http://srs.org/stacy_lewis/psa.php
Stacy's Public Service Announcement
ステイシーより皆さんへ
「こどものとき、USオープンで優勝することを夢見ていました。
でも、特発性側弯症を発症し、二度とゴルフに戻ることはできないだろうと
あきらめかけました。
でも、先生がたの治療と新しい医療技術により再びスゥイングすることが
できるようになりました。
私は ステイシールイス。LPGツアーに参加しています。
I am living in my dream 自分の夢をかなえるために人生を歩んでいます
(同じ病気のこどもたちへ) みんなもできます ! 」
------------------------------------------------------------------------
http://www.srs.org/
http://www.srs.org/stacy_lewis/about.php
Stacy's Story
ステイシールイスはプロゴルファーであり、LPGAツアーのルーキーです。
このどこにでもいそうな金髪で青い瞳の女の子は、でも普通のゴルファーではあり
ません。
大学とアマチュア時代に飛び抜けた記録を打ち立てただけではなく、側弯症という
病気の進行によるマイナスの影響を乗り越え、そして、それらの記録を打ち立てた
という意味で、それは目を見張るものがあると言えると思います。
ステイシーが11歳のときの学校での側弯症検診において、背中が異常な曲がりかた
をしていることが発見されました。側弯専門医師を訪れ、X線写真検査により、
それが特発性側弯症であると診断されました。
それから7年半という期間、彼女は一日18時間という長い時間、装具を着ける生活を
続けました。寝ている間も装具をはずすことはありませんでした。
唯一、装具をばすすのは、ゴルフの練習でフェアウェイにでるときだけでした。
成長が止まればこの装具をはずすことができる、と彼女は先生から聞かされ知って
いました。そしてそれは彼女が18歳になったときに訪れました。
しかし、残念なことに、装具をはずした後も側弯症は進行を続け、とうとうそれ
以上の進行は真に彼女の健康を蝕む限界値を超えてしまいました。残された道は
手術.....
手術をしなければならない.....それは彼女を底なし沼のような落胆のなかに
陥れることでした。なぜなら、そのちょうど何ヶ月か前にアーカンソー大学の
ゴルフ奨学優待生としてスタートしていたからです。
もう二度とゴルフはできないかもしれない、そういう不安のなかで彼女は手術を
受け入れました。
そして、術後三ヶ月間は装具固定と、何ヶ月かの運動禁止期間の後.....この期間
中、彼女は2kg以上のモノを持つことも禁じられました.....六ヶ月というリハビリ
をへて、彼女は再び、少しづつゴルフクラブを打ち振る練習を再開したのです。
ステイシーを手術した整形外科医師は、彼女がゴルファーということを知り、手術
方法として1本のチタン製金属ロッドのみで固定する「前方固定術」を選択しました
そのほうが彼女にとって必要となる術後の柔軟性が回復できると考えたからです。
2008年に大学を卒業し、そして現在にいたる活躍が始まります。
現在、ステイシーはLPGAツアーをフルスケジュールでプレイしています。
しかし、日々のストレッチには十分に注意を払い、そして過密な日程でのプレイは
組まないようにコントロールすることも忘れません。
今春、ステイシーは国際側弯症学会のスポークスマンとしても、彼女の経験を通じて
世界中のこどもたちに語りかけています。
病気の恐怖に負けてはいけません、この病気は人生の終わりではない、まして
青春の終わりでもない、と。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////
(august03より)
私事ですが、いたって健康であった自分が突然の発症とともに急ぎ手術をしなけ
ればならなくなり、帰国したのですが、手術にいたるまでの経過はいたって冷静で
した。自分の仕事がら、どういう事態が自分に発生し、どういう治療(最終的には
手術ということもわかっていました)が必要かということもわかっていたせいだと
思います。
病気になったとき、何が人の心に「恐怖」を呼ぶかと言えば、それはその病気が
どういうものか? ということを知らないという、その知識の欠如が最大の原因では
