安土町商工会

歴史文化・自然環境に恵まれた「安土町商工会」の各種情報を発信していきます

安土経済人塾(第2回)

2010-09-29 | 創業・経営革新情報

第2回 安土経済人塾 (2010929日(水) 20002200 安土町商工会館)

 

◇開会

◇あいさつ

安土町商工会 会長 三村善雄 (㈱三村造園)

         法人部部長 岡田彦士 (新栄商事㈲)

 

◇セミナー 

講師 ㈱東洋商会 高木 敏弘 (醸造用品機材・農産加工機材 卸売・小売業)

 

 

 

<事業内容>

・㈱東洋商会は昭和32年5月1日に父が創業した。父はもと㈱豊光堂の社員。

 昭和32年は、東海道本線が電化され、学校給食が安土で始まった年である。

 余談であるが、私は安土幼稚園の一期生である。因みに、翌33年は、東京タワーが出来、長嶋茂雄が巨人に入団し、千円札が発行された。この頃は、日本の青春時代ともいえる時代であり、創業も多く、日本全体に活力があふれていた。

・主な事業は以下の通り。

    酒造メーカーへの機械・器具等の販売(滋賀・岐阜・愛知等の酒造メーカーへ)

安土での大元は三晃堂であり、そこに勤めていた善住氏が豊光堂として独立、豊光堂に私の父が勤めていて東洋商会として独立した。他に村井商店、シガ産業など町内に7~8軒もの業者があった。

日本酒業界は、昭和48年がピークで、その後は長期低落傾向が続いている。最盛期から3分の1に減っているので、私たちの業界も深刻な売上不振に陥っている。

    当社ブランド商品の開発及び販売(全国の醸造メーカーへ。TM式吟醸搾り機など)

父が考案したエアシューターは特にヒットし、一般名称として認識されるほどである。

また、トーヨー式排水処理装置も全国に展開した。

酒造りは、人間の都合で大量生産するのではなく、スピードはゆっくりでも、いい状態で搾り、いい状態で加熱すると良質のものができる。

    農産加工機器プラントの設計・施工(近隣市町村、JAへ。米粉製粉機。)

昭和54年、家業を継いだ当時、転作で育てた大豆を味噌に加工しようという動きがあり、麹のことや加工機器のことなど総合的に始動した。味噌の次はもちやジュースなど様々な商品に広がっていった。

愛東マーガレットステーションで、フルーツに着目した商品開発を提案した。第三者的な目で見ると新鮮な発見があり、新たな提案が出来る。

最近では小型米粉製粉機を開発、発売している。他社に先駆けて開発したので、取材を受けたこともある。合言葉は“地産・地消”、“安心・安全”。

    食品メーカーへの機械・器具等の販売(滋賀・岐阜の酒造以外の食品メーカーへ)

    農産加工食品の販売(米粉スィーツ、Shop Madreオープン)

商売の理想は「循環」である。例えば、機械を売る→機械で作った物を売る→利益が上がる→機械の稼働が上がり、また機械が売れる。実際は思い通りにはいかない。

・都会の人は田舎で作った野菜を欲しがるが、手作りでは需要の増大に応えられない。すると、地元産品は地元の産業フェアで販売されることになる。しかし買い手も地元の人であり、経済効果は生まれない。したがって、本当の“地産地消”は、「地元の産品を、外部の人が来て購入する」ところから生まれる。地域と外部を結ぶシステムを作りたい。

・米粉に着目したのは当社が最初であるが、米粉ブームで大手が席巻している。

 おいしいものが作れることを証明するため、自社に製造場所を設け、展示会などに出展示している。試食は誰でも褒めるが、リピーターになってくれるかどうかは別問題。

・東京の展示会では客の反応がすごい。商品を売り込み市場を選定することの重要性を感じる。

・娘が帰ってきて、“Shop Madre”という米粉スィーツや米粉パンの加工と販売を始めた。今は週末やイベント時に限定した販売だが、今後拡大していきたい。

・製粉機を販売するために、さかのぼって食品から販売している。米が主役になるように。

・国の施策では表面的な食料自給率を上げるため、大手製パンメーカーと手を結び、小麦粉の代替品として米粉を代用している。

・農業つまり“土”を通じてのものづくりが日本の文化の基本である。土と離れたことにより、日本人のモラルや価値観が無くなり、軽薄な国になり下がったともいえる。

 

 

<略歴>

・昭和27年1月8日(2010年現在 58歳)

 

<信条>

・創造力は組み合わせ……初めに就職した松下電器産業㈱で学んだ事。松下は、他メーカーに比べ、技術力は劣っていた。しかし、カセットテープとラジオを組み合わせることでラジカセを作った。特別な能力は誰でも持っているわけではないので、何かを組み合わせることが創造力の源。組み合わせのひらめきを逃さないために日ごろから問題意識を持つことが大切。

