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この世界のどこかに居る似た者達へ。

再演”クロードと一緒に” 千秋楽。

2015-04-23 18:55:06 | お芝居・テレビ
舞台「クロードと一緒に」再演、無事幕を下ろしました。

アタシしは二公演拝見し、二公演ともBlancでしたので”クロードと一緒に”史上もっとも感情的であった刑事と、もっとも幼く制御不能である”彼”イーブに出逢えた再演でした。


最後にはやはり、涙が出ました。

どうしても、一人の青年を救えなかった気持ちに勝てず、この手を落ちて暗闇に飲まれてしまった美しい金色の髪の男の子を思うと、哀しくて泣けてしまった。


松田さんの演じるイーブから伝わって来る物は、一般的な常識では考えられない事であっても、「それのどこがいけないのか、どうしてそれが批難されるべきことなのか」悪びれる事なくピュアに分からないと言う様な、天真爛漫とでも言いたい位の少年っぽさでした。しかし、その純粋さはどこか歪んで、時折、不協和音を奏でては彼を苦しませているような。

きっと今まで彼には、誰も、どの大人も

「イーブ、それはしてはいけない事なんだよ。」

と教えてくれなかったんじゃないかと感じました。本気で向かい合ってくれた大人が居ないまま成長してしまったんじゃないかと。






でも、イーブは夜な夜な客を取るため公園に立って、これが正常なわけがないと言う事はもう知っているんですね。

だから時々寝る前とかに「へどが出そうになる。」んだと思うんです。

そんなイーブを強く抱きしめて「よしよし。」と言ってくれた恋人のクロードの愛を、ほんの少しだって見落としたくなくて、イーブは精一杯出来うる限りの心と力でクロードを想ったんじゃないかと感じました。

その行く先が最愛の人の死であったのにもかかわらず、イーブは「あの人を愛してる。」と幾つもの夜に切り刻まれてボロボロになりながらも告白します。

「愛していた」ではなく、「愛している」と。








果てしない憎悪と、温かくて大きくて柔らかい愛にたった一人で対峙して演じた松田凌さんに敬意を表します。

松田イーブの激しさは、ピュアでありすぎるからこその爆発であると感じた再演でした。

本日の千秋楽で、今まで行った事のない領域までたどり着いたのではと感じる瞬間がありました。

きっとこの公演を終えた後の景色は今までとは違って見えていると思います。

お疲れ様でした。そして、ありがとう。





アタシは刑事役でしか拝見出来ませんでしたが、唐橋充さん。長くウェーブのかかった髪を振り乱しながらイーブに詰め寄る迫力が凄かった。

「俺はお前を逮捕するためには何でもやる、何でもだ!俺には根性があるからだ!!!」

この台詞が好きでした。激しく言い合い怒鳴り散らしてはいるものの、イーブとはちゃんと向き合ってると思ったんです。
人間くさい人。

この人が刑事と言う職についたの何故なのか?そう考えた時、唐橋さんの演じる刑事はこの「諦めなさ加減」が芯なのだと思いました。生まれ持った探求する事に関しての欲が。どうしても決着をつけたい人なのだと感じた刑事でした。





同じく、ギィ役でしか拝見出来なかったけれど山口大地さん。イーブが己の忌まわしき運命と闘うように独白を続けるうちに、ギィは記録を取るのをやめます。じっとイーブを見つめ、その話に耳を傾けていました。

冷静で常識人のギィにとっては、イーブの生きる世界などまったく分からないでしょう。

今まで聞いた事のない真実の告白に、大きな衝撃を受けたかもしれません。

しかし、大人として一人の青年に何か言葉をかけてやりたくて、告白を終えて脱力しているイーブの後ろ姿に近づき何か言おうとします。

が、何も言葉が出て来ないのです。

イーブのためにドアを開けて待ちますが、来ないと分かると耐え切れず一番先に部屋を出てゆきました。

きっと多くの大人は、イーブの話を聞いた直後はこんな態度を取るんじゃないかと思いました。







このお話の”救済”である、ラトレイユ役・鈴木ハルニさん。

この写真、可愛いわぁ~~

初演からの続投はハルニさんだけ。今回も「大ですか?小ですか?」の質問あり

あげく、イーブにも「大か?小・・」と聞こうとして、刑事に「聞くな!」と突っ込まれる始末

冒頭ではドアをガチャガチャとやって「アレ?あ、押すのか。」なんて言いながら舞台に登場し、帰る時も「あ、こっちからは引くんだね、あぁーおかしー」とか言いながら退場。出た、この空気の読めなさ加減

