白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

103.歓喜の歌

2011年06月02日 17時54分31秒 | 神々の庭園
 温室の片隅で、エクルーは土をこねていた。
 ドラム缶にサラダボールを伏せたような旧式の外見をしたターミナル・ロボットが、胸部のモニターにデータを表示している。

「ちょっと粒度が大き過ぎない?」
「いえ、ポイントE138は西側に大きな露頭がありまして。そのせいで地表面が風でえぐられているんです」
 植生管理担当のターミナル・ロボットが、いくつかの数値をハイライト表示して説明する。
「それで水捌けが悪くなった?」
「ええ、それで湿度に弱いこのアザレア種とこのロベリアが枯死しておりまして」
「わかった。ちょっと修正を加えればいいんだね、フランツ」
 エクルーがロボットの愛称を呼んだ。

 この温室タイプの研究所では、常時50体ばかりのターミナル・ロボットが動いている。植物サンプルの管理、惑星全体の気候変動や植生変化の監視、そしてここで居住する人間の世話などを分担している。ここ数年、この温室は研究所というより保育園の役割が大きくなったものだから、ロボットたちは保父さんとしても活躍しているのだ。
 ターミナルを統括するメイン・ドライブのセバスチャンは、温室の脳みそとして統括するだけでは退屈して、ターミナルをひとつ自分の手足として動かしている。そしてそれぞれのターミナル・ロボットに自分好みの愛称をつけたのだ。

「フランツ、これでよかったかしら」
 8歳の少女が、もう一体のターミナル・ロボットを引き連れて大きなトレイをよたよた運んで来た。
「リムスキー、何をやってるんだ。レイディを働かせて」
 フランツが同僚を叱責した。どちらも外見はそっくり。ドラム缶にサラダボールを伏せたようなヤツがもう一体のドラム缶を叱っている。2つの小さなレンズの間に半円系のスピーカーがついているので、何とも間の抜けた顔に見える。
「怒らないで、フランツ。私が持ちたいって言ったの。みんな私をジャマにして、何もさせてくれないんだもの」
 少女が口をとがらせる。

「じゃ、こっちを手伝ってよ、サクヤ」
 エクルーが少女を呼んだ。
「”苗床”のサンプル・ボックスは10mの高さまで積んでるんだ。どうせ、こいつらじゃなきゃ取り出せないだろ?」
「でも……」
 少女は不満げだ。
「それに君が入ったら、フリーザーの温度が上がっちまうだろ? あっちはリムスキーに任せて、土の調整を手伝って」
「……わかった、そうする」
 頑固なサクヤがようやく納得して、エクルーの隣にひざをついた。

 この研究室は、”神々の庭園”と呼ばれる惑星イドラを守る中枢だ。
 20年ほど前、セバスチャンを連れた2人の人物がここを作った。エクルーの両親だ。彼らの名前はサクヤとエクルー。今、エクルーはエクルーの名を継ぎ、この少女はサクヤの名前を継いでいる。
 もっともエクルーの場合、大きい方のエクルーの記憶は継いでいるものの、遺伝的にはどうなのだか今一つ判然としない。エクルーは彼の目がエクルー(薄い鳶色)だということにちなむ愛称だ。戸籍上の氏名は、ナンブ・キイチロー。養父はナンブ・キジロー。

 キジローは、大きい方のエクルーと親友で、彼の死後、大きい方のサクヤを託されたのだった。
 サクヤは自分の息子に、”あなたはお父さんを2人持ってるのよ”と言うだけで、大きいエクルーとキジローのどちらが生物学上の父親なのか明らかにしないまま死んでしまった。

 小さなサクヤは、キジローの娘のクローンから生まれた。つまり遺伝上のキジローの孫。エクルーは戸籍上キジローの息子だから、2人は叔父と姪の間柄になる。何ともややこしい関係だ。
 もっともキジローとエクルーがこの少女の存在を知ったのは、つい10日ほど前だ。病を圧して20年近くぶりに惑星イドラに帰ってきたキジローは、荒地から変貌した色とりどりの庭園とそこで生き生きと走り回る孫娘を見つけたのだった。


 小さなサクヤはエクルーの横にちょこんと座って、エクルーがふるった土に軽石を混ぜていく。フランツが表示するレシピに従って、この土壌マットに湿地に適合する植物の苗をミズゴケに包んで植えつけ、E138に移植するのだ。