ないでしょうか。
特発性側弯症。確かにこの病気の原因そのものはいまだに解明されていません。
なんらかの遺伝子が関与している。というところまではわかってきましたが、それ
が単一の要因でもなさそうなところにこの病気の解明にいたる道をまだ遠いものに
しているようです。
でも、原因は不明でも、それにどう対処するか。という方法論はある意味で
確立しています。ある意味、というのは、誰が進行性で、誰が進行性ではない
ということが明示できないことにより、保存療法(装具療法)と手術の境界線を科学
的に明示できているわけではない。という意味においてです。
もしかすれば、進行性でもないのに何年間も装具をする。という不合理性も生まれて
いるかもしれず、何年間も装具をしても結局は手術をせざるえない、という不条理
の世界に直面するかもしれないからです。
ここから先の私の言説は、これを読まれる皆さんの考え方によって、受け止め方は
様々だと思います。何が正しく、何が間違っているという、そういう白黒の世界を
語ろうとしているわけではありません。いわば、私がこの側弯症という病気を何年
間か調べ続けてきて、そこから得たaugust03の個人的思念としてお読みいただけれ
ばと思います。
ここに記すことは、これまでも何度かこのStep by stepのなかで述べたきたことです。
これを読まれている大半の皆さんが側弯症と診断されたお子さんのお母さんがた
という傾向を踏まえて、いまあらためて述べさせていただきたいことは、
特発性側弯症を「病気」という範疇で、お子さんの人生を悲観するような、
そういう姿勢をしてはいけない、ということ。
この日本の、この病気をとりまく社会環境がいまだに成熟していないために、
(特発性)側弯症を母親から子に伝えてしまった忌み嫌われる病気(人目に晒しては
いけない病気)という精神風土がいまだに続いています。
なぜならば、そうすることで「側わん整体」という濡れ手で粟のビジネスが成立し
その勢力があれこれの宣伝(噂、風説、伝説のたぐい)を繰り広げ、母親という
無償の愛を基礎とする存在を言葉巧みにあやつることが繰り広げられてきたことに
由来します。
この病気は、確かに外観を損なうことが直接的に精神的ストレスに繋がるという
側面をもっています。でも、早期に治療を開始し、そして最終的には手術という
方法をとることで、治療が可能な病気です。
病気になったことが「負け」でもなければ、手術になることが「敗北」でもありません
そのようなマイナスの気持ちを抱くこと、そのようなネガティブな思いに「囚われる」
こと。それこそがこの病気に負けてしまっていることであり、病気に負ける以前に
社会の目に負けていることであり、しかも、皆さんが考える「社会の目」というのが
実は幻想でしかない、ということにも気付かずにいることが、この病気による最大
の不幸であるように思えます。
(特発性)側弯症は「病気」であっても、それを「病気」にしてしまうかどうかは
皆さんの心のありようにかかっていると思います。
側弯症は人生の敗北でもなく、そしてまたそれを克服することだけが人生の目標
でもないはず。
お子さんの人生を「側弯症」で四角四面に固める必要もありません。手術を極度に
恐れる必要もありません。
大切なことは、それよりももっと別のところにあると思います。
側弯症の治療で、多感な時期の何年間かを費やすこと、それは決して人生からの
引き算ではないはず。
I am living in my dream 夢に向かって挑戦を続けること。
お子さんの夢は何でしょう? お子さんが何を夢見ているかをご存知でしょうか?
側弯症の治療は必要なことです。でも、それは人生の目標ではありえません。
人生に夢があれば、お子さんは、側弯症に限らず、どんな病気にも立ち向かっていく
でしょう。
お子さんは、お母さんが悲嘆し、まして、お母さんがご自身を責めたり、あるいは
お母さんが、心ない近親や親戚に責められることを見ること聞く事が耐えられません
病気であることで、お母さんが苦しむ姿がお子さんには一番辛いのです。
病気であることでお母さんは自分を責めてはいけません。そして同時に過度に
お子さんの病気に神経質になってもいけません。
それは難しいことかもしれませんが、毅然と、泰然と、普段のままのお母さんで
あって欲しいと思います。それがお子さんの願いでもあるはず。
自然体のなかで、治療を支えるとともに、お子さんの成長を見守ってあげて欲しいと願います。