こちらもある意味、悲劇の皇子-岡宮天皇陵-

2013-02-08 12:17:22 | 歴史あるトコ-奈良

「岡宮天皇陵」と言われても

歴史好きの人でもすぐには、ピンと来ないかも。

 

「岡宮天皇」は天武天皇と持統天皇の間に生まれた皇子・草壁皇子です。

天武天皇の崩御後、異母弟・大津皇子の謀反が発覚。

翌日、大津皇子は死罪となり、

草壁皇子の登極は間違いないはずでした。

 

しかしその3年後、皇子は皇位につくことなく、薨去。

26歳という若さでした。

⇒葬儀終了してから、即位の予定だった。

今のように践祚(せんそ・位を引き継ぐこと)して、即位となったのは、

もう少し後、平城天皇からです。

 

母后の悲しみは深く、

草壁皇子の遺児・珂瑠(かる)皇子(後の文武天皇)を皇位に就けるため、

中継ぎの天皇、持統天皇が誕生します。

 

草壁皇子の近親者のほとんどは天皇に即位しています。

父:第40代 天武天皇

母:第41代 持統天皇

妃:阿陪皇女(天智天皇皇女)→第43代 元明天皇

子:氷高皇女→第44代 元正天皇

子:珂瑠皇子→第42代 文武天皇

子:吉備内親王(長屋王妃)

(この方々の話はおいおい・・・)



758年、岡宮御宇天皇の尊称を贈られます。

奈良県高取町に宮内庁比定の眞弓丘陵があります。

(近くの束明神古墳が皇子墓の可能性が高いとされています)


期待された皇位を踏むことなく亡くなった草壁皇子。

ある意味、この皇子も「悲劇の皇子」といえるのではないでしょうか。

 

 

 

 

一度、行ってみて

奈良県 高取町 : 岡宮天皇陵 束明神古墳



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