 並んで作業しながら、サクヤはいつものようにエクルーに”大きなサクヤの話をして”とせがんだ。自分が名前を継いだ女性がどんな人か知りたくてたまらないのだ。

 キジローにもジンにもグレンにもイリスにも聞いてみた。メドゥーラにも聞いた。みな生前のサクヤをよく知っているはずなのに、もともとあんまりおしゃべりな性質じゃない面々で、サクヤは情報収集に苦労していた。

 というわけで、サクヤのターゲットはもっぱらエクルーなのだ。
 なんといっても、エクルーはサクヤの息子だ。それに大きなエクルーの記憶をすっかり継いでいるのだ。サクヤと3000年以上一緒に旅をした大きなエクルーの。

 とはいえ、小さなエクルーもあまり能弁ではない。大きなサクヤに関しては、さらに訥弁になる。せがまれて、ぽつっぽつっとたわいない思い出を語るので精一杯なようだ。


「エクルーって ”サクヤ”の話をする時、お母さんっていうより恋人の話してるみたいよねえ」
 小さいサクヤが指摘した。
「そうかな」
 エクルーは少し赤くなった。
「そうよ。何だか”自分だけのものにしたい”って気持ちをひしひしと感じるもの。そんなに”サクヤ”のこと好きだったの?」
 取りつくろうとしたが、サクヤの笑顔や涙や、低い声でつぶやくような歌声がよみがえって来た。目をとじて、うつむくと、言った。
「うん、大好きだった。ずっと一緒にいて、守りたいと思ってた」
 言葉を口にした途端、涙がこぼれ出て、自分でもうろたえた。
「あれ、変だな。サクヤが散った時にも涙なんか出なかったのに」

 小さいサクヤがかたわらにひざまづいて、エクルーのほおにキスをした。
「そんなに愛してたのに、サクヤはグランパと結婚しちゃったのね。可哀想。じゃあ私がエクルーのお嫁さんになってあげる」
 エクルーは薄く笑った。このくらいの年頃の女のコが、2、3回結婚を変えた上に、大人になればケロリと忘れるのを知っているからだ。
「ありがとう。サクヤが大きくなるのを、楽しみに待ってるよ」
 そう言うとおでこにキスをした。
「こんなじゃなくて、ちゃんとして!」
 小さいサクヤは怒った顔で主張した。
「ちかいのキス! くちびるに!」
 エクルーは一瞬迷った。でもまあ”結婚ごっこ”につき合ってやろう、と思った。
「わかった。目を閉じて」
 ついばむような軽いキスをだった。肩に手をおいて、小さくちょん、と。なのにサクヤは途端に真っ赤になって、ドームから駆け出して行ってしまった。
 入れちがいに、ボニーが入って来て、サクヤに声をかけたが、気がつかないようにそのまま走って行ってしまった。
「どうしたんでしょう。あの子らしくない」
 物問いたげにエクルーを見るので、観念してボニーに事情を説明することになった。

 ボニーはひとしきりくすくす笑っていたが、ふいに両目からぽろぽろっと涙をこぼしたので、エクルーはうろたえた。
「ごめん、本当に悪気はなかったんだ」
「ちがうんです。あの子が ”好きな人と結婚したい” そんな普通の感覚を持った子供に育ってくれたのがうれしくて」
 涙をぬぐいながら微笑んだ。
「あの子が生まれた時からずっと気が気じゃなかった。私やアズアの石の力を受け継いでたらどうしよう。毎日、ちょっとでも変な徴候がないか

ピリピリしてました。良かった。あの子は幸せになれるわ」
「普通でなくてもいいじゃない。この星は、ヘンな奴がたくさん幸せに暮らしてる。もし、この先サクヤに何か力が現れて、”普通”じゃなくなったとしても……俺が嫁にもらってやるよ」
 ボニーが赤くうるんだ目で自分をみつめていて、それからにっこり微笑んで”ありがとう”と答えたので、まるでボニーにプロポーズしたように気恥ずかしくなってしまった。

