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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

北朝鮮核実験 お詫びと「私の視点」

2006-10-10 12:58:08 | Weblog
お詫び

 10月5日、私は「北朝鮮の核実験は本気?」と題して、「北朝鮮の暴走」の可能性が限りなくゼロに近いと予測する考えを書きました。だが、北朝鮮は9日午前、核実験を行なったと発表しました。実験の内容及び意図は明らかになっていませんが、いずれにしても私の見方が間違っていたことは確かです。私の間違いをお詫びすると共にそのような考えに至った経緯と分析を明らかにさせる責任があると考え、御紹介させていただくことにしました。

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 北朝鮮はかねてより核実験を含む核開発をすると公言、国際社会の反発を買ってきた。北朝鮮への“核疑惑”そのものは80年代からあったが、具体的な動きは、93年にNPT(核拡散防止条約)からの脱退を発表した時に始まる。NPTからの脱退は国際的な監視を拒否するもので、核開発の暴走につながると国際社会は警戒を強めた。

 それを契機に当時の金日成指導部はクリントン米政権と真っ向から対立、翌94年には「第二次朝鮮戦争」勃発寸前にまで事態は悪化した。この際は、カーター元大統領が北朝鮮に乗り込んで北朝鮮指導部と直接交渉を行い、事なきを得た。

 日本ではその危機感が国民にまでうまく伝わっておらず、記憶にしっかり留めている方は少ないようだが、米政府は着々と開戦準備を進め、日本政府にも協力を求めてきていた。

 ところが当時の日本政府の指導者は細川「お殿様」首相で、政権に就いて間もなく起きた「一世一代の危機」に大慌て。“家老”の武村正義氏なんぞは足が震えて、仕事が手につかない。「トウキョー(日本政府)」との足並みの乱れを嫌うクリントン大統領は、細川首相に武村官房長官の更迭を迫った(細川氏と“親しかった”小池百合子氏が後に雑誌で暴露)。

 お殿様が「生臭い話」を苦手とし、「キナ臭い話」を嫌うのは古今を問わない。緊急事態にどうしていいのか分からなくなったか、細川首相は94年4月、あっさりと首相の座から降りてしまった。

 細川氏を継いだ羽田「バカボンのパパ」首相も日本の指導者にはなったものの「初代クールビズ」である省エネルックの宣伝マンの域を出なかった。経済大国ニッポンの舵取りなどできるはずもなく、またクリントン政権に異論を唱えることなど思いも及ばなかったのだろう。米政府の言うままに、1千項目を超える「協力要請リスト」に対応すべく、極秘裏に「特別対策本部」を設置、対北朝鮮戦争を支援する超法規的短期法案の研究に入った。

 そう。日本はあの時、アメリカの臨戦態勢に完全に巻き込まれていたのだ。

 第二次朝鮮戦争止む無しとの見方が、永田町(国会)でも霞ヶ関(外務省)でも支配的になっていった。だが、政治家にも官僚にもそれに対する手立てを講じられるものは存在せず、ただ腕を拱いて見るしかなかった。

 その時(94年6月)、「米国が北朝鮮に圧力を加え、金日成主席を糾弾し続けた場合、北朝鮮は韓国を攻撃するはずだ」と確信したカーター元米国大統領がクリントン大統領の了承も得ないまま北朝鮮に乗り込み、金日成北朝鮮主席(当時)と直談判、危機を回避した。だが、私はこのシナリオには裏があると見ている。当時のカーター氏とクリントン氏との二人三脚同様の親密な関係であれば、大統領の了承なくしてカーター氏が独断で北朝鮮に乗り込むとは考えにくい。また、北朝鮮のお目付け役である中国政府からの何らかの「お墨付き」も必要であったはずだ。だから、報道された内容や関係者の暴露という名の意図的な情報リークだけで判断するのは危険だ。

 報道されている内容が事実であれば、カーター氏がその年、又は翌年、ノーベル平和賞を受賞して然るべきと私は見るが、実際に受賞したのは8年後だ。選考委員会に何か選考を躊躇させる情報があったと見るべきではないか。カーター氏はその後も「人権外交」を続け、南アフリカ、イラク、リベリア、キューバにおける危機回避への活動も加味されてようやく92年にノーベル平和賞を受賞した。

