「岡宮天皇陵」と言われても
歴史好きの人でもすぐには、ピンと来ないかも。
「岡宮天皇」は天武天皇と持統天皇の間に生まれた皇子・草壁皇子です。
天武天皇の崩御後、異母弟・大津皇子の謀反が発覚。
翌日、大津皇子は死罪となり、
草壁皇子の登極は間違いないはずでした。
しかしその3年後、皇子は皇位につくことなく、薨去。
26歳という若さでした。
⇒葬儀終了してから、即位の予定だった。
今のように践祚(せんそ・位を引き継ぐこと)して、即位となったのは、
もう少し後、平城天皇からです。
母后の悲しみは深く、
草壁皇子の遺児・珂瑠(かる)皇子(後の文武天皇)を皇位に就けるため、
中継ぎの天皇、持統天皇が誕生します。
草壁皇子の近親者のほとんどは天皇に即位しています。
父:第40代 天武天皇
母:第41代 持統天皇
妃:阿陪皇女(天智天皇皇女)→第43代 元明天皇
子:氷高皇女→第44代 元正天皇
子:珂瑠皇子→第42代 文武天皇
子:吉備内親王(長屋王妃)
(この方々の話はおいおい・・・)
758年、岡宮御宇天皇の尊称を贈られます。
奈良県高取町に宮内庁比定の眞弓丘陵があります。
(近くの束明神古墳が皇子墓の可能性が高いとされています)
期待された皇位を踏むことなく亡くなった草壁皇子。
ある意味、この皇子も「悲劇の皇子」といえるのではないでしょうか。
一度、行ってみて
奈良県 高取町 : 岡宮天皇陵 束明神古墳