葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

理屈のみで割り切れぬ皇室論ーその⑤

2012年01月09日 16時45分35秒 | 私の「時事評論」
女性宮家の受け止め方

生きている古代神話の伝承


 我々日本人が生きてきた歴史を祖先の残した歴史書で見ると、肇国(ちょうこく=国の始まり)以来、いや、はるかにその昔の時代から、日本人は皇室のもとに暮らしてきたと伝えている。

 世界の大半の国の歴史も、その国の初めを歴史書で探ると、その国々の神さまの時代にさかのぼる。祖先が猿のような類人猿から進化したとか、ゾウリムシみたいな単純な微生物が人間に進化したなどとは書くよりは自分らの育ててきた文化を誇る精神面に重点を置いた記述となっている。人間が他の動物たちと比べて、知識を積み重ねて子孫に伝え、やがて言葉や文字を作り出すことにより、文化を積み重ねて発展させてきたことの重要性を歴史は次の世代に教え残そうとしているようだ。

 それは歴史学上から見れば、正確でないといわれるかもしれない。歴史の初めが哲学につながっていて純粋学問的なものになっていない。だが私はそれがよいのだと思っている。考古学や生物学、医学など、特殊な分野を探るときには、物理的な歴史を探ればよい。我々の人知の及ばぬ大きなものがこの世界には働いている。
 それを人々は神と感じて恐れ慎んで暮らしてきた。いまだって我々の知り得た知識は世の中の様々なことの小さな部分に限られることだろう。人間があたかもすべてのことを知り得たように慢心し、思いあがったら碌なことはない。現代西欧文明が発展した結果、地球の環境が破壊され、人類ばかりか、様々なものが生き続けられない世の中が来るのではないかという不安な予想が世界を覆っている。自然の環境、木や森や水や風、気象などを神と仰ぎ、それと調和して生きる日本の文化が見直される機運にある。日本の神・神道は、西欧の進化論などの学問では、アミニズムなどという人類が発展していく未熟段階の通過宗教だなどと一時はいわれていたのだが、私などから見れば、これからの人類が行き詰らずに発展していこうとするならば、こんな自然と調和して、自然の中に生きる慎みが人類に求められる時代になったのだと思う。


 神さまの神勅を受けて建国

 この話はさておいて、少し日本の神話をのぞいてみよう。歴史に先んずる概念・信仰・哲学などの色彩の強い神話の時代、我々の先祖たちは神々が住まれる異次元の世界・高天原(たかまがはら=神々が集まる神の世界)から、天照大神(あまてらすおおみかみ=高天原の代表神、伊勢の神宮に天皇によって祀られているほか、全国の神明宮などの神社に祭神として祀られている)より神勅(神さまの命令)をうけ、これを主食として民を率いてむつまじく暮らせと稲の穂を授けられてこの世に降りてきたと伝えられている。

 天孫降臨の話である。この世に降りろと命令されたのは瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、彼は日本の列島に住みつく主に任命され、天照大神より鏡(伊勢神宮の御神体)をはじめ三種の神器(三種の神器とは、前記の鏡のほかに剣と勾玉を指す。剣は熱田神宮の御神体であり、鏡と剣の複製と勾玉は、天皇のおしるしとして、いつも歴代陛下のお側にまつられている)を渡され、「これを育てて暮らせ」と稲の穂を戴いて、部下たち(神軍)を率いてこの日本に降り立った。列島の瓊瓊杵命が降り立ったのは九州・高千穂の峰と伝えられているが、瓊瓊杵命の子孫である神武天皇が、九州日向の国から国をまとめようと東に向かい、その前からこの日本列島に住みついていた人々をも統治のもとにまとめながら奈良の地にやって来て、ここで初代の日本国の天皇として即位された。以来、日本は天皇制度の下にまとまって歴史を刻んできているという。そしていまはそれから数えて二千六百七十二年になるという。

