安土町商工会

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安土経済人塾(第4回)

2010-11-25 | 創業・経営革新情報

第4回 安土経済人塾 (20101124日(水) 20002200 安土町商工会館)

 


◇開会

◇あいさつ

 安土町商工会 会長    三村善雄 (㈱三村造園)

安土町商工会 法人部部長 岡田彦士 (新栄商事㈲)

 

◇セミナー 

講師 ㈱山梶製作所 山梶 源時 (ワイヤーハーネス部品・電線ケーブル部品製造業)

 

 

 

<会社概要>

・1968年(昭和43年)、父である山梶勘二が創業した。法人設立は1976年(昭和51年)で、安土町上出が所在地である。

・自動車などに使われているワイヤーハーネスを製造している。

 ワイヤーハーネスとは、電源供給・信号通信を目的とした複数の電線を束にして、それらを配線し易い長さ、形状にかたどったものである。(実物を示す)

  主要取引先は矢崎総業㈱などである。

・顧客からは図面だけもらう。6ヶ月の間に800~1000品番製造し、少ない物は1本、多いものは20万本ほど生産する。

  1993年(平成5年)に、現代表が社長に就任した。先代(父親)と一緒に仕事をした期間は無く、良いものも悪いものも引き継いだ。

 

<取り組んだ内容>

  社長就任時には、石寺に2ヶ所、上出に1ヶ所、上豊浦に1ヶ所、近江八幡に1ヵ所に分散して工場・倉庫があり、効率が悪かった。生産場所を集約するため2007年に上出に本社工場を新設した。

  経営理念と経営方針を定め、社内にも掲示している。

  顧客の品質に対する要求は厳しい。2005年5月にISO9001(品質)、2006年3月にISO14001(環境)を取得した。

  (会社や製造場所、検査の工程を画像で紹介)

  長年勤めている社員と、急に後を継いだ社長との関係づくり、体制構築。

  一顧客体制では、仕事量が豊富なときは良いが、一社に依存することは危険を伴うと共に、人間関係によって会社の環境が左右されることもあるので、その状況から脱却しようと、数年前に顧客探しを行った。

  当社は現在、正社員が8名、パート41名いるが、組織活性化の仕掛けが必要であると感じ、2年前に全社を挙げて「改革活動」を行った。

<全社あげての改革活動>

  世界的な不況や生産拠点の海外移転(中国、タイ、ベトナム)、国内でも競争激化による単価低下、必要量のみの発注など、我が社を取り巻く環境は厳しく、生産量はどんどん減っている。

  NYS(New Yamakaji System)、儲かる企業体質構築、「改革は当社のDNA」。

  (1~8)

  会社の動きを変えようと思うときは、旗を揚げて活動するとよい。従業員にどれだけ浸透するかどうかは分からないが、やってみないと始まらない。

  リーマンショックにより、時短では間に合わず、30人ほど退職してもらったが、生産量が徐々に戻ってきても少人数で対応している。

 

<5S活動>

  「整理」とは、要るものと要らないものを分けて、要らないものを捨てること。「整頓」とは、要るものを使いやすいように置き、誰にでも分かるように明示すること。「清掃」とは、常に掃除しきれいにすること。「清潔」は、整理・整頓・清掃の三元素を維持すること。「躾」は、決められたことをいつも正しく守る習慣づけのこと。

  本来当たり前のことだが、出来ていない中小企業が多いのではないか。5Sの基準(物の置き方等)を作って実施してみてはどうか。

  製造業にありがちな例……社長が営業に回ってせっかく大手企業からの受注が決まりかけたのに、現場を視察した相手が「5S活動が出来ていない。期待する品質が維持できるとは思えない。」と、取引に繋がらなかった。

  5Sには改善・改革の基本が含まれている。意識しないと身につかない。

  5Sの特徴

    仕事の無駄が減少する

    品質の無駄が減少する

    安全の確保ができる

    納期の確保ができる

    モラルが向上する

    営業の効果が上がる

 

<いま現在取組もうとしていること>

・社業長から卒業すること…数年来考えているが、まだ出来ていない。

・経営とは?