刑事に「外線は頭に9か?」と電話の使い方を聞かれ、「聞いてみます。」とか言って電話をかけますが

「あのぉー、もしもーし!ちょっと電話が遠いみたいなんですけどぉーーーーっ!!」

手元を見ると受話器が逆さまとかね

このピリピリした空気感の中にあって、ラトレイユの存在は本当に救いだと思うわけです。

「クロードと一緒に」に関してはずっとラトレイユは鈴木ハルニさんで演じて欲しいと思います



出演者の方々、関係者の方々に大きな拍手を送りたいです。

お疲れ様でした。

この舞台もまた、忘れえぬ物語です。

再演を初めて観劇した後電車に乗り、Heartと言うバンドの演奏する「Love Hurts」と言う曲をイヤホンで聴くうち涙が出そうになり、必死でこらえて帰りました。

涙目でつり革につかまるオバサンを、学校帰りの高校生が不思議そうに見ていました。

またいつかこの物語に会いに来れるのでしょうか。

そんな事を今、ぼんやりと考えています。


本当にありがとうございました。










さようなら、イーブ。














































クロードと一緒に ”再演”。

2015-04-22 18:28:33 | お芝居・テレビ
再演中の舞台「クロードと一緒に」を観て来ました。

初演も拝見させて頂いていますが、劇場も違い、セットも違うので、これまた違うお話として世界が出来上がっていました。

お芝居冒頭は初演と違って”観やすくなった感”がありましたが、やはり物語の肝に差し掛かって来るとそうは甘くはないわけで、「ああ、来た来た・・・・この感じ・・・。」とずしーんと落ちてゆきました。

なので、お芝居の初めの方にある鈴木ハルニさんの”ラトレイユ劇場”とも言える、親父ギャグ的ボケを存分に堪能し吸収しておくのが良いと思われます(笑)。

初演と比べるとボケるラトレイユにツッコミがきちんと入ったり、ギィの台詞が沢山あったりとかなり初演とは違います。

なので、ギィと刑事と関係性もよりハッキリとし、分かりやすかったと思います。


アタシが拝見したのは、「Blanc」です。刑事役を唐橋充さん、ギィ役を山口大地さんが演ずる方。

唐橋さんの刑事は台詞の言い方に独特のリズムがあり、慣れるのに少し時間がかかりましたが、彼の言う事や表情を追っていると長い髪を振り乱し自分の感情に素直に時折キレる佇まいとは裏腹に、正義感が強く熱い人となりが見え、真実にある「人の弱さ」に共鳴する繊細さがある様に感じました。

思うように喋らない”彼”に大爆発を起こしそうになっていて、理解の出来ない事柄が散らばる部屋の中にあり、しかしながら彼が何故殺人をおかしたのか、そう突き動かす根源はなんだったのか、誰よりも知りたい、知って理解したいと思っている様な所もあるんじゃないかと・・・。


山口さんの演じるギィは、非常に冷静で冷たい感じがしましたが、のぼせやすい刑事とのバランスを考えると「相棒」としては
山口さんの演じるギィは最適に思いました。

感情に押し流され、焦点を見失いかねない刑事にはこのギィの冷静さは必要です。


客席に向かって正面に執務室のドアがあるので、そのドアが閉じてしまうと向こう側に立っている警備官ラトレイユは完全に観客からは見えません。でも、話の流れでたびたびドアが開く時があり、そんな時のハルニさん演じるラトレイユの表情を観るのも楽しかったです。

刑事と「彼」が激しくぶつかり合った直後にドアが開かれた時、向こう側に居るラトレイユの表情が部屋の空気の全てを物語ります。

もう冒頭の様な”笑い”のかけらすら消え去ってしまっているのです。

うなだれるしかないラトレイユなのでした。



「彼」=「イーブ」役は松田凌さん。初演の相馬圭祐さん、稲葉友さんとはまた別人のイーブでした。
松田さんの演じるイーブはもしかしたら一番、幼いイーブかもしれません。一番本能に素直すなわち、自分ではコントロールの効かない男の子。