 この記述には考古学的歴史と照らし合わせて数百年ほどの誤差があるとか、記述が歴史の裏付けに乏しいという歴史学者もいるようだが、神話が歴史の時代につながっていく記述である。それもある程度やむを得ないかもしれない。それよりも注目すべきは、隠して日本に人々をまとめた国が出来上がるが、日本が建国いらい、は天皇の統治する国であったこと、そして二千年を越す歴史があるということだ。二千数百年以上の古い昔から、日本人は皇室とともに一貫して存在し、その統治のもとに生活をしてきている。


 大御宝(おおみたから)を守るために祈る天皇

 天皇と国民との関係がどんなものかと歴史的に眺めようとすると、あまりにもその歴史が長く、しかも影響を与えた分野が広いため、なかなか断定的に語りにくいものがある。ただ、信仰・祀り・行政・文化・暮らしなど様々の面が未分化であった社会制度の成立当時から我々の祖先は天皇とともに生活を営んできた。新しい制度なら、その分担する分野がある面に限られたものになるが、それ以前のものは絡み合っているのが普通だ。それは親子の関係、夫婦関係などが法で割り切れる分野のみで無いのに似ている。国民の日常生活、文化のあらゆる面に天皇の影響は及んでいて、なかなかひとことで説明することができないものだった。

 面白い話がある。私の父は戦後、日本中の主張がみな西欧的な学者や論者のものばかりになり、天皇制に容赦ない批判ばかりが続いたときに、天皇擁護の論を西欧論理で主張し、その結果彼らと「思想の科学研究会」で天皇制に関して、天皇制に批判的な現代の学者たちと話し合った男だったが、父と彼らとの討論で、その場に集まった思想傾向でいえば父とは全く反対の立場にいた人たちが異口同音に語ったことは、日本の文化の各面にはすっかり天皇制に結びついているという共通認識だった。まるで一木一草、みな天皇と結びついていると天皇制の反対者たちもしみじみ語ったという。私には印象深い記憶である。

 日本での天皇は一貫して支配が及ぶ地域の祭祀王として神々への祭りを司る役目をまず主な仕事として行う存在であった。天皇は先に紹介した神話の話で分かるように、神々ともつながる高天原の神々の一員の子孫であるとされ、しかも高天原に命ぜられた日本を統治すべき統率者であり、国民も天皇こそ神々に最も親しく、神と国民の中に立つ人・現人神であると信じられて来た。そのために天皇は日本の神と向き合う我々との間に立ち、神をまつり直接交流する存在だと信ぜられてきた。

 神々との継続的な交流と継承とそれを背景にしての民の統治する者は、神との合意を得られる者でなくてはならない。天皇制ができたころは稲穂を持って皇祖がこの地に降り立ったことでもわかるように稲作文明の初期、男系家族制度が固まった時期に重なる。その集団・家族の霊統は男系によって継承される制度になっていた。当時、縄文末期の人々は、天皇を祀り主にしていたばかりではなく、後に天皇の下に統一されるほとんどの地域が、氏族社会を形成して、それぞれの氏族の代表がそれぞれの氏族の祭祀を執り行う氏族内の祭政一致の生活を始めていた。男系制社会では、肉体的には母系でもつながるが、神の認められる祭祀の連続は、男系でなくては継承されないと信ぜられてきた。そのセンスが皇室制度維持にも影響して、皇位継承制度は男系継承に固まることになったのだと思う。そんな意識がその後、現代まで二千年以上継続し定着して日本人の意識が固まった。ちなみに日本の家族制度に、一般の民の世界では養子による家系継承制度などがあるが、皇室にはそれが無い。男系の霊統が消えてしまうからであろう。

 だから現代になっていま、急にこれとは全く関係の無い「男女同権」などの理屈を持ちだして、女系でも伝統の祭祀の継続ができるなどと主張しても、理屈がどうであるということからは離れてしまって、伝統的国民意識には合わない。「男女同権」の思想は、男と女の民法や社会的待遇などの俗権における差別を廃止しようというキリスト教文明から生まれた平等思想の一種であり、「霊統」などとは無縁の存在である。