 「事業目的を達成するために、継続的・計画的に意思決定を行って実行に移し、事業を管理・遂行すること。」…これを見た時、「何にも出来てない」と感じた。1人で考えていてもだめで、社員と共に実行しなくてはいけない。

 ・試作品づくりの対応、また量産品を安く作る方法を考える。

・海外で製造してくれる会社を探す。

・5Sとも関連するが、動線の短縮化、物を探す時間を無くす、誰もが分かるための標準化に取り組んでいる。

・経営者である以上、いかに環境が厳しくとも、時代の変化に対応して、経営を維持し発展させる責任がある…どのように実現するか、現在も模索中。

・リーマンショック後、時短では間に合わず、従業員を減らした。従業員は「仕事が減ったのは社長の責任ではないか」と言う。

・今は「このようにしたい、こうすれば良くなるだろう」ということを文章に書き、社内に明示することを始めている。

 

<地域との関わりについて>

・生まれた地域で事業を通じて活動する幸せ。

・商工会の理事を数年前に務めていたが、会議では何も発言できなかった。なぜかというと、何も知らなかったから。地域との関わりを経験することの大切さを痛感した。

・自治会や神社の役が順番に当たり、果たしていかないといけない年齢になってきた。違った分野との付き合いも仕事と同様に大切だと考えている。

 

<海外の工場を視察した時の画像紹介>

・海外のものづくりの現場を見た時、「日本は負けるだろう」と感じた。

日本人も「勤勉だ」と言われるが、海外ではそれ以上のハングリー性を感じる。

・海外では、ラインに配置する前に、教育する機会を設けている。「標準化」の一例といえる。

・当社でも、中国人研修生を入れていた時期がある。3人採用するのに30人以上面接した。彼らは自分の稼ぎで家族を養おうと思っている。最初の3人はよく働いてくれたが、次に採用した人は途中で帰国してもらった。やはり当たり外れがある。

 

<質疑応答>

Q:事業を継ぐ前は何をされていたのか。営業のノウハウはあったのか?

A:パナソニックで設計をしていたので、営業経験は無く、お客さんを訪れて実践で学んでいった。従業員が仕事をしなかったり、「儲からないから断って」と言われることもある。

 

Q:1本から20万本まで製造されるが、機械化されているのか、手作業か。品質管理は?

A:ほぼ100%手作業である。内職も使っている。現場を見て驚かれる方もいる。

 品質チェックは、全数検査を行っている。

Q:5S活動を社内に行き渡らせる考え方や指導方法は?

A:「儲かる体質」を作る為には、同じ時間働いても高い成果を出さないといけないので、自然と整理・整頓から始めることになる。きちんとしている会社は、引き出しの中を見ればすぐ分かる。電話対応のメモでもパソコンのデータでも、10秒で探せるのと5分かかるのでは売上が変わってくる。自分で良い方法を思いついたら、社内全体に提案すれば、あなたを見る目が変わってくる。それ程大切なこと。

 

Q:改革の呼びかけをする際、社員とどのようにコミュニケーションをとっているのか?

A:お客さんが何を考えているかということからスタートし、的外れなことをしないようにすること。当社の場合、役割分担を組織として決めて始めた。出来ていない状態からの出発だったので、出来るようになったらお客さんから褒められて評価も上がり、従業員も喜んだ。

 

Q:改革のための会議や朝礼をしたとか、工夫した手法はあったか?

A:小人数で多品種を扱うと、失敗を繰り返してしまう。発注者はいろいろ宿題を出してくれるので、それが良い経験を積むことにつながった。また、経営理念や後継者のことを年齢に関わりなく問われるので、考えていなければならない。

 

Q:正社員8名、パート40名余りということだが、それぞれの役割はどうなっているか?

A:改革活動の時は、古い従業員に役職を下りてもらい、新しい人に新しい役職を付けた。社員とパートの区別は、受注量が半減した時期に、年配者や勤務態度で区別するとともに、現場の意見を聴いて減らした人もいる。残った人の給料は上げた。「薄く広く」では共倒れするからやめようということになった。現在では、顧客との接点を持つ者が社員となっている。


安土経済人塾(第3回)

2010-11-01 | 創業・経営革新情報

第3回 安土経済人塾 (20101029日(金) 20002200 安土町商工会館)

 


◇開会

◇あいさつ

安土町商工会 法人部部長 岡田彦士 (新栄商事㈲)

 

