白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

60. かたみの花の

2011年05月31日 01時01分53秒 | 神隠しの惑星


 オプシディアンへの逃走経路は、サクヤが細かく調べて決めていた。
 ジグザグのコースでミラ星系を離れ、最後に大きく逆方向へ戻って星間ターミナルでしばらく滞在し、別のIDを乗船名簿に名前をのせて堂々とオプシディアンに入る。

 スオミとキジローの身の回りのものもすべて用意して荷作りしてあった。
「いつの間にこんなにそろえたんだ?」
「少しずつ、去年から」
「ずっと計画を立てて準備してたってのか?」
「ええ。でもあなたに護衛を頼めるとは思ってなかった。だからあなたの衣類なんかはちょっと慌てて集めたの。趣味の合わないものがあってもごめんね。でも似合うと思うものばっかり注文したのよ? あなたが着ているところを見られなくて残念だけど」
 サクヤがトランクを開けた。
「ほら、このジャケット。生地と仕立てがいいのよ。こっちのえんじ色のシャツと合わせると……タイも何本か。くつ下と……こっちに下着。それから皮のコート」
 服を1枚ずつ広げてみせると、キジローは片眉を上げて疑わしげにジロジロ見た。
「何だか着たことないような物ばかりだな」
「あなたの身のこなしに隙がなくて、すぐ元軍人だとわかってしまうから、こういう服装だとカモフラージュできるかと思って」
「そんなにバレバレか?」
「もっと動きにこう……ムダがあるといいんだけど。わざと鈍くさく動ける?」
「努力してみる」
 トランクの中からカラシ色のセーターを引っ張り出して、キジローの身体にあててみた。
「ああ、良かった。丈も肩幅もぴったり」
 にこっと笑うと、しばらくそのセーターを抱くように胸に持っていた。それからためらいがちに言った。

「あの……我ままを言ってもいいかしら」
 荷物の中身をチェックしていたキジローは、トランクから顔を上げた。
「何だ?」
「このセーターに袖を通したところを見せて欲しいの」

 キジローはセーターを受け取ると、カーキ色のワークシャツの上にがばっとかぶった。サクヤが何も言わずにじっと見つめているので、居心地が悪くなって「どうだ?」と聞いてみた。
「うん。よく似合ってるわ。ありがとう」
「もしかしてあんたが作ったのか? タグも何もなかったが」
「ええ。けっこう凝った編み地でしょ? 眠れない時の手なぐさみに。けっこう気が紛れていいの」
「もしかして、あいつに作ったものじゃないのか?」
 サクヤは一瞬ぽかんとした。
「あ……ちがうの。あの子は眼も髪も明るいからあの子には、ダークブルーで編んだんだけど……着てもらうチャンスがなくて……」
 にこっと笑って言葉を続けた。
「私が部屋着にでもするわ」
「良かったら、その青いのも俺がもらっていいか? こういう普通の……地面で暮らす時用の服はあんまり持ってないし」
 サクヤがまたにっこり笑った。明るくてさびしい笑顔。
「ありがとう。着てくれる? 今、持ってくるわ」
 キジローが凝った模様編みの紺色のセーターを着てみせると、サクヤが中のシャツの襟や袖を引っぱり出して整えた。
「あなた……こういう色も似合うのね。髪が黒いから、どんな色も映える……窮屈じゃない?」
「ちょっと細身だから、中のシャツ無しなしで着るか」
「そうね。それがいいわ。……こんな服装をしていると何だかすごく若く見えるのね」
「そうか?……そういやもうすぐ32になるんだな」
「じゃあ、今、31なの?」
 サクヤが驚いた声を出した。
「言ってなかったっけ?」
「いやだ。あなた……本当に若いのね。ごめんなさい。なんだかもっと……」
 最初から行方不明の少女の父親と見ていたせいもある。それに出会った頃は疲れて老け込んだ顔をしていた。
「オヤジだと思ってたか?」
 キジローがにやっとすると、サクヤもつられて笑った。
「俺はまだ若い。だからあせらず待つさ。一段落したらスオミに会いに来て、俺がこのインテリ臭い服を着て鈍くさく動いてるとこを見てくれ」
「ええ」