 王位の男系継承は日本とは全く違う世界の王制などにも存在する。よく知られるように、我が国皇室には苗字が無い。男系継承の王室であるから、男系の霊統は論ずる必要が無いからである。だが諸外国の例などでは「○○家の王に王の出身家が変更されるというような例もある。そのような例を「王朝が変わる」と称する。家は代々の一系の王家ではないが、他の王家が継承する結果になるからだ。

 日本で現代の政治上の必要などでの女系承認論が出されると、
「それはそういう理屈かもしれないが、なんだか似ていても違うような気がする」
という異質だと思う不信の本能が残ってしまう。これは無意識に霊統の不連続があることを人々がわからないながらも気づくからであろう。それが合理的などという説明がなされても、神々への祭りを司る面で考えると、高天原とつながらない継承者は、合理的とか否合理とかいわれる程度の世界の話ではないのだ。日本では神武天皇から現天皇まで125代、男系の天皇制度は一度も切れることなく続いてきている。また、この男系を維持してこれからも皇位を継承していこうとすれば、それはそれで可能だということも忘れてはならない。




女性宮家の持つ二つの顔


 さてここで現代の話題に移ろう。羽毛田宮内庁長官が昨年10月に、皇族の減少を補うために、野田首相と女性皇族の結婚後の宮家設立について話し合ったことが表にされ、これに宮内庁記者クラブの記者どもが飛びつき、
「皇位の女系相続への道をつけるのか」
とひと騒ぎになっているようだ。

 羽毛田長官自身はこのような軽率な判断をする記者たちに対して、
「そのような皇室典範の改正などにかかわることに関しては宮内庁などが意見をさしはさむつもりはない」
と対応に慎重を求め、従来の宮内庁のとってきた公式見解を繰り返して、マスコミの憶測にブレーキをかける見解を表明した。
 だがかつて小泉内閣の時に、小泉首相自身が皇室の伝統に対する理解不足、男系と女系の違いの我が国の皇室に及ぼす決定的な皇室信仰や宮中祭祀の論理では説得できない微妙な側面がわからずに、安易に女系継承論に傾いた経緯がある。そのため伝統の重みを考えない軽薄な皇位継承制度の変更が日本の伝統を変質させる危機が心配されたことがあった。
 その当時の環境と現在とを比べて、現代の日本人の伝統への理解がどれほど進んだとは決して言えない状況にある。この問題が脱線して、皇室の伝統に関しての現在政治家の軽薄な取り組みが大きな問題に発展しそうな動きも起こりうるものと注目される。

 前回の動きは、ちょうど皇位継承制度の変更が論議されているその時期に、秋篠宮家の悠仁さま御生誕により、若き皇位継承権者が増加したことにより中絶したという経過がある。あの当時、世俗の権力や制度としてではなく、日本人の培ってきた信仰の側面から強い危機感を持った我々は、男子ご誕生を皇祖神霊のもたらされた神風であると感激したが、その機になぜ女系の皇位継承が日本の皇室を根本的に変質させてしまうのかを国民に十分に納得させることはできなかった。現在の日本に、世俗政治と信仰の差、外国元首(特に国王)と代々祀り主であった天皇の違いを充分に理解してもらうことができなかった。西欧論理のみが支配的になってしまった我が国で、我が国独自の精神世界での国民心理の重みを存分に説得できなかったのである。