 その辺りの事実関係がどうであったかは別にして、カーター氏の北朝鮮訪問によってひとまずは「第二次朝鮮戦争」は回避された。

 話は少し逸れるが、その一方で、この危機が日本に大きな「負の遺産」を遺したことに触れねばなるまい。「有事法制」である。極東における戦争を具体的に準備してみて日本の法律がいかに「平和的」で不便であるかに気付いたのだろう。米政府が、多岐にわたる戦争のための法整備を日本政府に対して要求してきたのだ。その時点から日本が「戦争への道」を歩み始めたのは言うまでもない。

 北朝鮮の核開発計画を「援助欲しさのわがまま」と見たクリントン政権は、1990年代後半、それに対して柔軟路線で応じ、日韓両国の協力を得ながら平和的原子力開発に力を入れさせようとした。クリントン大統領による北朝鮮電撃訪問が真剣に検討されたのもこの時期だ。だから、北朝鮮が98年に行なわれたパキスタンの核実験に関わり、「代理実験」を依頼したとの情報に対しても形式的な抗議はしたものの、事実上は看過した。つまり、北朝鮮が核を保有しているのではという「核疑惑」については、事実上の黙認をした形を取ったのだ。その頃「ワシントン(米政府)」は、北朝鮮の保有するプルトニウムの量を、原爆を1~2個作る程度と見ていた。また、ウラン型原爆を北朝鮮が保有しているという情報もワシントンから永田町に流されていた。

 2001年、ブッシュ大統領が政権を取ったことで「雪融けムード」は一転して大きな動きを見せた。軍人から国務長官になったパウエル氏は就任直後、核開発問題に関してはクリントン政権の対北朝鮮政策を踏襲するとの発言をしていたが、その発言が真意でないことは、数ヵ月後に判明する。そのきっかけは9.11同時多発テロだった。

 9.11を契機にアフガニスタンに攻撃をしてタリバーン政権を崩壊させたブッシュ大統領は、翌2002年1月の一般教書演説で、国際テロ組織の支援国家であると北朝鮮、イラン、イラクを名指しで非難。それら三国を指して「悪の枢軸」と名付けて「次はお前だ」と事実上の宣戦布告をしたのだ。

 それに対向して北朝鮮は再び「核のカード」をちらつかせるようになる。この核のカードは、見方によれば、強大な米国の軍事力を恐れての防衛的な切り札と取れなくもないが、こんなものを切り札に使われたのではたまったものではない。

 北朝鮮がこのような危険な賭けに出るのも「親玉」の中国の同意があるからだと私は見る。それは、中国が北朝鮮の幾つかの生命線、つまりは首根っこを押さえているからだ。中国もブッシュ政権の暴政に危機感を抱く国の一つだ。ここ数年の動きを見ていると、米国の出方を伺うのに北朝鮮を使っている節がある。北朝鮮の核開発問題しかりだ。

 ロイター(英)通信が8日、国連安保理の席で中国の王光亜大使が「世界の中で悪い行為をする国を守る国などいない」と発言したことを受け、北朝鮮軍部が暴走、核実験の日程を早める可能性があるとした。形の上では、この情報が当たっていたことになるが、私はこの動きがそんな単純なものではないと見る。

 国際的批判が強まる中で核実験を行なった事実も理解不能だが、その発表をした時期も意味不明だ。安倍首相が中国を訪問して自らの右旋回を修正したとも取られる発言をした。続いて訪れた韓国でもこれから首脳会談をしようとしていた時に実験実施が発表された。この北朝鮮の動きは、言い訳をするようだが、理解不能で、政治を分析する場合の様々な論理が全て覆された感さえする蛮行だ。

 今回の核実験で北朝鮮は大事な「核カード」の一枚を失った。そんな賭けをしてまで何を意図しているのか。もちろん、マスコミで言われる政治・経済的理由は視野に入れているが、そんな単純なものではないだろう。これからも情報収集を心がけ、「私の視点」がお届けできると確信できた時、再びこの問題を取り上げてお届けしたいと思う。

 

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