七月、暑い夜

2014-07-31 | 日記

何を書こうか迷っていて、それに掲載する写真がないと、いつも振り返っては、この書棚とランプの写真を撮るクセが、僕にはあるようだ。だから以前に掲載したものの中には結構重複してるものが多々あると思うので、読者の皆さんにはすみませんです。と言いつつまた掲載しました。僕にリラクセーションをもたらすモノたち。七月最後の今夜の三日月は赤い。明日から八月。

  

  君もいつか

  この河辺にきただろう?

  河は黒い絹を張りつめたようだ

  やっと涼しくなった夏の夕暮、

  君とはなした夢について

  私はもう一度考えていた。  ( 矢沢宰詩集 『 光る砂漠 』 より 「 河を見つめて 」 )

 

矢沢宰の16歳の日記に 「 考えないということは、自分を失うことではないだろうか 」 という言葉がある。今、この岸辺には 君はいないが、君もあの後きっとここに来たのだろう。夜の河は、君と僕の夢を乗せた黒く美しい絹である。

 


「矢沢宰生誕70年に寄せて」

2014-07-28 | 日記

   

『 My Skip 2014.08 vol.163 』 に掲載した記事です。未だ発行になっていませんが、8月号に詩人・矢沢宰を紹介させていただいた。今年は矢沢の生誕70年の節目の年である。見附市の主宰では、3回講座の 「 矢沢宰の詩を読む 」 や、詩人・八木忠栄氏と谷川俊太郎氏のトーク・イベントなどが開催された。折角なので、僕もそれぞれに参加した。

この度、長岡地域を中心に配布されている文化情報紙 『 マイ・スキップ 』 の編集者のご好意に寄って、この記事は書かれたのだった。全文を書き写すと冗漫に過ぎるので書かないが、この機会にぜひとも矢沢の詩を読んでいただきたいものである。と同時に矢沢の存在を、せめて長岡の方々には知っていただきたい、という思いである。

 


法隆寺展を見る

2014-07-24 | 日記

今、長岡にある県立近代美術館で 「 法隆寺 」 展が開催中である。先日、母を連れて見に行って来た。国宝の 「 地蔵菩薩立像 」 もデカクて存在感があり、喧騒の僕らを静謐な世界へ導くのである。日頃からいつ逝ってもいいと言う母がお地蔵様に手を合わせていた姿は、そのままに母の願う遠い光景でもあったように思う。

この展覧会の目玉はやはり金堂の壁画の、模写の展示だろうと思う。オリジナルが失われた今となっては、金堂壁画の模写はとても重要な資料となっている。模写にして既に重要美術品ではないだろうか、と思わせるくらいに今回の四方を囲む展示空間は大変リアルな異空間であった。写真はその模写の一部であるが、この模写は無名の一仏画師が生涯をかけて画いたものである。世界の幾つかの美術館などには瞑想空間としての “ ロスコルーム ” ( マーク・ロスコの大きな作品を四方の壁にかけて、人々はイリュージョン、またはイマジネーションかの世界にドップリと浸るのである ) があると言うが、これは “ シャカルーム ” と言ってもいいほどに、千年前の斬新で驚異のインテリアである。

 


ナイトウォーキング

2014-07-23 | 日記

久し振りの 「 夜歩き 」 をした。夜の天気が気になるところだったが、僕はどうも、夏というのは天気はあまり気にしないで歩ける。夏は濡れたら濡れたでいいので、ひとシャワー浴びた気になる。また帰ってから今度は本当のシャワーを浴びればいい。

ということで、夜道を間隔のそうとう開いている街灯の明かりを頼りに、その街灯の光を映して流れる川面に沿って、歩く。迫っている山裾は真っ暗闇の闇だった。日もそうとう短くなったように思う。まだ梅雨空である。藪の中で、ギャーと一声鳥が鳴いた。