金森整骨院院長ブログ

整骨院の日常を中心に感じたこと(感動したり反省したり、失敗あり、達成感あり・・・)。そんなことを発信していきます。

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生きている限り進化しなくてはいけない❗

2019-03-06 10:29:21 | 日記
しばらくブログを休んでいた。どんな方が読んでくださっているか分からない……と思うと及び腰になっていた。気がつくともう弥生3月……確定申告も終わった。申告書類を見ると一年間の自分の成績表を見るような思いがする。このところ攻める姿勢から守りの姿勢になっていたことに気が付く。反省……。院の在り方を考え 次世代へと繋ぐためスタッフの充実、そしてシフトいく体制の整備をした。
そこで標題の『生きている限り進化しなくては……!』となるが、来院してくださる患者様のためにもより良い技術、変化する医療情報の提供に努めなくてはいけない。私自身の進化については5つの方向性をこの数年考えてきた。①柔整の仕事……インソール、チクチク療法についてより深く学んでいくこと。加えて、昨年秋に開院した長女夫婦のクリニックを手伝いながら後進の力になりたいこと。②教育……学校での『教えることは学ぶこと』の半教半学の精神のもと、現在柔整でのカリキュラムにも導入されている超音波画像読み取りテクニックを習得すること。③介護……ケアマネ資格が患者様への情報提供ツールとなることから介護認定審査委員を継続していくこと。④この業界に30数年関わり、お陰様で生活が成り立ったことに心から感謝している。その恩返しと言ってはおこがましいが何らかの形で自分に出来ることを考えていきたい。感謝の気持ちを還元したいと思う。⑤最後の課題はもう少し経済経営の勉強をしなくてはということ。今まで税金面もあまり考えることなく来てしまい、母親亡き後の相続では思いがけない状況に遭遇した。学生時代、勉強した分野でもあるし ここで今までと違うことを手掛けたいと思う。そんなことを思う昨今である。
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お片付け

2018-04-14 17:38:31 | 日記
怪我をしたことを含め、ちょっとした心境の変化があり身辺整理をすることにした。今やらないと多分もう出来ないのでは!と思う。最初に玄関周りのクローゼットを整理。使ってないバッグ、靴、傘、小物類…もう必要ない!と処分。ピアノも患者さんの子供にあげることにした。次にアルバム類、もう思い出は要らない!と自分の幼少時、学校時代、結婚していた時代、それぞれの娘たちに作ったアルバム(二人の娘たちに聞いたら要らない!というので)…全て捨てた。手紙類も処分。ここまで済ませたら、あとは何も未練が無くなった。食器も もう来客予定のためにと揃える意味もなく処分。自分用に気に入った物を数点残せば良いと考える。本棚の本も全て処分。良くもまあ買い集めたものだ改めて思う。こうして処分することは若い時には想定していなかった。断捨離とは良く言ったものだと感じる。ただ洋服類には少し勇気がいる…亡くなった母親手作りの洋服類には捨てることに未練が有りすぎて…困った!出しては戻し……多分もう少ししたら捨てられると思う。これからはミニマムライフを目指して物に執着しない生き方をしようと考えている。
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怪我をして感じたこと

2018-02-07 11:38:54 | 日記
今回、コーレス骨折(ダイパンチ骨折)を経験して、先ずもって 骨接ぎという仕事でいながら不注意、不名誉極まりない怪我に大反省している。それでも『本当にみんなに支えられている!』という感動で幸せな気持ちに包まれてもいる。怪我と同時に救急に連絡、深夜までずっと付き添ってくれた家族。その上 手術となり入退院手配の全てを仕切ってくれたこと、有り難かった。そしてスタッフたちが心合わせて私の不在をしっかり補ってくれて……これも感謝。患者さんたちに お大事に!と言われる照れくささはあるものの 無理しないよう気遣いをしていただいたことにも感謝。片手が不自由で何も出来ないとき毎日夕食を用意して下さった患者さん……またご迷惑を掛けた学校の先生方にも暖かいお気遣いをいただいた。そして仲間の先生に整復していただいたこと、素晴らしい柔整の技が体感出来たことも貴重な経験になった。つくづく一人じゃない!みんなに支えられている!と思ったことだった。日頃、人に頼らない、甘えない!を信条としてきただけに今回の人の暖かさに触れられたこと、嬉しい幸せ!を感じている。それでも少し怪我回復の兆しがある今、可愛くない意地っ張りがまた出て来ているのを感じる。これは性分なのだろう……
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雪道で転倒、骨折❕

