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《読書》山崎浩太郎『名指揮者列伝-20世紀の40人-』アルファベータ

2007-06-18 06:26:27 | 読書

●〔52〕山崎浩太郎『名指揮者列伝-20世紀の40人-』アルファベータ(叢書・20世紀の芸術と文学) 2005
(2007.06.14読了)

○内容紹介
「レコードの世紀」を生きた40人の指揮者。その生きた状況を「演奏史譚」の名手が語る。トスカニーニからジュリーニまで、「レコードの世紀」の名指揮者40人の生きた時代とその生き様、代表的な録音を、「演奏史譚」の名手が絶妙な筆致で語る。『レコード芸術』掲載「20世紀の不滅の大指揮者たち」を単行本化。
山崎浩太郎[ヤマザキコウタロウ]
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。

 市民図書館で借りて読みました。面白く読むことができました。
 著者の文章は『レコード芸術』等で読んできましたが、まとまった本を読むのは初めてです。
 広く海外の文献も渉猟しており、実証的でエピソードも豊富でした。切り口も多彩です。

○本書の成立について
本書は「レコード芸術」誌二〇〇二年五月号から二〇〇五年二月号まで、中断をはさみつつシリーズとして掲載された「20世紀の不滅の大指揮者たち」をまとめたものである。
掲載は、IMG制作EMI発売の「GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURY」の発売と並行して行なわれた。同シリーズは指揮者一人を収めた二枚組を一巻とし、EMI録音のものに限らず多くの他レーペルヘのセッション録音や放送音源も含まれた全四十巻のシリーズである(そのうちの十人分については国内盤も東芝EMIから発売された)。
本文中に「IMGのアルバム」「IMG盤」などとあるのは、このシリーズのことである。それぞれの収録曲については本文中に入れると煩雑になるので、巻末にリストを掲載した。(p.10)
上記のように「GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURY」とのタイアップ企画ですが、特に宣伝臭いところはありませんでした。

○音楽観 
ヨーロッパの音楽のスタイルというのは、おおむね半世紀ごとに「俊敏」と「荘重」が交替してきたのではないか、などと最近考えている。
 二十世紀の演奏スタイルの変化を考えてみると、多少の例外や時間差は別として、ごくおおざっぱにいえば、世紀前半が「俊敏」、後半が「荘重」のパターンのひとつである「生真面目」だと、わたしは思う。十九世紀以前の演奏については、レコード発明前のことなので文献等から推測するほかないが、作曲された作品(作曲と演奏との間に離隔が生じた二十世紀よりもはるかに、実践面で演奏と密接に関係していると思われる)のスタイルを考えると、ワーグナーなどの後期ロマン派の世紀後半が「荘重」、ベートーヴェンや前期ロマン派がいた十九世紀前半が「俊敏」だろう。そしてハイドンとグルックなどの十八世紀後半が「荘重」、ヘンデルとD・スカルラッティなどの世紀前半が「俊敏」。そうすると、十八世紀後半のモーツァルトは「荘重」に、前半のバッハは「俊敏」に演奏するのが、時代のスタイルとしては正しい、ということになりそうだ。
 もちろん、地方差はある(古い時代ほど大きいだろう)し、発展と拡大をひたすらに続けてきた技術水準が、この交替を複雑で曖昧なものにしているはずだ。しかしそれでもなお、一方通行的な発展史観や末法史観では語りえない「反復」を考えてみることで、ヨーロッパの音楽史の流れの別の一面に気づくことができるかも知れない、などと考えているのだ。(p.19)

○エピソード 
ここにいるかぎりセルは皇帝だった。ある楽員はこぼしたという。
「ベルリン・フィル(いうまでもなく、当時のボスは元ナチ党員カラヤン)には民主主義かあるのに、ウチにあるのは第三帝国だからなあ」(「ジョージ・セル」p.161)

 その持てる力を引きだし、保持し、受け継がせてゆくこと、それが、オーマンディの仕事だった。「偉大なるマンネリ」といっていい。華麗なる響きを半世紀だもつために、オーマンディはひたすらに畑を耕す、篤実な農夫のように仕事をした。三九年や六〇年のストコフスキー客演のあと、指揮台に立ったかれは何事もなかったかのように、楽器配置をもとのピアノ配置に戻したという。
 豊麗な「フィラデルフィア・サウンド」とは対照的に、かれ自身はストコフスキーやビーチャムやクレンペラーのような楽しい逸話とも、カラヤンやバーンスタインの華やかさとも、無縁だった。
 ステレオ録音の初期、五〇年代末から六〇年代にかけて、コロンビア・レコード(CBS)の二大看板オーケストラは、バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルと、オーマンディ指揮のフィラデルフィア管だった。
 バーンスタインはテレビ出演、また演奏会での気の利いたスピーチなど、ストコフスキーの自己演出能力を明らかに参考にしていて、レコード界にもにぎやかに話題を提供し続けた。ところが、売上枚数の点では、話題性のないオーマンディのレコードの方が、はるかに上だったという。(「ユージン・オーマンディ」p.165)

※山崎浩太郎のはんぶるオンライン

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