 午後になって憔悴した顔でジンがやって来た。
「スオミは?」
「メドゥーラに預けて来た。今日はイリスも一緒に泉の洞に泊るらしい」
「元気だった?」
「今朝は300㎞北の泉しか開いてなかったんで、イリスと迎えに行ったんだが……しゃんとしてるから安心してたら、メドゥーラの顔見た途端しがみついてわんわん泣きだしてなあ……まいった」
 ジンが頭を大きなため息を吐きながら、頭をボリボリかく。
「そう。」サクヤの顔も沈んだ。
「気丈にふるまってるけど、考えたら育ての親と今生の別れをしてきたんだもんな。それで、明日から逃亡の旅。まだ12だろ、あの子。心細くて当たり前だよなあ」
「あの子は、物心ついてからペトリを出るの、初めてじゃないのか?」とキジローが聞いた。
「確かそうだろう。文明生活を縁がなかったから普通にシャトルに乗って、ステーションに入るだけでかなりストレスじゃないのか?」
「俺もちょっと不安になって来たな。大丈夫だろうか?」
 サクヤは励ますように微笑んだ。
「大丈夫よ。あなたが一緒なんだから。さ、通信方法を詰めちゃいましょう」
「そうだな」
 ジンは途端に明るい顔になると、温床の床にどっかとあぐらをかいた。持ってきたコンテナを開けるとずらっとカードやパーツを並べ始めた。

 3時間経ってもジンのレクチャーは続いていた。キジローは頭が飽和して、ジンの言葉が耳からこぼれる感じがして呆然としていた。
 サクヤが温室に戻ってきて、トレイを床に置いた。
「ちょっと休憩したら? 何もかも一度には頭に入らないでしょ? ペヨ酒と夏瓜のスパイス風味パイ」
「ああ、助かった。何語をしゃべってるのか、そろそろ聞こうと思ってたとこだ」
 キジローがパイにかぶりついた。
「夏瓜もしばらく食いおさめだな」
 ジンがディスクを渡して言った。
「一応、簡単なマニュアルを作っといた。接続ウィザードも入ってるから画面の指示通りやればセットアップできる」
「何だって?」キジローがガシャンとペヨ酒のグラスを床に置いた。
「念のために言っとくが、連邦標準語だからわかると思う」
「つまり、この3時間の講義がなくても、星団の綱にひっかからずオプシディアンからイドラに通信出来るってことか?」
「そうともいうな。でも一応ざっとシステムの概要が分かっといた方が、フレキシブルに対応できるだろ?」
「ざっと概要、で3時間か?」
「じっくりどっぷりやってもいいぜ?」とジンがニヤリとした。
「ご親切にどうも、ドクター・ムトー。でも遠慮するよ」

 キジローがジンからひどい目に遭わされるのは2回めだ。イドラに来たばかりの頃も、対エスパー戦の訓練設備をジンが開発して、毎回ノリノリでキジローを実験台にしていた。


 一息ついたところで、サクヤが説明し始めた。
「そのディスクにリストが入ってると思うけど……ある程度私達の事情をわかっていて協力してくれる人のね。
まずはトゥッキとドリスに中継に入ってもらって、メイルを転送してもらうよう考えてる。2人も私の古い友人なの」
 キジローがややためらいがちに質問した。
「どのくらい古いか聞いといていいか?」
「30年くらい?」
「わかった。それじゃあ、安心だな」

