全員に「謝、謝!!」。
ホテルではネットが利用できたほか、CCTVの2チャンネルが一日中日本の地震関連のニュースを流している。
温家宝首相は翌日のうちに日本に電報を送り、緊急援助隊も待機態勢に入った。
驚くべき迅速さ…中国国内でも、雲南が被災している最中だというのに。
雲南に関しては、あの第二次大戦末期、日本軍のほとんどが全滅した垃孟が映っている。
ミャンマーとの国境に近い街である。
建物は壊れたものの村民262名は無事とのこと。良かった。
それにしても第二次大戦では戦場となり、凄惨を極めた戦いの中で村民の犠牲も大きかった。
少年のころ読んだ「戦記物」では日本兵の勇敢さだけが描かれていた…当時はまだそんなものがあったのだ。
とんでもない。
本当なら日本から支援の手を差し伸べなければならない時なのに…申し訳ありません。
「対不起」。
日本に関する情報はネットを通じて入ってくるものの、実際のところ「何がどうなっているのかが、分からない」。
ただ被災地の凄絶な状況に見入るだけで。
堤防をこえていく「海」。
ただ瓦礫と化して押し流される街。
闇夜に轟々と火を噴く気仙沼の街。
火柱と黒煙を上げるコンビナート。
そして原発。
・・・何もできない。・・・
ただ何か重いものを飲み込みながら眺めているという気分。
この間国際電話も通じない。ただこれは私の場合で、一緒にいた方の中には連絡が取れた人も少なくなかった。
しかし良いことがなかったわけではない。おかげで普段なら知りあえなかったであろう日本人と中国人の知り合いを得ることができた。
中国の方は哈爾濱から多賀城市に行く途中で料理人とのこと。
到底無理な状況にとりあえず友人のいる横浜に向かうとのこと。
もう一人は日本の方で日中間のビジネスに携わっている。
中国の航空会社の対応は結果的には悪くなかった。---まだチェックインした荷物が手元に来ていないけど・・これは日本側の宅配業者の状況も響いていそうだ。
あの状況・この状況では仕方ないと思える。
今朝となり町の役場に用があり出向くと、ちょうど9時ごろ、被災地に状況調査に向かう派遣チームが出発するところだった。
後で聞くとすでに土曜日に給水車を派遣しているとのこと。
私も何かしなければ…。
帰ってからの感想が二つ。
その一。日本は幸せな国だ。これほど多くの国々に支援の声をあげてもらえる。
世界の人たちへ、本当にありがとう。
Thank You for Everyone in the World.
その二。国を再建しなければならない。覚悟する時がきた。
多くの犠牲を無にすることのないように、二度と決してこのような事態を招かないように、そして世界の未来が日本の中に見えるように、立ち向かっていこう。
当時の記事を遡り読ませていただき私も記憶がまじまじと蘇りました