・時間は作り出すもの……青年会議所で学んだ事。「時間が足りない」「忙しい」は言い訳。また、お客さんに対して失礼。時間は作り出せば何とかなるもの。

・与えられた条件でベストを尽くす……不満を言ってはキリがない。与えられた条件をまず知り、その中でベストを尽くすこと。

・御縁を大切に……来るものは拒まず、去るものは追わず。例えば、この時間をこのメンバーで共有する奇跡は一度しかない。その奇跡を大切にし、何かの縁につなげたい。

・ふるさと安土を誇りに思い、常に安土を発信する……当社のホームページは「http://www.azuchi-touyou.com/」で、「安土」を最初に付けている。自動車にも「滋賀県安土町」と書いている。信号待ちのときに周囲の乗車者が見るかもしれないから。営業のときも「安土から来た」と言い、関西弁を意識して使っている。誰かが反応してくれる。安土に会社があることは、一つのステータスとしたい。大阪の会社は本社を東京に移すが、京都の会社は京都のまま。つまり、京都に誇りを感じているから。安土も同様のブランド力がある。

・近江商人の端くれ……初めは、近江商人は強欲だという感じで、良いイメージを持っていなかった。しかし、「NPO三方よし研究所」の副理事長を務めており、近江商人の足跡を辿る中で、受け止め方が変わってきた。三方よしの精神は現代にも通じるが、順番はあくまでも「売り手よし→買い手よし→世間よし」である。私にとっては、「売り手よし」が少ないような気もするが…。

 

<私にとっての安土とまちづくり>

・特別なまち“安土”(超一流のブランド)。地元の者が思っている以上のブランド。人間は、死ぬ場所は選べるが、生まれる場所は選べない。しかし安土に生まれることが出来た。親に感謝している。安土の者がその価値観を共有し、全国に発信したい。

・安土塾に関わり早や30年。長年まちづくりに関わってきたが、まだまだこれから。合併もまちづくりの延長にあると考えていた。文化的・風土的には、合併の相手先として近江八幡は最適だが、真の意味での対等合併を目指したい。

・安土には、古代から信長時代までの歴史がある。近江八幡には、信長時代以降の歴史がある。二つのまちが合併することで、古代から近代までの歴史がつながることになる。

 この強みを活かし、観光産業を進めたい。

 

<“オール安土”の実現>

・商工会は異業種の集まりであり、交流や連携を図る最適の場所である。

 ものづくりから販売に至る“オール安土”を実現することが、個々の企業にとっても地域にとっても不可欠である。

・合併しても、埋没してしまわないよう魅力を発信することが必要。

・今の日本は閉塞している。毎年の大河ドラマは何かメッセージを発している。「坂本龍馬」は「世の中の仕組みを作り直す」というテーマであった。因みに昨年の「篤姫」のテーマは「それぞれの役割を果たす」であったと考えている。

・商工会のメンバーも、「新しい仕組みの中で連携しながら役割を果たす」ことが大切だ。

 自分の事業でいうと、機械のメンテナンスを地元の業者にお願いしたい。

 

<私の課題>

・以前は、“可”や“良”の経営でも持続できたが、いまは“可”ではつぶれてしまう。

“良”でも安心できない。

これからは“優”、できればその上の“秀”を目指さないといけない。

“優”や“秀”になるには、普通のことをしていてはいけない。

 

◇質疑応答・意見交換

Q:西の湖や「湖川の街道(うみのみち)」事業について

A:もともと、安土の合併は繖山を中心とした三町で計画されていた。しかし、「山は隔てるもの」であり、「湖は近づけるもの」であると。安土と近江八幡は西の湖を挟んでつながっている。「湖川の街道(うみのみち)」事業として力を入れているお堀めぐりや西の湖和船は、安土の豊な水路を活かして町なかをつなげ、周遊してもらいたいという発想から生まれている。お互いの歴史を含めたルート作りが可能である。

Q:従業員教育について

A:中小零細企業の事業主は、自ら現場に出て全人格をぶつけて仕事をしなければならない。その姿を見ることで、自然と伝わっているのではないか。

Q:広域に展開しているが、効率などはどうか。

A:自分は機械を売っているが、得意なわけではない。ハード(機械)を売って終わりではなく、ソフトを重視し、ノウハウと合わせた仕組みを説明して価値を伝えている。

Q:後継者は?

A:まだ息子は入社していないが、ある経営者の言葉で「継いでもらうのではなく、継ぎたいと思う会社を作ることが自分の仕事だ」と聞いたことがある。自分はまだまだだと感じている。