一番”その世界でしか生きられない”と言う雰囲気を持った「イーブ」だったかもしれません。

これしか出来ない、こうしてでしか生きて行けない。

何故だか分からないけれど、その世界で生きてゆく才能を持って生まれてしまった綺麗な男の子。

きっとそれは不幸で悲劇的な事です。

でも、そんなどん底で彼の出逢った「クロード」は、ありのままのイーブを何の躊躇もなく受け入れ愛してくれます。



それがどんなにか奇跡的な事なのか、自分がどんなに幸せだったのか、イーブは必死に訴えます。

でも、常識的な世界で育った者たちにはイーブの言う「愛」が理解したくとも、理解が出来ない。

イーブはイーブで、殺人へと駆り立てた真実の愛を言葉で表現する術を持たない自分に苛立ち、髪をかきむしります。


世界でたった一人、イーブの愛を理解してくれたのは「クロード」だったんだと思いました。



少しだけ気になったところがありました。

観客が聞きたいと思う台詞を噛んでしまう事が何回かありました。

観客は怒涛の様に放出される言葉に必死でついて行っているので、噛んだりしてしまうと一気に演じ手が何を言わんとしているのか分からなくなってしまいます。

感情の昂ぶる演技であっても、観客の欲する言葉を落とさないていてくれると、もっと客席との空気を濃くする事が出来ると思いました。


そして、今回は初演に比べて机の上の物が色々と跳んだり散らばったり、落ちたりしてました(笑)。

激しい演技なのでそれも良しと言う感じでお芝居としては成り立っていましたが、どうやらそうしてるうちに松田さんが怪我をしてしまったらしく・・・。


独白場面の後半、イーブは机の上に乗っかりペタンと座って話すのですが、アタシは松田さんの顔に一筋の赤い線が見えた気がしたのです。よく目をこらして見てると、その線は見る見る太くなって行くではありませんか!!

場面としては部屋中を移動しまくったり、寝転がったり、大きな身振り手振りでの独白ののち、判事の机の上に力なく座ってトーンダウンした声でポツポツと喋る感じでした。その頬に赤い涙の様に血がすーっと・・・。

場面と合っていると言えば合っていたし、松田さんの美しさに救われて舞台に戦慄はありませんでしたが、なんだか心配でドキドキしてしまいました。


拍手が続いていたのにも関わらずすぐに客電がつき、カーテンコールが無かったので余計と心配に・・・。

終演後、公式のtwitterで松田さんの怪我について、大した事はなく御本人は元気とお知らせがありました。

良かったです。



明日は千秋楽です。勿論うかがいます!!しかと見届けたいと思います。


あ、それと観劇する際はなるべく食事をとってから来て下さい(笑)。お芝居の最中に「ぐぐ~ぐぐぐ~~~」っと客席で誰かのお腹がなるとやっぱり気になって、気が散ってしまうから(笑)

シアタートラム内は飲食禁止ですが、トラムの周囲には食べる所ありますよ!

あと、劇場は音が極力外へ出ない作りになっているために(役者さんが声を張らなくてもよく聞こえます。)、どんな小さな音でもかなり響きます。しかもトラムは床が木か何かで足音が凄く響くんです。今日はラスト直前に席を立った人が居て、グッと入り込んで観たいのにコツコツと響く足音に気を取られてしまいました・・・・。その方の都合なので、言う事は出来ないけれど、「勘弁してください・・・」と思ってしまいました。

やむなく席を立つ場合でも、足音には充分気をつけて下さい。

あとね、スマホとか、何だかわかんないけど落とす人!!「がんっ!」て凄い音するから、スマホは電源切ったらカバンに入れてね。

そんでカバンを落とさないでね。

落とすの嫌だったら座席の下に置いて下さい。


緊迫する場面が多い舞台ですから、客席が舞台の邪魔をしないよう、よろしくお願いしたいと思います。
































涙もろくなる理由。

2015-04-04 00:29:09 | 日記
アタシは卒業式なんかで全然”泣くタイプ”ではありませんでした。

思えば感動して泣く事のあまり無い思春期。

キレやすい父親がどこに”キレポイント”があったのか分からない事でぶち切れては母を怒鳴り倒し、怖くて泣く事の多かった子供時代を経て、元々持って生まれた「人と違う道を生きたい精神&皆と一緒じゃかっこ悪いじゃん根性」も手伝い、どこか群れる人種を鼻で笑う女の子になってしまいました。