2018-02-01 11:16:31 | 日記
人生で忘れられない出来事の一つになった。ニュースでも東京23センチの降雪と騒がれていた正にその翌日、学校帰りに自宅最寄り駅からタクシーで帰るつもりで降り立ったものの、もう既に10人以上の列に……いつもは2~3人しか居ないのに…と思いつつ最後尾に並んだ、が‼️1時間待って ようやく2人乗れて…エ!これじゃ無理じゃない‼️と思い、駅前からちょっと場所を変えて車が通りそうなところに2-30分待ったけど車道はどんどん凍りつつ人が道路の真ん中を歩いていて…もう歩くしかない‼️と決めて歩き始めた。滑り止めの装具を持っていたが履いていた靴だと外れやすく…今思えば 体裁を考えずしっかりした靴を履くべきだったかと‼️ でも元々タクシー気分満々だったので普通の靴を履いてしまったのだった!で、歩き始めて10分ほど、右手は空けていたのでガードレールに掴まりながら歩いた。雪道の横に雪の無いフラットなタイル張りの床があり『雪の無いところを歩こう!』と一歩踏み出した途端ツルッと見事に転倒(後で患者さんから『それ一番危ない選択!』と言われた)。ともかく左手をヅンと打ち、『あ、時計のバンド外れちゃった❗』と左手を見たときの衝撃、ギョッ!とした驚きは忘れられない‼️典型的なフォーク状変形!それから知り合いの近隣の先生に電話したけれどもう10時過ぎで誰も繋がらず……娘夫婦に頼んで救急に。そこでも同様な怪我人、内科の救急患者さんも多く私のレントゲン、CT検査、処置が終わって帰宅したのが午前2時を回ってた。そこの処置がいけてなくMP関節伸展位で指先まで全く動かず……信頼している仲間の先生のところで整復、固定をし直して貰った。このような匠の技を継承していかなくては!と思わせる素晴らしい手技だった。しっかり固定され全く包帯も緩まず安心感があった。再度のレントゲンでAPは完璧だが側面で背側転位が取りきれず、関節面に入ったダイパンチ骨折で長女に『オペが良い!』と言われ入院、手術の運びとなった。受傷が火曜夜、水曜にしっかり整復、固定で木曜と土曜は院に出て金曜は渋谷で昼と夜の講義も出来た。あんなひどい怪我にも関わらずここまで動けたことは本当に柔整師の素晴らしさを感じたものだった。で、学校の試験問題作成も終わり月曜入院、火曜手術となった。月曜は午後入院で、検査のあと夕食。手術説明と同意書を沢山書き、脅かされるような内容もありでちょっとびびってしまった。翌日は予定されていたオペがたて込んで私は5時入室となった。長女が朝から居てくれたことに本当に感謝、心強かった。入室前にオペ着に着替え、シャワーギャップみたいなものを被せられ歩いて手術室へ。何回も名前確認された。血圧と体温、酸素濃度は毎日計ったが手術室で横になって色々されたのは緊張した。麻酔のマスクを被せられてからは記憶が無い。1時間半くらいか部屋に戻った時は患部が痛くて痛くて……痛い痛いと言ったら長女が冷やしてくれたり点滴に痛み止めを頼んでくれたり……多分午後8時過ぎてから長女は帰ったと思われる。覚醒してからトイレにいくたびに吐き気が襲って……マル1日食べていないのに苦しくて参った❗翌水曜になっても朝食もお昼も食べられず気持ちわりぃ……だった。今日退院する木曜は体調は全快した。腕の固定もなくラク。それにしても柔整師の手技は優しく時間をかけてもゆっくり保存で治せたら言うことはないというのが今の私の心境である。
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カルチャーショック

2018-01-09 17:37:32 | 日記
大晦日から1週間余りサンディエゴに住む次女のところに行って来た。アメリカでもインフルエンザが大流行。予防接種をしない!宣言をしている私に娘達は大ブーイング。日本ではマスクをしたがアメリカに着くなり『顔隠して変な人に思われるから外して!』と言われた。少し喉がイガイガするので手で口を抑えて咳、くしゃみをしたら『その手にはバイ菌が沢山ついてる!』と言われ『口を腕に近づけて咳をして!』と教えられた。ふーん( ・-・)そうなのか😵と改めて現地の人たちを観察したら、確かに大人も子供も肘、前腕を近づけて咳をしていた❗ところ変われば!だなぁと。3年前にサンディエゴにたまたま雪が降って(数時間で止んだが)子供達が一斉に外に出て雪だるま作りをしてたときも『わぁ、アナ雪の影響でオラフを作ってるのかぁ!』と言ったら次女に『なに言ってるの⁉️元々アメリカの雪だるまはヘッド、ボディ、ボトムの3段だよ!』と言われ ヘッドとボトムの2段を見慣れている私には軽いカルチャーショックだった。色んな習慣の違いがあるものだ。
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