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《読書》佐藤優『国家の罠-外務省のラスプーチンと呼ばれて-』新潮社

2005-07-21 06:59:20 | 読書

●〔48〕佐藤優『国家の罠-外務省のラスプーチンと呼ばれて-』新潮社 2005
(2005.07.05読了)
 話題の本です。面白く読めました。
◎拘置所での生活
 著者は512日間、東京拘置所に拘留されましたが、その拘置所での生活(食事など)が微に入り細に穿って書かれています。
「僕を拘留し続ければいい」
「エッ。本気か」
「本気だ(中略)」
「ほんとうにそんなことでいいのか。変わってるな。」
「別に。僕はここの生活をそれなりに気に入っている。メシはうまいし、外で読めなかった本も読める。語学の勉強にも集中できる」
これは半分私の本心だった。(中略)獄中では難解な神学書・哲学書の理解が外界では考えられないほど深くなる。戦前、無政府主義者の大杉栄が「一犯罪、一語学」といって獄中で各国語を次々とマスターしていったが、神学部を離れてから疎遠になっていた古典ラテン語、古典ギリシア語の復習もしたかった。(pp.261-262)
今から思えば五百十二日間の独房生活は、読書と思索にとって最良の環境だった。学術書を中心に二百二十冊を読み、思索ノートは六十二冊になった。(p.394)
 読書と思索にふけれるならば、拘置所に入るのも悪くないなと1%くらいは思いました。

◎検事の取り調べについて
 取り調べにあたったのは西村尚芳検事ですが、その取り調べの様子が詳細に描かれていました。
西村氏の目が挑戦的に光った。
「あなたは頭のいい人だ。必要なことだけを述べている。嘘はつかないといういやり方だ。今の段階はそれでもいいでしょう。しかし、こっちは組織なんだよ。あなたは組織相手に勝てると思っているんじゃないだろうか。」
「勝てるとなんか思ってないよ。どうせ結論は決まっているんだ。」
「そこまでわかっているんじゃないか。君は。だってこれは『国策捜査』なんだから」(p.218)
「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何かの象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」
(中略)
「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハードルが下がってきているんだ。(後略)」(p.287)

 ここまではっきり書いて問題にならないのでしょうか?(実際、この取り調べの問題点を指摘している文章もあります※)
 西村検事とは心の交流(?)もあったようです。

※『司法ジャーナル』2005年06月20日号「【ここが問題】佐藤優著『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で公開された西村尚芳検事の問題発言について何の動きもしない南野法相の姿勢」


◎某死刑囚について
ところで、拘置所では、毎週月曜日と木曜日が髭剃り日で、電気カミソリが貸し出されるが、自費で電気カミソリを購入すると毎日一回、髭を剃ることができる。カミソリが紛れてしまわないように独房の番号と氏名が記されているのであるが、ある日、間違えて「三十一房、誰某」と書かれた電気カミソリが私の独房に差し入れられた。これで私は隣人の氏名を知ることになった。
三十年以上前、共産主義革命を目指して大きな事件を起こした人物だった。この事件については、当時の警察関係者が手記を書き、それが映画化されたり、種々の評論もでており、この事件をモデルにした小説もいくつも書かれている。(p.363)

 この三十一房の人物は連合赤軍事件の坂口弘死刑囚のようです。

 この本では著者は、自分は私心を持たずひたすら国益のために活動した外交官であり、また鈴木宗男も同じく私心なく国益のために活動した政治家であることを執拗に主張しています。果たしてこれが真実なのかどうか、私にはわかりません。歴史が審判を下すのでしょう。
 著者は徹底して自己の主張を貫き、拘置所にも長期拘留されることも厭いませんでした。彼に妻子がいない(と思われます)ことが、それを可能にした一因ではないかと思いました。



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2 コメント

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リンク切れなので。 (azev)
2005-08-31 06:19:11
『司法ジャーナル』2005年06月20日号

司法の裏表 鷲見一雄が斬る

【ここが問題】佐藤優著『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で公開された西村尚芳検事の問題発言について何の動きもしない南野法相の姿勢



●検察をもっと勉強すべきだ



  2週に亘って佐藤優著『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で佐藤氏が公開している「佐藤氏と西村尚芳・当時東京地検特捜部検事との会話」を取り上げてきた。1部に問題があると捉えたからだ。

国民の多くは特捜部の検事を「破邪顕正の剣を振るう法律家」として高く評価、多くの支持と期待を寄せている。筆者もその1人だ。

東京地検特捜部は今年で創部58年となる。筆者はこのうちの47年ほどみてきたが、「あれ、あの動き、あの検事はおかしいのではないか」と感じたことが一再ならずあった。西村検事の佐藤氏に対する話もその範疇だ。

筆者は声を大に言いたい。「国民の大半は仕方がないが、国会議員、マスコミ関係者は検察をもっと勉強してくれ」と。



●検察は裁判機関ではなく行政機関



  そもそも検察は「準司法機関」であるが、裁判機関とは一定の距離を置く「行政機関」である。裁判機関と一体ではなくチェックされる存在だ。行き過ぎなどという間違いがあるからだ。

