晴天の朝
2010-11-17 | 日記
久方ぶりに晴天になった。朝の青空の、冬の太陽は暖かく光が匂う。冬枯れになってしまったような守門の麓の山々は、今日ばかりはまだ残る紅葉が日に当って美しい。
写真の仏像は体の一部が欠損していて、多分坐像だとおもいますが17世紀ビルマ ( ミャンマー ) のものです。欠損した仏さまというのは、われわれ人間の身代わりになって、病気や怪我になったのだそうで、ありがたく畏れ多いことです。顔は修復されていますが、きれいな顔立をしています。以前、東京の画廊で仏像展があった時に購入しました。背景の油彩画は津高和一 ( 1911-1995 ) の作品で、こういう古仏と現代美術はなかなか相性がいいもので、僕は好きでよくこんなふうに飾って楽しんでいます。坐像の白い台座はフランス・コナール版 “ ボードレール全集第4巻 ” ( 1948年 ) で、本もこんな使い方をするのが好きです。
やまもとの里の秋は更けにけり 紅葉は枯れて日の陰わびし
物思いにふけっているといつの間にか日がかげって、もう夕日の時間になっていた。
写真の仏像は体の一部が欠損していて、多分坐像だとおもいますが17世紀ビルマ ( ミャンマー ) のものです。欠損した仏さまというのは、われわれ人間の身代わりになって、病気や怪我になったのだそうで、ありがたく畏れ多いことです。顔は修復されていますが、きれいな顔立をしています。以前、東京の画廊で仏像展があった時に購入しました。背景の油彩画は津高和一 ( 1911-1995 ) の作品で、こういう古仏と現代美術はなかなか相性がいいもので、僕は好きでよくこんなふうに飾って楽しんでいます。坐像の白い台座はフランス・コナール版 “ ボードレール全集第4巻 ” ( 1948年 ) で、本もこんな使い方をするのが好きです。
やまもとの里の秋は更けにけり 紅葉は枯れて日の陰わびし
物思いにふけっているといつの間にか日がかげって、もう夕日の時間になっていた。