 部屋にキジローがいないので、ハンガーまで探しに行った。
 ハンガーの屋根に作ったバルコニーで、キジローは酒を飲んでいた。バルコニーには、今回、エクルー達が帰る前に車イスでも上がれるリフトを、セバスチャンが設置してくれていた。
「おう、ちょうど夕焼けが見頃だぞ」
 キジローがグラスを上げた。
「またバーボン? 少しは固形食も食べてよ」
「まあ、いいじゃないか。お前も飲め」
 キジローはもう一杯ロックを作って、エクルーに渡した。
「おめでとう。サクヤと婚約したんだって?」
 エクルーは酒を吹き出してしまった。
「サクヤが真っ赤な顔して、報告に来たぞ。”グランパだけどエクルーと結婚したらお義父さんと呼ぶのかしら”とか悩んどったぞ」
「キジロー、あの年の女のコなんて、3日ごとにフィアンセを変えるんだから、本気に取らないでよ」
 エクルーはため息混じりに言った。
「いいじゃないか。俺はうれしいんだよ。一巡りして、やっとお前にサクヤを返せたような気がして」

 そう言ったキジローの顔が、ひどく穏やかなのでエクルーは不安になった。
「とにかく、少し酒以外のもの、腹に入れてよ。ちょっと台所見てくる。ミネストローネでいい?」
「シェル・マカロニ入れてくれ。あと、マッシュ・ポテト」
「了解」

 台所で野菜を煮込んでいると、表の温室が騒がしくなった。火を止めて見に行くと火がついたように泣きわめくサクヤを抱いて、ボニーが駆け

込んで来た。
「お父さんは?」
「え、ハンガーのバルコニーにいるけど」
 エクルーがみなまで答えないうちに、ボニーはサクヤを抱えたままバルコニーに走った。あわてて、エクルーも後を追った。

 すみれ色の夕闇の中で、キジローは静かに眠っていた。足元にグラスが落ちて、砕けていた。
「お父さん!」
 ボニーが駆け寄った。エクルーは足が震えて動けなかった。
「ほおが冷たい。お父さん。微笑んでらっしゃるわ……」
「さっき、ついさっきまで、ここで一緒に飲んでたんだ。でも何か予感があった。台所なんかいかなければ……ついてて話を聞いてれば良かった」
 エクルーはひざがガクガクして、なかなかキジローの側に行けなかった。
「おいキジロー、サクヤを返したって、今頃返してくれても、遅いんだよ。あんたには、まだ言いたいことがたくさんあるんだ。勝手に1人だけ納得して、満足して逝っちゃうなんて、あんまりじゃないか。戻ってこいよ。おい、戻ってこい!」
 エクルーはキジローのひざに取りすがって叫んだ。
「1人で逝くなよ。俺も連れてってくれ。この家で1人残されるなんて、1人なんてイヤだ。俺も連れてけぇ」

 後ろで泣いていたボニーが、エクルーの肩をつかんだ。
「サクヤが……」
 さっきまで狂ったように泣き叫んでいたサクヤが、2人の間に立っていた。別人のような静かな微笑を浮かべて、エクルーの方に歩いてきた。
「あなたは1人じゃないわ。私の光はあなたの中にある。いくつかは、今、この子の中にはいってしまったけど」
「サクヤ? サクヤなの?」
「そうよ」
 小さなサクヤがふわっと微笑んだ。
「でももうない星の記憶でこの子をしばるのはやめましょう。あなたも、もう自由になって。あの星の代わりに、私達。イドラをもらったのよ。

このきれいな星を。もう旅は終わりにしましょう。私達、イドラに帰って来たのよ。あなたはここで幸せになれる。いつも側にいるわ。キジローと一緒に、いつも見守ってる。あなたが、この子が生きていてくれれば、私達も一緒にこの星で生きて行けるわ」
 小さなサクヤは、ボニーの手を取った。
「ボニー、ありがとう。この子の名前のこと、うれしかった」
 それからエクルーの方を向くと、小さな両腕を首の回りに回してエクルーを抱きしめた。
「生きて」
 そう一言、ささやくと、小さなサクヤは眠るように気を失ってしまった。



 何も知らせないのに、ほどなく、スオミとアルが、駆けつけてきた。
 つづいて、ジン、イリス、グレンがやってきた。寝台に移したキジローはまだ穏やかな微笑を浮かべたまま、まるで眠っているようだ。