◇セミナー 

講師 ㈱安土建築工房 西澤 由男 (建築業)

 

 

 

<はじめに>

  1990年(平成2年)に独立開業した。商圏は野洲川から長浜あたりまで。

  ものづくりには哲学が必要であり、“言行一致”でありたいという思いを持っていた。

  独立した自分には歴史も しがらみも無かったので、全力で前を向いて進むだけでよかった。

  大手建設会社とは対角に立つ、フルオーダーの「あなたの家」を創ることで特色を出す。

  “三方よし”…家を建てたお客さんと、建てた当社、その広がりから世間も良くなる仕事を展開したいと思った。

  “温故知新”…祖父の代から受け継がれてきた技術、弟子の育成を大切にする。また、木造建築の技術は世界的にも優れている。

  “一石五鳥”…経営経験の少なさを補うために、何かを行うときメリットが5つある場合に決断する。大胆に発想し、慎重に経営する。

 

<世界を見る>

  理想の住まいを提供するために、世界中を見て回った。

  各地を見て思うことは、地域を移動しているというよりは、時間を移動しているのではないかということ。30年、50年、100年前の姿が世界を回ることで見られる。

  1996年、ドイツ・フライブルク環境セミナーで「経済的発展は目指していない」との言葉。「人間が幸せに暮らせる暮らし方や時代を守ることが使命である。」

 

<ドイツに住む>

  一年間、家族揃ってドイツに住んだ。住むところを探すところから始めた。

  ドイツの暮らしには、自分も日本で子供時代に経験したと思えるところもあった。

  シュタイナーの説では、人間は7年毎の成長段階を経るというもの。

  生まれたときは肉体の誕生であり、0歳~7歳で五感が育ち、7歳~14歳で感情が育ち、14歳~21歳で思考力が育ち、21歳で自立・自活する。それぞれ適した時期があり、早期に知識を教え込むことが良いのではない。

  知識は体験を通して初めて知恵となる。例えば「K」ひと文字でも時間をかけて文字誕生のプロセスを追体験することで、単なる記号としてではなく、その背景や歴史を学ぶことができる。

  小さい子どもたちも、自分のおもちゃやお菓子を自分で創る。本気で遊ぶことにより、五感が育つ。自転車の修理やヤギの乳搾りも自然に覚えていく。

  市場(青空市)も活気にあふれ、様々な人との触れ合いがある。

 

<当社の仕事>

  社会に役立つ仕事のしくみを考える。

  国産や県産の木材使うことに加え、自ら山で木を育て、家を立て、端材を無駄にせずにおもちゃや家具、燃料にして全てを活かすという自己完結型事業、「ゼロエミッション計画」を策定。お客さんにも山を見てもらい、木を切ってもらい、家を大切にしてもらう。子どもたちにもモノづくりの喜びと生きる力を与えられるよう工作体験教室も開いている。

  伐り出した材木は職人の技術により加工し、適材適所に用いる。棟上げは職人にとっての晴れ舞台であり、同時に責任感と緊張を感じる日でもある。

  家が集まると「まち」になる。私たちは家づくりを通して「まちづくり」をしている。また、まちが集まると社会財産になるので、私たちは「国づくり」の一部を担っていることになる。

 

<日本の良さ>

・日本列島は南北に長く、緯度の範囲はアメリカとほぼ同じ。面積も、日本人自身は狭いと思いがちだが、ヨーロッパのたいていの国よりも大きく、人口も多く、海外線も長く入りくんでいる。多様な気候風土を持つ国であり、四季の風景、自然の恵み、大地の恵みが豊富である。

・そう見寺の掛け軸の「春に花、夏に涼風、秋に月、冬に雪あれば足りないものはない」という意の言葉に得心。

・高気密・高断熱の家が流行っているが、自然を取り入れて暮らす住まいづくりに確信を得た。

・(施工事例紹介)伝統工法の家、薪ストーブの家、家庭菜園をしている家、雨水を利用している家。

 

<仕事とは>

・自分の知恵と力を社会のために活かすことである。

 その中で成長をし、自信を深め、充実した人生を歩む。

・当社には新卒以外の者も多いが、自分自身のことを「世界で唯一の宝物」と思うように伝えている。今までの人生全てを肯定すると、欠点も長所になることも。長い人生において、遅すぎるということは無い。