「俺も、もうあんたらとかれこれ24年の付き合いか。大学で会った時は、こんな辺境で隣り同士暮らすことになるなんて予想もしなかった」とジンが笑った。
「この1年、いろいろあったが……この騒ぎが終わったらまたイドラに戻ってこいよ? キジロー」
「あんたは、このままここに定在するのか? もうサクヤとの雇用契約は終わったんだろう?」
「まあ、でも、まだ当分やれることもありそうだし。ここにいれば俺でも役に立つことがあるだろう。他に帰るところがあるでなし」
 感服したようにキジローがつぶやいた。
「意外とあんたって肝がすわってるよな」
「そうかね。ところでさっきからすごく観察されている感じがするんだが、俺はどこかへんか?」
「いや。すまん。勝手に”軍人臭くない動き”の参考モデルにさせてもらった」
 そう言って、キジローはサクヤと目を合わせた。
「こいつの動きなら、いいだろ?」
「そうね。練習してみて」サクヤが笑った。

 ジンはジンでキジローを観察していた。時々、サクヤの顔とお腹を見て、またちらっとキジローを見て……というのを繰り返していたが、元々、挙動不審なので、キジローは不思議にも思わなかった。
 キジローがビールを取りに席を外した時、ジンはぼそっと言った。
「何も言わないまま、あいつを行かせるつもりか?」
「何のこと?」
「あんたの腹の……父親はあいつなんだろ?」
 サクヤはしばらくじっとジンの顔を見て考えていたが、やがてため息をついた。
「そうか……カプセルに入ってた時、断層写真を撮ったのね?」
「最初に3日寝込んだ時にな。気づいたのはイリスだ。いいのか?」
「お願い。無事生まれるまで、キジローに言わないで。トゥッキの助けを借りても保証できないの。子供も母体も、無事かどうかわからないと言われた。ユリエさん……キジローの奥さんはね、キリコを生んだ翌日に亡くなったの。もしまた、そんなことになったら、キジローは今度こそ壊れちゃうわ」
「でも、あんただって、あいつが必要なんじゃないのか?」
 ジンがあんまりまっすぐ聞くので、サクヤの顔が一瞬ゆがんだ。
「それでも、言わないで。約束する。無事生まれたら、必ずキジローに会いに行くから。それまで待って」
 ジンはため息をついた。
「わかった。約束する。あんたが水臭いのは今に始まったことじゃなし。後でキジローに責められるのはどうせ俺だし」
 ジンは立ちあがると、伸びをした。
「ヤボは言うまい。俺はいっぺん帰る。明日、スオミをピックアップして、またここに来る。イリスと一緒に宙港に見送りに行くよ」
「わかった。ありがとう」


 夜が深まるにつれて、ドームの空気が濃くなって、サクヤは息苦しくなってきた。
 これまでにも、このドームで2人きりになったことはある。でも今はちがう。本当に2人きりなのだ。そして2人ともここにいない誰かのことを考えている。

 夕食の間、キジローはほとんど口を開かなかった。

「何だかあなたが初めてここに泊った夜みたい」
 サクヤがぽつっと言った。
「あの晩、あなたが少し怖かった。むっつりしてて何を考えてるのかわからなくて」
 キジローは最後のアビ肉のフライを口に放り込んでゆっくり咀嚼した。それからビールのグラスを干した。
 沈黙でサクヤをいたぶっているような気がしてきたので、やっと返事をした。
「あの晩、俺はあんたを抱くことばかり考えていた。……今でも俺が怖いか?」
「まさか」と言いながらサクヤがうつむく。
 口を閉じていても、口を開いてもサクヤを追い詰める気がする。
「心配するな。手を出さない。あんたは3カ月の昏睡から覚めたばかりで、まだふらついている。俺は若いと言っても、がっつく季節は卒業したからな安心しろ。こういう時どうでもいい話ができるほど修業を積んでいないのは申し訳ないが。今夜は、明日に供えて早く寝るよ。先に風呂借りる」

