あや乃古典教室「茜さす紫の杜」

三鷹市&武蔵野市で、大学受験専用の古文・漢文塾を開講しました。古文教師の視点から、季節のいろいろを綴ります。

漢詩36(花を踏んでは)

2013-10-30 13:50:06 | 漢詩
こちらも白居易です。

有名箇所)
灯火を背けては 共に憐れむ 深夜の月
花を踏んでは 同じく惜しむ 少年の春

漢詩本体)
春中與盧四周諒華陽觀同居
性情懶慢好相親 門巷蕭條稱作鄰
背燭共憐深夜月 蹋花同惜少年春
杏壇住僻雖宜病 芸閣官微不救貧
文行如君尚憔悴 不知霄漢待何人

書き下し)
春中 盧四周諒と華陽觀に同じく居る

性情(せいじょう)懶慢(らんまん)にして好(よ)く相(あ)い親(した)しみ
門巷(もんこう)蕭條として隣(となり)を為すにかなふ
燭(ともしび)を背(そむ)けて 共(とも)に憐(あわ)れむ深夜の月 
花を踏みて 同じく惜しむ少年の春
杏壇(きょうだん)住僻にして 病(やまい)に宜しと雖(いえど)も
芸閣(うんかく)官微(かんび)にして 貧(ひん)を救わず
文行(ぶんこう)君の如くにして尚お憔悴(しょうすい)す
知らず 霄漢(しょうかん)何人をか待つ

現代語訳)
怠ける癖が似ているので、互いに親しみがもてる。
共に寒門の出であるから、付き合うのに、ちょうど良い。
灯火を背にして、深夜の月を愛で落花を踏んで、青春の時を惜しもう。
華陽観は辺鄙なところで、病を治すには良いが、
校書郎の地位は低くて、貧乏からは脱出できない。
学問や行いが君のように優れていても、君は(貧乏)やつれ果てている。
朝廷ではいったい、どのような人を用いようというのだろうかね。

*和漢朗詠集にも入ってます。

**源氏でも、
六条の御息所と、若き日の光源氏とのやりとりの中に、出てきます。

漢詩全文読むと、日本人的には「あれ?」ですが、

人口に膾炙してる二行
・灯火を背けては 共に憐れむ 深夜の月
・花を踏んでは 同じく惜しむ 少年の春
は、ただただ春の世の風情を彷彿とさせ、素敵ですよね。

だからこそ、2行だけ、切り分けて、
日本人は好んだのでしょうね。
この辺りに、彼我の好みの差が反映されているように思います。

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