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《読書》石原千秋『秘伝 中学入試国語読解法』新潮選書(その2)

2006-06-30 05:47:21 | 読書
(承前)
 この本の第2部は「入試国語を考える」ということで、中学入試国語読解の「秘伝」が述べられています。
 私なりに「秘伝」を抜き出してみると以下のようになります。


 いま「国語」がやっていることは「道徳教育」である。小説(物語)であろうと評論(説明文)であろうと、そのことに変わりはない。しかし、そのことは当の子供たちにはきちんと知らされていない。いないどころか、「思ったこと」を答えなさいなどとまやかしの「自由」を押しつけられている。子供たちだって知っている。本当に「思ったこと」を答えたら叱られることを。あるいは、マルをもらえないことを。でも、なぜそうなのかは教えてもらえない。子供たちは、ルールを説明されないままゲームに参加させられているようなものなのだ。(p.9)

 フランスの批評家ロラン・バルトは、「物語は一つの文である。」という意味のことを言っている。これが、これから僕が「国語」について解説する立場である。
 「物語は一つの文である。」ということは、物語が一文で要約できるということである(これを物語文と呼んでおこう)。たとえば、『走れメロス』(太宰治)なら「メロスが約束を守る物語」とか、『ごん狐』(新美南吉)なら、「兵十とごんが理解し合う物語」とかいう風に要約できる。これが物語文である。もちろん、もっと抽象的に「人と人とが信頼を回復する物語」(走れメロス)とか、「人間と動物が心を通わす物語」(ごん狐)でもいい。ここで気づいてほしいのは、こんな風に物語文を抽象的にすればするほど物語りどうしが互いに似てくるということだ。この共通点が「物語の型」なのである。
 「国語」が得意な人はこの「物語の型」が身に付いている人だ。それは読書によって得られることが多いから、読書をよくする人が「国語」が得意になるのである。だから、「本を読みなさい」というアドバイスは正しい。僕も読書を勧める。
「国語」で繰り返し語られるのは「子供が成長する物語」である。どういう風に成長するのか。小さな旅行を経験して成長するのか、兄弟喧嘩をして成長するのか、はたまた恋を知って成長するのか、それはいろいろである。だが、それらの共通点が「成長」にあることは紛れもない事実である。それが教育というものだからである。「成長」することが道徳的に価値があるのだ。それを直接教えないことで、子供の内面を子供の気づかないように「管理」(教育)するのが、「国語」教育の目的なのである。(pp.179~180)

 僕たちはこういう二元論によって世界を分類している。たとえば、あいつは「明るい」がこいつは「暗い」と考える時、僕たちは二元論によって友達を分類している。「科学」が「自然」を破壊している(つまり環境破壊)と感じる時、僕たちは二元論によって善悪を決めている。「科学」が悪で「自然」が善だ。これは実に単純な考え方だが、実際この手の評論を読んだことは多いはずである。そのくらい二元論は僕たちの物の見方を支配している。男が偉くて女は偉くない、これも二元論だ。だから、本当は僕たちはもうそろそろ二元論から自由になりたいのだが、残念ながら中学入試を解く時には二元論は絶対的な力を発揮する。(p.185)

 二元論(二項対立思考)については、樋口裕一『ホンモノの思考力-口ぐせで鍛える論理の技術-』集英社新書(2003)でも述べられています。
 第二部二章以下では、以上のような理論に基づいて、実際の中学入試国語問題を例にあげて解き方が説明されています。ここの部分はナナメ読みしました。

 さて、この本はいったい誰が読むのか?

 一つめは、受験生本人は六年生になってから(できれば一学期中に)読んでほしいということだ。第一部は体験編だから、むしろ早めに読んでほしいところだが、第二部は違う。実際の入試問題を解く以上それなりのレベルになっている。(p.177)

 著者は受験生本人が読むことを想定しているようですが、今のところ、息子に読ませる気にはなりません。読めと言っても読まないだろうし。

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