 そう言い残して席を立った。



 軽いノックの音がした。「起きてる?」
「ああ、起きてる。何だ?」
「別に用というわけじゃなくて……起きてるなら、もう少し話したくて……」
「ちょっと待て」
 キジローは毛布を抱えて寝床から出て来た。
「ここは冷える。温室に行こう」そう言って。サクヤを抱き上げた。
「歩けるわ。」
「ちがう。あんたにサービスしてるわけじゃない。しばらく会えないかもしれないから、このぐらいさせてもらってもいいだろう? 充電だ」
 温室には月光があふれていた。久しぶりに晴れた夜に満月が出たので、ホタルたちが興奮して歌っている。

 キジローはサクヤを抱いたまま、器用に毛布を自分の肩にひろげカウチに座った。サクヤを自分のひざに下ろして、またサクヤごと毛布にくるまった。
「あんたの匂いも当分、嗅ぎ納めか。結局、何の花の香りかわからなかった。スイセンとかヒヤシンスとかそういう感じだよな」
「わからないはずよ。もうない星の、もうない花ですもの。」
「その花の匂いで香水を作ったのか?」
「香水じゃないわ。勝手に香るのよ。だから自分ではよくわからないの。でもエクルーが教えてくれた。もうない星のかたみに香っているんだろうって」
「ふうん。何にせよいい香りだ」
 キジローはサクヤの頭にあごをのせてつぶやいた。
「あんたやあいつと会う前、一人でどう過してたかもう思い出せない。正直言うと、あんたから離れるのがちょっと不安だ。何というか……心細いっていうのか? 大の大人のセリフじゃないな」
「ううん。私も……心細い」
 サクヤはキジローの手をとって自分のお腹にそっと当てると、自分の手を重ねた。
「しばらくこうしてて……私も充電」
 キジローはもう片方の手をサクヤの手に重ねてサクヤの身体を包んだ。サクヤの腹に触れた時、速くなった息も、静かにサクヤの呼吸と鼓動を感じているうちに治まってきた。ひとつになった気がした。

 キスさえしてないのに、

 月の明かりとホタルの灯りに包まれて、2人で寄り添ってそっと呼吸していた。お互いの温かさと香りを感じながら。




 サクヤがふと顔を上げたので、つい頬にキスしてしまった。ごく自然に何気なく。
 そのままサクヤがぽやっと見上げているので、今度はつい引き寄せて、くちびるにキスしてしまった。

 ひざの上でサクヤが身じろぎする。短い息がもれる。あっという間に、身体中の細胞が目を覚ましてしまった。
「あまりもじもじしないでくれ。手を出さないって約束が守れなくなる」
 そう言いながら、白いのどに口をつける。手が腹からすべって、胸のわきの柔らかい所をそっと包む。
「じゃあ、今してるこれは?」
「これは別れのあいさつだ」
 改めてくちびるにじっくりキスをした。さっきよりもっと身体が密着しているのに、もどかしい。触れていない所すべてもどかしい。

「寝室に連れて行って」顔を胸に埋める。
「そしたら、手を出さない自信がない」背中に手をすべらせる。
「じゃここで止める自信あるの?」胸に手をそっとあてる。
「……ない」息がもれる。
「ゲオルグに見物されながら、ここで続けるの?」
「だが、約束が……」ひざの裏をなでる。
「そんな約束、私は知らない。」肩を引き寄せる。

 キジローが顔をちょっと離すと、サクヤの目を覗き込んだ。
「本気に取るぞ?」
「本気よ。夜は短いわ」
「わかった。行こう」
 キジローはさっと立つと、サクヤを抱き上げた。


 翌朝、スオミがドームに来た。
 イリスとジンに送られて、両手いっぱいに荷物をかかえて。腰まであった髪がばっさりと耳の下で切りそろえられている。
 一晩で顔つきが変わって痛々しいほど、大人びてしまった。
「綺麗ね。よく似合ってる。今、この形が流行っているのよ?」
 スオミがにこっと笑った。
「この荷物は?」
「メドゥーラのお餞別」
「たたんでトランクにパッキングしましょう。それから着替えましょうね。それじゃあイドラからの逃亡者だってすぐわかっちゃう。こっちに来て」
「俺も手伝う」とイリスが申し出た。
「じゃ、あずまやで身支度しましょう」
 女たちが、ああでもない、こうでもないと着せ替えをやっている間、男2人は台所でコーヒーを飲んだ。