  検察庁法14条に「法務大臣は…検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し個々の事件については、検事総長のみを指揮することができる」と定めているのも行き過ぎを国民に代わってチェックさせるためといえる。法務大臣の指揮権という。

  なぜ、「法務大臣は個々の事件については、検事総長のみを指揮することができる」という条文が入ったか、を説明しよう。

  周知のように公訴権は、検察官個人に付与されている権限である ( 検察庁法第4条 ) 、その権限の性格は裁判官同様、「その良心に従ひ独立して職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される。 ( 憲法第76条 ) ものと解釈される。

  だが、検察庁法をみると、検察官個人の公訴権に、法務大臣がくちばしをいれることが可能な仕組みになっている。

  先に述べた「法務大臣は個々の事件については、検事総長のみを指揮することができる」があるからだ。その検事総長は「すべての検察庁職員を指揮監督し ( 第7条 ) 、「その指揮、監督する検察官の事務を他の検察官に取り扱わせることができる」 ( 第12条 ) 。

  要するに法務大臣は検事総長を介するが、「逮捕、起訴はやめろ」と指図できる権限を持っているということなのだ。



●なぜ、法相が指揮権を持っているのか



  どうして、前述のようなややこしいことをしているか ?

先に述べたように公訴権は、検察官個人に付与されている権限である。数いる検事の中には濫用する恐れもある。

  国家の主権は国民にあるから、検察官の公訴権の濫用は国民の権利の侵害に当たる。そこで、法的に見て国民の代表と解釈される法務大臣に、検察官の職権濫用を防止する役割を担わせた。これが検察庁法14条に「法務大臣は個々の事件については、検事総長のみを指揮することができる」という条文が入ってた理由である。



●小渕内閣の中村法相までは健全



 小渕内閣の中村正三郎法相 ( 98年7月30日―99年3月8日 ) は就任直後、北島敬介検事総長に、「検察庁は外部の不必要な圧力を避けて、公平公正な検察業務を行うために、法務省の外局としてある。当然法務大臣の指揮下にあるが、私は余程の重大な必要性がない限り検察を指揮することはしない。検察は社会正義が実現するよう又、法の正義が実現するよう国民のために仕事をしてもらいたい。そして何よりも憲法の規定により、国民から選ばれた国会から選出された総理大臣に指名された法務大臣の下にある国民のための行政サービスを行う機関であること、そして憲法66条の規定により国民の代表たる国会の代表たる国会に対して連帯して責任を負うという行政機関である。そのようなことを常に念頭において仕事をしてもらいたい」 という考え方を伝えたと聞くが、「政治と検察」のあるべき姿という視点からは正論である。

中村の言う「私は余程の重大な必要性がない限り検察を指揮することはしない」は「法務大臣は ( 検察が ) 特定の人物に対し恣意的捜査で断罪しないという担保になる、恣意的捜査をした場合のチェック役になる」、「 ( 検察が ) 暴走した場合の止め役になる時以外は指揮するようなことはしない」という意味であろう。小渕内閣の中村法相の時代までは「政治と検察」の関係は中村氏の個人的に言動を除けば健全だったといえる。



●法相の存在を無視した西村発言



  佐藤優著『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』の中の西村尚芳検事の次の発言は問題である。

①「国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」

②「国策捜査は冤罪じゃない。これというターゲットを見つけ出して、徹底的に揺さぶって、引っかけていくんだ。引っかけていくということは、ないところから作り上げることではない。何か隙があるんだ。そこに僕たちは釣り針をうまく引っかけて、引きずりあげていくんだ」

公訴権を濫用しているとまではいえないまでも、検察官同一体の原則にかなっているかどうか疑問であるからだ。というのは東京地検特捜部の検事たちは西村検事と同意見だとしても、東京高検、最高検、法務省、東京地検特捜部以外にいる検事たちが同じだとは思えないからである。

  ともあれ、西村発言は法務大臣を「いてもいなくてもいい」存在にしての発言である。

これを危険と警告しなくては検察ウォッチャーの存在価値はない。政治家の能力不足が西村検事のような検事を誕生させるのである。



Unknown (的外れ?)
2005-12-20 13:52:08
「政治家の能力不足が西村検事のような検事を誕生させるのである。」これは誤りではないか。プロ同士の高度な交渉である。被疑者は既に①②だと確信している。そこでそれに同調し、信頼を得て、被疑者が抵抗して捜査が停滞するのを抑止している。逮捕の段階では実は手元の情報があまりない。「不自然でない」訴状を用意せねばならない。それが組織の目標であろう。供述を得て、被疑者側からの真実を聞き出し、制限時間内に起訴の形式を整える。そのための高等戦術である。西村検事は、佐藤氏の著作を「そんなこと言ってない」と簡単に否定できる。こちらは検事で、あちらは被告人だ。だからこそ、佐藤氏はぶちまけても西村検事にそれほど迷惑をかけないと考えたのであろう。

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