晴天の朝

2010-11-17 | 日記
久方ぶりに晴天になった。朝の青空の、冬の太陽は暖かく光が匂う。冬枯れになってしまったような守門の麓の山々は、今日ばかりはまだ残る紅葉が日に当って美しい。

写真の仏像は体の一部が欠損していて、多分坐像だとおもいますが17世紀ビルマ ( ミャンマー ) のものです。欠損した仏さまというのは、われわれ人間の身代わりになって、病気や怪我になったのだそうで、ありがたく畏れ多いことです。顔は修復されていますが、きれいな顔立をしています。以前、東京の画廊で仏像展があった時に購入しました。背景の油彩画は津高和一 ( 1911-1995 ) の作品で、こういう古仏と現代美術はなかなか相性がいいもので、僕は好きでよくこんなふうに飾って楽しんでいます。坐像の白い台座はフランス・コナール版 “ ボードレール全集第4巻 ” ( 1948年 ) で、本もこんな使い方をするのが好きです。

 やまもとの里の秋は更けにけり 紅葉は枯れて日の陰わびし

物思いにふけっているといつの間にか日がかげって、もう夕日の時間になっていた。


秋雨続く

2010-11-10 | 日記
窓外は今日も秋の冷たい雨が降っている。ガラスに流れる雨滴は、さびしい村の家々を曇らしているのだった。

810年前の今日の日の 『 明月記 』 ( 正治二年西暦1200年、定家38歳 ) 。時代は、平安から鎌倉時代に移っていた。

  十日。天晴る。
  陰り、雨雪霏々たり。夜に入り、雪地に積む。
  辰の時許りに京を出で、日吉に参詣す。
  雨雪の長途、極めて以て寒し。宿所に入りて休息。
  日入るの程に、宮廻る。此の間に雨止む。
  夜、通夜の間、雪忽ちに積む。
 
悪天候の中、この日定家は朝の七時ころ京を立ち、大津の日吉大社まで詣でた。京都、滋賀は此の時期すでに雪が降り積もっていた。雪国長岡の山村の今日、秋雨ばかりが風になって吹き付けるのだった。グレーの空と雨に紅葉が沈んでいる。一日無興に堪えず。


夕暮れのエレジイ

2010-11-07 | 日記
まだ時間は午後5時05分頃。もうこんなに日が落ちて、道は薄暗いのだった。夕焼けのグラデーションが美しく、空のそれは広重 ( 1797-1858 ) の浮世絵版画のようだ。棚田の池も夕焼けの薄桃色に染まり、コバルトに染まり、消えかけの光を反射しているのだった。
晩秋の夕暮れは、なぜこんなにも淋しく暮れて行くのだろう。夏のそれとは違うのだ。影が一層濃密になって、あっという間に夜になる。昼の快晴がこの時間になると、信じられないくらいに星々を抱くのだった。光と陰の交代劇は一瞬にして施工されたのだった。

        ……
 キイツの死面は秋の日の女の衣のように
 秋の思いを静かに語つている
 蒼白い雛菊よマルグリトよ
 望楼でひそかに愛し合おう
 春にも夏にも一つの秋の顔に出ている
 ような美しさはないとあごひげの男は
 エレジイの中ではずかしそうにいつている
 あいまいな枯れてうすらいで行く季節
 すべての人達に直接に喜びを与える
        …… 
  ( 西脇順三郎著 『 失われた時 』 1960年刊より引用 )

うすらう季節の中では、エレジイ は全ての人々に喜びをもたらすのだ。