 その宿題は、いまも手がつけられずに残ったままである。皇室の皇位継承に関して、ただ目先だけの感情論に流されずに、歴史を踏まえた日本の皇室史も充分に考慮して、日本の皇室を、軽率な一時の判断のみで中絶させないような慎重な理解と取り組みが必要であると私は強く望んでいる。古くより続いてきたという伝統の糸は、一度切断してしまったらもう二度とつなぐことはできない。いまの伝統とよく似た模造品を持ってきて、これと今までの伝統と交換しようとしてしまったら、物理や論理の世界では「ほぼ似たものに交換しただけだ」と言うだけなのかもしれないが、神として崇敬するものとして皇室を敬っているものは、大きな精神的幻滅を感じてしまう。どんなに性格は変わらないと説明しても、従来とは違えてはならないものが信仰や崇敬という世界にはあるものを見落としてはいけない。世俗と超世俗との二面性が皇室にはあることもちょっと眺めながらこの問題を見ていきたい。


 女性宮家の任務とは

 現在の皇室には外交や内政などに多くのお仕事が集中している。外国の王族や代表の来日の御接受から国事行為やそれに付随する行事まででもかなりに多く、また日本という国が二千年以上の一貫して継続した皇室の下に国の体を維持してきたこと、これが国民の心理に深く刻み込まれていることから、様々な文化・社会行事にも天皇陛下をはじめ、皇族方の御出席を仰ぎたいという国民の要望も強く、皇族方はそれぞれ手分けをされて連日のように飛び回っておられる。

 こんな憲法や政府、自治体、各種団体などからの声に、皇族方が精一杯に答えてくださることはありがたいことであるが、その要望は膨大な量である。

 それらの声に対応するために、本来なら御結婚とともに皇族の地位を去り、一般人のお仲間に入られる女性皇族のご結婚の際に宮家を立てて、皇族としてそれらの行事に立ち会う機会を増やしたいというのなら、そのことに限れば問題とするには当たらない。

 いまの日本の世俗政治は国民の声を受けて、国民の支持で首相になったものが長となった政府が皇室の事務的お世話も行うことになっている。国民からの強い求めがある限り、そして国民が有難いと思って既婚の女性宮家を迎える限り、それはプラスに作用すると考える。

 ただそれは、伝統にのっとった皇位継承とは全く次元の違う世俗政治に対応した一代限りの宮家である。確かに新しい宮家を立てられた女性皇族は、伝統的男系継承の血筋を引いた男系の皇族である。だが、その皇族が遠縁であっても皇位の男系の血筋を引く夫と結婚をされていない限り、伝統的皇族とは皇位継承上は無縁の存在にならざるを得ない。

 したがって皇位継承権は、宮家を作ったからとて生まれないと見るのが正当だろう。そんな場合には、御一代限りの宮家であるのが本来の姿だといえる。

 ただ、現代の政府の行うことは、国民の目くらましばかりだという批判の声も、耳を傾けなければならないのではないか。

「これはそのうち曖昧に女性宮家を設けておいて、女系の皇位継承を認めようという第一弾になるのではないか」
という不安の声は極めて大きい。

 国民の目をくらませて、ごまかしたように皇室制度の本質を骨抜きにしようという危険性があるのなら、認めてならないことである。日本にも皇室の問題にまで、こんないやらしい術策を用いようとする政治家や役人が出てくる可能性が疑われる時代になったということは大変悲しいことではあるが、目は光らせなければなるまい。

 そういわれて慎重に眺めれば、女性宮家を新設できるようにしてみても、ほとんど何の効果もないことだって見えてくる。わざわざ宮家を称しなくとも、皇族の無い親王や女王が御結婚のあとは「元内親王・元女王」というお立場で公式に御臨席いただくことにすれば、何の不自由も残らないはずである。新聞などの報道では、女性宮家を新設した場合、結婚される夫の立場、お子さんの立場をどうするかなどの問題点が残るという。だったらいよいよ「元内親王」で良いではないか。

 皇室制度の取り扱いは、こそこそ進めてはならないものだと思う。皇室は日本人が心の底から最も大切なものだと思っている存在であり、目先で政治家などが簡単に変更してはならない重い国家の基本となる制度なのだから。

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