金森整骨院院長ブログ

整骨院の日常を中心に感じたこと(感動したり反省したり、失敗あり、達成感あり・・・)。そんなことを発信していきます。

大変な想い

2016-05-22 16:54:56 | 日記
今思い出しても背筋がゾクッとする。忘れもしない5/8(日)、母の一周忌が終わり連休最後の日ということもあり早めに横浜から帰宅した。その日は朝早くから長女一家と次女母子の総勢9人でマイクロバス並みのレンタカーで移動していた。遠くアメリカから日本に来て9日目、今から思うと次女母子にとっては非日常の日々で疲れもピークだったのかもしれない。特に2歳のルークには体力的にもキツかったのだろう…。車を降りようとしたとき 『ねぇルークが上向いてる❗』と小学3年生の孫が叫んだ。エ!と次女がチャイルドシートから抱き起こしたがグッタリして反応がない‼熱性痙攣‼アメリカでの既往もあった。長女と次女、ルークの3人で急いで家に入り服を脱がせているうちにどんどん症状が進み心肺停止に‼私は他の子供たちと一緒に車に居たが『救急車、急いで呼んで❗』と婿さんに電話が入り…。急ぎ自宅に入ると長女、次女で交代に心臓マッサージ、マウス トゥ マウスで呼吸を送っているのを見て真っ青になった。生きた心地がしないとはこういうことだろう。本当にあの光景が恐い思い出として一生残ると思う。2歳時は何が起こるか分からないから!とアメリカ人の婿に日本に来ることを反対されていたことを思うと、こちらも責任を感じてどうしたら良いか途方に暮れた。日曜の夕方で救急車の到着が遅くドキドキしながら、そして次女もパニックになり…。ともかく心マと呼び掛けの繰り返しだった。ようやく赤羽台から救急隊が到着、それで心肺停止になっているので第三次救急の病院でないと!ということで東京医大に運ばれ そのまま入院となってしまった。それでも救急車の中で意識が戻り泣き出したと後で聞いてホッと安心して、安心したら今度はグッタリと疲れが出てしまった。二度と経験したくない大変な想いであった。

怪我❗

2016-05-22 00:27:48 | 日記
アメリカから帰郷した次女母子、長女母子、私の友人と総勢9人でゴールデンウィーク中の4/30に箱根小涌園1拍旅行をした。ロマンスカー展望席を予約し楽しく向かったまでは良かった。が…着いてすぐユネッサンのお風呂で不覚にもツルッと滑り!あっと思った瞬間
『コレってダイブするしかない‼』との咄嗟の判断で飛び降りた。側にいた友人が『篤子さん!6段上から跳んでたよ!』と。1段が30センチはあったと思う。しかも床面が石の上に板が張ってあった状態で硬くズシンと踵に衝撃が走った!ウワーッ!せっかくアメリカから12日間の予定で楽しみに来たのに…平気な顔をして『大丈夫❕』と言ったものの痛い😱痛い😱右足が衝けない、歩けない‼友人の肩につかまりながら一歩一歩右足のつま先立ち歩きでホテルの部屋に戻り…そこからはずっとアイシングとチクチク療法で早々に休んだ。翌日すぐ帰ろう‼と言う長女、しかしせっかく遠くから来た次女母子を思うと可哀想で…『大丈夫、大丈夫』と皆と自分に言い聞かせ ロープウェイ、海賊船、バスと乗り継いで当初の予定を消化し帰路についた。連休中で何処もスゴい混みようで揺れるバスで立っているのが辛かった。それでも最後の長い間のバスで座れたことはラッキーだった。帰宅して又々アイシングとチクチク療法で早く痛みがとれるよう祈るばかりだった。翌日は仕事があり、患者さんからは『変な歩きをしてるけど どうしたの?』と聞かれたものの 又翌日から3連休となりホッとした。足を下に下ろすとジーンと痛くズンズン痛みが増してくる。自分でも この痛み普通じゃないと気付きつつ…恐らく踵骨、載距突起辺りの骨傷、不全骨折かなぁと予測が出来た。レントゲンを撮りに行ってみようか…と考えてはみたが検査したところで改善するわけはない‼踵骨の骨折で腫れと硬結がもっと強ければギプスが必要だし、今後の予定が全て狂ってしまう‼実際、怪我をした当日は悪い方向になったら…と絶望的な気分だった。しかしながら そこまでの腫れが出なかったため自分でも妙に開き直った気持ちとなりテーピングとアイシングで普通に生活することにした。仕事中は緊張感もあり痛みを感じつつ何とかこなせた。ただ受傷10日目に学校の授業で渋谷に行ったときは泣きたくなるほど痛かった‼こんなに痛いなんて!と思うほどだった。足底腱膜が緊張すると痛みが走るため右足母趾で蹴れない!必然的に早く歩けない‼いつもの3倍くらい時間がかかった。周りの皆に追い越され、初めて歩道橋の昇降にエレベーターを使った。渋谷の駅からタクシーに乗りたい‼と強く思った。授業が終わって自宅に帰りついた時には倒れ込みそうだった。股関節から腰までそして全身が疲れた。
そして受傷3週間目の今日、ようやく少しずつ右足母趾で蹴れるようになってきた。まだまだ左荷重にはなるけれど それでもやっとここまで歩けるようになり嬉しい気持ちでいっぱいだ。ギリギリまで動かして、そのあとケアしての日々ではあったが荷重しながらの生活が逆に回復を促進したようにも思える。我ながら相当我慢強い自分を再認識した。実際問題として仕事を休めるような環境ではないため 結果として今に至る‼という怪我報告となった。

春の変化

2016-05-21 09:13:01 | 日記
この3月(正式には4月)から新たなスタッフが加わり、これまで休みが多くて患者さんに迷惑をかけていた院体制の不備がようやく解消された。新スタッフは元々ディズニー(ワンマンズドリーム)のダンサーをしていただけあって驚くほど身体が柔軟で身体能力が高い。患者さんで器械体操をしている小学生に宙返りや側転の指導をしているのを見て他の患者さんたちも拍手喝采だった。これからは若い柔整師を育て上げ彼らがきちんと生活出来るようスキル、マネジメント能力を伝授するということが自分に課せられた使命と感じている。ところで先日、勤務柔整師登録のため保健所に行った折 本人確認と柔整免許証原本の提出を厳しく義務づけられコピーでは受け付けてくれなかった。昨今の柔整師スキャンダルがこんなところにも…。我々も衿を正して業務に向かわなければ!と心底感じた。週1度、ドクター貴子の相談日として整形外科医が患者さんの病態や薬等のアドバイザーになってくれていることも定着し喜ばれている。ようやく院態勢が整いつつありこれからは前進あるのみ❗である。