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ある獣医の一生

2007-04-16 16:38:01 | Weblog
選挙の支援をしてくれた友人の一人に電話をすると、いつもの元気がない。疲れているだけではなく、気力が全く伝わってこないのだ。

彼は獣医をしている。それも、馬だけを相手にする仕事だ。早い話が、競走馬の診療を専門としている。

「人がドンドン逃げていってるんよ」

競馬場の将来を悲観して厩務員や関係者が次々に職場を捨てている、と彼は言う。そして、仕事仲間である獣医までもが去っていき、これまではその競馬場に4人いた獣医が2人になってしまった。600頭の馬を2人で担当しているから疲れ切ってしまったらしい。

彼は「競馬一家」に生まれ、文字通り馬と共に成長してきた。叔父は、日本競馬界のシンボルとも言えるシンザンという名馬の騎手をしていた。父親も愛知県で調教師をしていた。

そんな環境に育った彼自身、子供の頃は騎手に憧れたが、身体が大きくなりすぎてしまい、私が最初に会ったのが高校2年生であったが、ラグビーのガテン系ポジションであるロックをやるほどの体格であった。

騎手になる道を断念した彼が目指したのは競争馬の獣医で、その夢は無事果たして、中央競馬会(JRA)に入ることが出来た。腕の確かさで地歩を築き、かつては肩で風を切っていた時期もある。特に、競馬界のアイドル的存在となり、骨折した時はNHKがニュースでその状況を報道した、伝説の名馬「テンポイント」を担当した獣医として注目を集めた。

だが、中央競馬会と「馬が合わず」に飛び出ると、車に診療機材を積み込んで九州に行き、そこから全国の地方競馬場を転々とした。行き着いた先が、今の水沢競馬場というわけだ。

競馬場の閉鎖は、ほぼ間違いないだろうと、彼は言う。

「でも、その話を聞いて、おふくろが喜ぶんだよな」

そういう彼の声は寂しそうでもあり、老いた母親の元に戻れる安堵感をも感じさせる、まことにもって複雑な思いを伝えるトーンであった。


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