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《読書》阿部陽一『フェニックスの弔鐘』講談社

2006-07-31 04:38:34 | 読書

●〔50〕阿部陽一『フェニックスの弔鐘』講談社 1990
(2006.07.27読了)
 阿部陽一の作品は前に『水晶の夜から来たスパイ』講談社(1991)を読んだことがあり、何かしらふっとそのことが思い出され、市民図書館で借りてこの本も読みました。
 作者の阿部陽一は、

1960年徳島県に生まれた。少年期は多くのミステリー小説を愛読した。 学習院大学法学部卒業後は日本経済新聞社の記者として入社する。この間、雑誌編集などの記者として以外の仕事もしている。その後、親しんでいたミステリーの創作を決心。処女作『クレムリンの道化師』を第三十五回江戸川乱歩賞に応募、最終候補作まで残るが国際小説(この作品はソビエト連邦を舞台としたスパイ・サスペンスで、小説中一人も日本人が出てこないというものだった)が難点となってしまい、受賞を逃す。翌年、再び国際小説(だが、今作品は登場人物の中に一人だけ日本の首相を出した。エピローグ時のところで東京の場面で小説は終結している)『フェニックスの弔鐘』を応募、見事第三十六回江戸川乱歩賞を受賞した。 当時選考委員であった笹沢左保は『クレムリンの道化師』について、「応募先を間違えたようで気の毒だ」 というように評した。しかしながら『フェニックスの弔鐘』については「またもや国際小説で応募してきたという作者の姿勢が見事だった」という言葉を残している。 また選考委員だった生島治郎は「未熟であったとしても新しいことに挑戦し新ジャンルを拓こうとする新人のエネルギーと若い力に期待したい」と述べ、これが生島が選考会で『フェニックスの弔鐘』を少し強引に推した理由だと述べている。 謎解きが主題の小説が受賞してきた乱歩賞に『フェニックスの弔鐘』は変革をもたらした、といわれている。(ウィキペディアより)

 あらすじは、

ニューヨークでVIPを乗せた旅客機が墜落。現場からはソ連製の毒ガスが発見された。モスクワではパイプラインが爆発…。デタントのうねりが世界を覆い、米ソ日で軍縮条約が結ばれようとしたとき、平和に挑戦し、冷戦の復活を目ざす巨大な陰媒が進行しつつあった。

ということで、一言でいって国際謀略小説です。フォーサイスを連想させました(悪く言えば亜流?)。もう少しディテールが書き込んであればとも思いましたが、このテの小説が大好きな私としては面白く読むことができました。


 細長いテーブルのブイコフと向かい合って坐るゴルバチョフ書記長の右側には、ルイシコフ首相、マスリュコフ第一副首相、シェワルナゼ外相、クリュチコフKGB議長、バカーチン内相、ヤゾフ国防相、モイセーエフ参謀総長ら政府・軍の最高首脳が坐っている。彼らの後方には別の小テーブルが置かれ、書記長から出席を求められた三人の特別顧問――前参謀総長アフロメーエフ元帥、前KGB議長チェブリコフ、ドブルイニン前駐米大使が揃って腕を組んで並んでいた。
 反対側の列は、リガチョフ政治局員兼書記、メドヴェージェフ政治局員、プーゴ党統制委員会議長兼書記、ウラソフ政治局員候補など党最高幹部が席を占めているが、ウラソフの椅子ひとつ置いた隣には、ガス工業相チェルノムイルディンが場違いな格好で身じろぎもせずにいた。
 訪日中のヤコブレフ政治局員兼書記をはじめモスクワにいない者を除き、ソビエト連邦の最高幹部が集まっているのだ。(p.194)

 一時期、クレムリン・ウォッチングをやっていた身からすると、涙が出るほど懐かしい面々です。

 阿部陽一の本は、本書と『水晶の夜から来たスパイ』の2冊しか出版されていないようです。残念です。

※画像は講談社文庫版・江戸川乱歩賞全集〈18〉。

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