書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

伝 紀貫之・寸松庵色紙

2007-05-21 08:47:16 | Weblog

寸松庵は元大徳寺龍光院の境内にあった佐久間将監の茶室で、
庭一面に小松が植えられていたことにちなみ名付けられた。
「古今和歌集」の四季の歌が書かれている。
「継色紙」「升色紙」と一緒に三色紙と呼ばれ、
平安時代を代表する名筆とされる。
気品に溢れ、高雅である。
流麗な躍動の中に紙を切る力強さがあり、絶妙なバランスを保っている。
紀貫之書と伝えられるが確証は無い。

よしのがはきしのやまぶきふくかぜにそこのかげさへうつろいにけり

小野道風・紅線毬

2007-05-19 14:32:08 | Weblog

当時、白居易の白氏文集が平安貴族の間で愛好され、
如何に美しく、豪華に書くかが競われていたであろう。
そんな中に有って、自信に溢れ、気宇雄大な道風の書は、
宮廷内で持て囃されていたに違いない。

紅線毬擇繭繰絲

小野道風・智証大師謚号勅書

2007-05-18 07:14:25 | Weblog

小野道風(894-966)
後の藤原佐里、藤原行成と共に三蹟と称される。
道風は当代一の能書家として名を馳せていたが、
官吏としては恵まれなかったようである。
道風の書は後世に至るまで手習いの手本として重宝された。

この書は、朝廷が円珍に智証大師を謚号した時の勅書である。
王羲之の骨格に和流が芽生えている。

紀貫之・土佐日記(藤原定家臨)

2007-05-17 07:31:26 | Weblog
紀貫之(868-945)
「新古今和歌集」の選者。
貫之の「土佐日記」は男性最初の仮名紀行文として名高い。
歌人としては元より、能書家としても謳われていた。
貫之の書と擬されている古筆があるが、どれも確証は無い。

この書は、後に、藤原定家(1162-1241)が、土佐日記の真蹟に出会い、
病身を押して書写したものである。
「貫之の筆跡を形どおりに写し留めた」との添え書きがある。


醍醐天皇・白詩句巻

2007-05-15 08:39:58 | Weblog

醍醐天皇(885-930)
宇多天皇の第一皇子で、「古今和歌集」を選ならしめた。
菅原道真を登用した事でも知られている。
悠々迫らぬ堂々とした書風である。
醍醐天皇は、盛唐の懐素、張旭等の狂草を目にしているような気がしてならない。

月更好時謝連


円仁・上秦文案

2007-05-12 08:19:56 | Weblog
円仁・上秦文案
円仁(794-864)
延暦寺第三世の座主。
晩年の空海に師事し、慈覚大使と謚号される。
遣唐使として唐に留学、
この旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、
これは日本人による最初の本格的旅行記であり、
当時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を
生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている。

端正で慎ましやかな書風は修行し切った高邁な人物像を浮かび上がらせる。

沙門圓仁言伏蒙