なので当然周囲と上手くやれずに学校も途中で辞めました。

「好き」より「嫌い、大っ嫌い!」と言う方がかっこいいと思っていたし、YESよりNOを選んだし、PUNK ROCK BANDのライブで暴れ、急に坊主頭になってしまう様なコでした。

今思えば、非常に扱いづらく、近寄りがたいヤツだったに違いありません。

見まごうこと無き”はみだし・ひねくれ者”でした。


しかし、いついかなる時も自分が不安定で弱い事を知っていました。

そんな自分を知っていながら見て見ぬフリをして生きていました。


人の居ないほう、居ないほうへと道を選んで来た結果、アタシは「自由」を手に入れましたが、それは同時に「孤独」を意味していました。こんな自分でこの人生を生きてゆけるはずが無いと途方に暮れて泣く事はありました。


そして、人々が生きて行く上で経験するであろう色々な事に非常に無頓着であったアタシは、恋愛においてもその術をよく知らず、相手のある男性に恋をしてボロボロになるまで彼を想っていました。


彼とアタシが恋人同士になる事は始めからなく、また、恋人の様な事は1,2度のデートぐらいしかなかったのに、アタシはいつか彼がアタシを恋人として受け入れてくれるんじゃないかと思っていたので、本人の口からそう言う事は無いと言う趣旨の事をハッキリ言われた時に何もかもが色を失ってしまいました。

そしてとても泣きました。

悲しかったし悔しかったし、何よりも最初から分かっていたのにここでも見て見ぬフリをしてた自分が情けなくて泣きました。

そして自分が生きる価値のある人間なのか分からなくなり、気力の無い日々を長く送りました。


夕方に車の通りの激しい道路の脇を歩いていると、耳元で「今だ!飛び込めっ!」と言う声が聞こえる様な気がしました。

それは悪魔の声であり、しかしながら間違いなく自分自身の声であり、心底ゾッとして震えました。

けれどアタシは飛び込めませんでした。

怖かった。そんな事は怖くてとても出来ませんでした。



ここから助け出してくれたのは、同じ夢のために闘った仲間達の存在でした。

はみ出し者、ひねくれ者の集団であった彼らとアタシは夢を追った時期がありました。

彼らはただ、存在しているだけでアタシを支えてくれていました。

ある日「アタシは彼らに生かされていたんだ」と気付けて、浮上する事が出来たのです。


でも、人生と言う現実はシンプルで厳しい。


そんな風にアタシを支えてくれていた仲間のうちの二人が、3年前に事故でこの世を去りました。

大事な親友でした。

仲の良い友人を失う痛みは想像以上でした。





「生きていると色々ある。」




そんな言葉は年寄りが使う言葉だと思っていたんです。

でも人生を半分位生きて、様々な事を経験した今、この言葉は強い説得力を持って自分に響きます。

歳をとったぶんの激しい風雷を受け、色々な感情を知ったからです。


歳をとると涙もろくなるのは、より多くの感情を知り、感じやすくなるからなんじゃないかと思います。

年月と共に、経験によって生まれ出て己を通り抜けて行った感情の記憶が増えるからなんじゃないかと。

それはつまり、多くを乗り越えた証なのではないかと思うのです。

そしてそれはその人の歴史の現れであって、血の通った生身の人間の人生なのだと。






桜の季節は、はみ出し者達を置いてけぼりにする様な気がして昔は嫌いでした。

しかし、そのはみ出し者達も、もういい歳です。



アタシ達が若くして生きた時代と今の時代では色んな事が大きく違う。

時代は変わって、アタシ達の生きたシステムでは今の若い人達には古い。





こんな事は今まで考えた事なかったんだけど、最近「どんな事を若い人達に残せるんだろうか。」と考えたりします。

どんな世の中にして渡せるんだろうか。

若い人達の強さと美しさを奪おうとする物から、どうやって守れるんだろうかと。

政治の話ではなく。


こんな事考えるのも歳をとった証拠なのかな。




でも、若い人達の方が逞しく世間に挑戦していますよね。

インターネットが発達して、世界はぐんと広がってそれこそ昔は夢みたいだった「世界」が近くなったもの。






テレビや映画やお芝居を観て泣いたりする事の多くなったこの頃。

いよいよはみだし者の人生も長くなって来たんだなぁと思うわけです。

”はみだし歴”も長くなったもんだ(笑)。