・多様な人間の集まりが、当社の力になる。リストラの時代だからこそ、人材の時代だと言いたい。機械は成長しないが、人間は成長できる。

 

<障がい者との出逢い>

・精神障がい者の社会復帰のための講習が契機。彼らは人一倍繊細で気を遣う。

・木工加工技術や商品開発で協力。現状では、下請作業が中心で、一つの工賃が何銭の世界。脱下請化を目指し、生産から販売までの一貫した業務プロセスの中で自分の個性や才能を活かす仕事を見つけ出せれば、やりがいが生まれ、経済的にも自立する道がひらけてくるのではないか。

 

<夢の叶え方>

・時間をかければ、比例して成果が上がると思っていないか?

 実際は比例直線ではなく、なかなか伸びないが ある時を境に急激に上がるもの。

 初めからそのつもりでいれば、途中で諦めずに続けられる。

・(ピラミッドの例)一段目は広く、上の段になればなるほど面積が小さくなってきて、石を積むペースは速くなる。これは時間と成果の曲線に似ている。また、高く積もうとすれば、底の面積を大きく取らなければならない。小さな底面からは低いピラミッドしか出来ない。

・不可能な夢は無い。人類は飛行機も発明したし、月にも行った。自分の夢は宇宙に行くよりも現実的なはず。

 

<仕事と社会>

・自分の仕事を通じて社会のどんな役に立とうと思うか。考える機会を持ってもらえれば。

 

<チルチンびと宣言>

・「チルチンびと」とは、もともとアメリカのナホバ族(インディアン)の言葉で、「水の豊かなユートピア」という意味。現地語の「びと」と日本語の「人(びと)」が重なり、日本語としても聞こえることから出来た言葉。

・2008年9月に「チルチンびと「地域主義工務店の会」」に入会。滋賀県では当社だけなので、『チルチンびと』(書籍)を見て、共感する顧客からの問い合わせがある。

 

◇質疑応答・意見交換

・辻氏:ビル・ゲイツにあるインタビュアーが「あなたのライバルは誰ですか?」と質問したところ、大手ライバル会社の名前を挙げず、「いま世界のどこかの小さな町の狭いガレージで何かを作り出そうとしている人間だ」と答えたそうだ。

 ㈱安土建築工房も、発足した当初たまたま通りかかって寄ったら、狭い事務所の中に、夢を語り合っている人物が写っている写真が貼ってあった。その後何年かして、当社のこっとんボールの社屋を建ててもらった。夢は「自分が幸せと思うカタチ」である。西澤氏は夢に向かって進んでいるという印象がある。

Q:人に教え、後継を育てていくプロセスについて。

A:当社は設計3人、大工7人、経営管理者というメンバーである。私自身も大工仕事を習った時期もあったが、性格的に新しい図面を描く方が向いていると思って設計に進んだ。しかし、大工にとっては、毎回の作業や工程が楽しいらしい。それぞれ向き不向きがある。また、創業以来10年間は自分が設計図を描いていたが、当社のカラーが決まった時点で経営に専念し、設計を担当社員に任せるようになった。ちょうどドイツに行っていた時期と重なり、社長が居なくても実務が回る仕組みが自然に出来た。

Q:設計士が3人いたら、社長としては気に入らない図面もあるのではないか。

A:当社にいる設計士は年齢も性別もばらばらで、お客さんの年代やニーズに合った者が対応できる。無理に当社のカラーを押し付けようとしても、顧客と向かい合っている担当者が聞いて描いている図面の方が良い。経営者の仕事は、気持ちよく仕事できる環境を準備することである。なお、従業員には、「モノづくりに関わる者はついデザインや材料にこだわりがちだが、そうではなく、そこに住む人が幸せになることを優先して考えるように」ということを注意している。

Q:役者を目指している息子さんの生き方について。

A:息子は小学5年生から6年生にかけてドイツで暮らした。3カ月もすると大人以上にドイツ語がうまくなった。その経験が生きたのか、日本に帰った後も臆さずに外国人と接し、英語を習得した。アメリカの医学部に進んだが、副専攻の演劇の方に興味を持った。いまは日本に帰って来ているが、役者として収入を得ることは難しいようだ。しかし、長い人生だから焦ることはないと話している。娘の方が建築に興味を持っているようだ。