「昨日、サクヤを襲わなかったんじゃないだろうな?」ジンが聞いた。
「逆じゃないのか?」
「逆じゃない。あんたも、サクヤもこれから大変なんだ」
「大丈夫だ。たっぷり充電した。しばらくはこれで…・・・やっていける」
 キジローの落ち着いた横顔に、ちょっとジンは感動を覚えた。
「サクヤを頼む。これから当分、俺はそばにいられないから……どんな細かいことでも教えてくれ。姫さんも……しばらくしたら、この星を離れるつもりなんだろう? どこに行ったか、教えてくれ。どんな風にやってるか、元気かどうかも」

 ジンはよっぽどサクヤも一緒にいかせてやりたいと思った。しかしそれは願っても詮無いことだ。スオミの次にねらわれるのはサクヤなのだ。2人が一緒に逃げ回るのは得策ではない。
「こんな風に俺が心配するのも僭越なんだろうか」
 キジローがぼそっと言ったので、ジンはちょっと笑ってしまった。
「何言ってる。あんたは、あいつの分もサクヤに責任があるんだ。堂々と心配していいさ。独占欲丸出しの男ぐらい役に立つシールドはない。しっかりスオミを守れば、それだけ早く一緒に暮らせる。あのコも不憫だ。守ってやってくれ」
「ああ。言われるまでもないよ」

 こげ茶の皮のブーツに、白いハイソックス。スカートがプリーツになった紺のワンピース。キャメルのフードつきコートを着て、スオミは台所に入って来た。
「へえっ。見ちがえたな。マーズポート辺りに群れてるお嬢さん学校の女子高生みたいだ」とジンがコメントした。
 スオミは鼻にしわを寄せて首をかしげた。
「よくわからないけど……それは逃亡者に見えないってこと?」
「ああ、見えない。おまえを見て怪しむ奴はいない。堂々として、人と目が合えばにっこり笑うんだ」
 キジローはぎこちなく微笑むスオミの肩をポンと叩いた。

 そういうキジローは、サクヤが見立てた皮のコートにスポーツジャケット、コーデュロイのパンツで変装していた。
「落ち着かねえ。外宇宙に出るのにこんな……実用的でない服でどうしろっていうんだ」
「普通の人間は3分で船外作業用スーツを装着して、減圧ルームに飛び込んだりしないもんだ。もっとモタモタ動けよ。反抗期の娘をもて余した、若い父親になったつもりで」
 キジローはきろっとジンをにらんだ。
「何だか、あいつにからかわれたみたいな気分だ」
「あいつの役割も、俺がフォローしてるんだ。ワルキューレ・ステーションからトール・ドームへ移動する時のあんたのIDは高校教師だという設定だ。しかも、古典文学の。予習しとけよ」
「本当にサドだよな、あんたは。覚えてろ」
「がんばってくれ」
 ニヤリとすると、ジンは20世紀英米文学全集のディスクを3枚渡した。
(結果からいうと、このディスクは逃亡中のいいひまつぶしになった。200冊近い本の朗読がきけたからだ。)

 サクヤがキジローを苗床のあったサンルームに呼んだ。今は空っぽで、朝日が差す静かな空間だ。
「ワルキューレで丸一日時間があるの。そこで着換えさせて。変装するくらいのつもりで丸っきり印象のちがう服装に。あなたも行く先々でまめに上着や帽子だけでも変えて」
「わかった」
「ありがとう。あの子を頼むわ。あの……宙港に行けないわ。私はここで見送る。スオミを心配させたくないの。泣かずに見送る自信がなくて」
 そう言って微笑むので、キジローは胸をぎゅっとつかまれた気がした。
「あなたがひどいのよ。もう会えなくなるって時に」
「何だ?」
「ひげをそって、こんな……ハンサムだってわかっていたら」
「スオミなんかに渡さずに、あんたのボディ・ガードにしてくれたってか?」
「そうかもね」
 そう言いながら、くちびるをふるわせて一生懸命微笑んでいる。
「泣いていい。ムリに笑うな。最後にきれいな泣き顔を見せてくれ」
 そう言って、ぎゅっとサクヤを抱きしめた。サクヤはしばらく、キジローの胸にしがみついて顔を隠していた。
 声も出さずに身体をふるわせている。再びキジローを見上げた時には、また微笑んでいた。
「あ、もうエア・ポートに行かなくちゃ。セバスチャンたちにもあいさつしてやって」
「その前に、あんたにあいさつだ」
 少し屈んで、くちびるを合わせた。ひきはがすように身体を離すと、温室に戻って行った。


 宙港の帰りにまたジンとイリスがドームに顔を出した。
「無事、発った。待ってる間。スオミは初めてマシーンでジュースを買ってなあ。それから売店でクッキーを買って……それだけでも大した冒険みたいだった。大丈夫。利発な子だ。きっとうまく行く」
「キジローの方がよっぽど魂の抜けた顔をしてたな」とイリスがつけ加えた。
「ありがとう。ごめんね、任せっきりで」
 ジンはサクヤを安心させるようにニッと笑った。
「あんたはムリするな。腹に障る。苗床もちゃんと機能してるし、のんびり荷造りしてな」
「サクヤ。そいつの幼馴染ができたぞ」
 イリスはそう言って、自分のお腹にそっと手を当てた。
「女の双子だ。きっと2人でそいつを取り合うな。そして結局、母親には勝てないことが分かって失恋するんだ。あんたの腹のそいつがマザコンじゃないはずないからな」
「まあ、イリス。素晴らしいわ、おめでとう」
 サクヤがまた泣き出した。イリスはサクヤの手をぎゅっと握って微笑んだ。
「あんたとジンのお陰だ。俺はこんなに幸せになれると思わなかった。元気に暮らして、子供を育てることがあんたらへの恩返しになると信じている。俺はここで幸せになる。月が割れようと、星が降ろうと。だからあんたも、大事にしてこいつらのアイドルを生んでくれ」
「うん。ありがとう。約束する」

 ジンは少女のような顔をした、2人の母親を感慨深く見守った。女って不思議な生き物だ。美しくて強い。

 勝てないな。勝てるわけない。目に見えない細胞1コから、丸々一人の人間を作ってしまうのだ。何の設備も外部からのエネルギーの必要とせずに、自分の身体と受精卵だけで、人間を生み出す。
 スゴイよな。月が割れようと、星が降ろうと、どんな絶望が待ちかまえていようと、未来を信じてぐにゃぐにゃの赤ん坊を過酷な世界に送り出す。その子の未来を信じて。

 まったく、勝てないよ。

 溜め息をつきながら、ジンは自分もあんまり未来に不安を感じてないことに気がついた。どんな天災が起ころうと、子供は生まれてくるんだ。その子を守らないわけにいかないじゃないか。イリスと子供がいれば何も怖くない。
 同時にキジローにはそんな心の支えがないことを、ひどく同情した。まったくこの3人は。どこまでもややこしい。
 まあでも、毒を食らわば皿までだ。ここまで来たらどこまでもつき合ってやるしかない。これまで24年。あと30年はつき合えるか。いや、俺の子供も考えるとまだまだ長いつき合いになりそうだ。
 先の見えない未来が何だか楽しみに思えて来た。

「そら、そんなとこに座り込んでると腹が冷えるぞ。夕食は俺が作ってやる。2人とも居間で暖かくしてろ」
 2人の妊婦は抗議したが、ゲオルグがいつもの調子で言い添えた。
「大丈夫。私も手伝いますから。少なくとも食べられるものができることを保障します」





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