 スオミは、毛布にくるまれてボニーに抱かれていたサクヤを診察した。
「体温が低すぎる。メディカルカプセルに入れましょう。セバスチャン、ここのカプセルはまだ使えるの?」
「昨日、点検したばかりです。薬液タンクは今朝、交換しました」
「ありがとう。じゃあ、借りるわね」と言って、サクヤをカプセルに寝かせた。
「父の死を間近に見たから、軽いショック状態なんだと思うけど。何か他に変わったことあった?」
「それが……」とボニーが言いよどんだ。
「あのコ家で本を読んでたんですけど、あれ、ホタルってあんな虫かしら、金色の粒が飛んで来たんです。10コくらい。このコ、じぃーっと見とれてたんです。私も何なのかわからなくて、動けなくて。そしたら、その光がふいっとこのコの中に入ってしまって、途端に、ひどく泣き出したんです。”グランパが死んじゃった”と言って」
 それから、バルコニーで”サクヤ”の声で話した顛末を説明した。
「つまり、その光は”サクヤ”だというわけなのね」とスオミが言った。
「それと、キジローもだよ。サクヤが散った時、キジローが飲み込んだのは、5つかそこらだった。ボニーが見た光は10コ。半分はキジローだ」
 エクルーが付け加えた。
「この子、どうなっちゃうんでしょう」
 ボニーが両手をもみしぼりながら聞いた。「人格とか記憶が混乱してしまうんじゃ……」
「大丈夫だと思う。俺の中にも両親や、何人かの同胞とサクヤの光が入ってるけど表に出て来たことないし」
「体温も血圧も低い。これって……」とスオミがエクルーを見た。
「うん、”サクヤ”が冬眠状態になった時とよく似てる」
「この子、どうなっちゃうんでしょう」とボニーがくり返した。
「深く眠っているだけで、健康よ、大丈夫」
 スオミはボニーの肩に手を置いた。
「でもこの子はずっと普通だったのに、父の死を感じ取ったり、あんな……変なこと今までなかったのに」
「大丈夫」とエクルーが言った。「どうヘンになっても俺が引き受ける」
 スオミがエクルーの顔をのぞき込んだ。
「へええ、そういうことになったんだ」
「うん。今日、何だかそういうことになった」
「道理で」とスオミがため息をついた。
「お父さん、満足そうに笑っているもの。安心したのね、きっと」


 埋葬は翌日にすることにして、ジンやグレンは家に帰った。サクヤのカプセルには、スオミとボニーがつきそった。
 エクルーはバーボンをかたむけながら、1人でキジローの通夜をした。
(俺、本当はバーボンなんか好きじゃなかったんだけどさ)
(あんたのせいで、毎晩飲むクセがついてしまったじゃないか)
(大体俺は、今まで聞き役ばっかりやってきたんだけど、あんたにはどうしてだか自分のことたくさんしゃべったなあ。何でだろう)
(俺とサクヤは、もうない星の亡霊みたいに宇宙をさまよってた。あんたのお陰でーーあんたを救おうとしたら、もうない星の傷も癒されてしまった。結局……俺もサクヤも、あんたに救われたんだ。ありがとう。キジロー。俺は、あんたの息子に生まれてよかった)





 イリスがホタルに聞いた結果、当面この辺りは水没することも、隕石に吹き飛ばされることもないというので、キジローはドームの西側の小高い丘に埋めることにした。
 赤茶けた、すぐ剥離する岩石ばかりなので、アルがあちこち飛んで、クマが坐って空を見上げているような形の黒い岩を見つけて来た。
「お義父さんの墓標に」
「うん、ありがとう。よく夕焼けを見ていたから西に顔向くように置こう」
 ガードナーロボットが4台で、丘に穴を掘っていた。ジンとグレンが木の棺を作っている。悲しい作業のはずなのに、死者のために何かやっていると、だんだん気持ちが前向きになってくるのを感じた。

 ドームに戻ると、ボニーが白い顔でカプセルの側に座っていた。
 エクルーはココアを作って、渡した。
「ボニー、少し横になったら。夕べ、寝てないだろう」
「あなただって」
「いいから、ちょっと休んで。葬式の間に倒れでもしたら、キジローが安心して眠れないじゃないか。ちょっとの間、サクヤを俺に貸してよ」
 ボニーは弱々しい笑顔を作ってうなづくと、温室においたソファに休みに行った。

 エクルーは、カプセルの強化ガラスに右手をつけてサクヤに話しかけた。
「今、どんな夢を見てるの。きれいな夢?でももう起きなよ。夢から覚めても、もっときれいな景色がきっと見られるから。一緒にそんな風景を探しに行こう。俺のこれからの人生、全部サクヤにあげる。だから起きてくれないか」
 水の中で眠っているサクヤがかすかに微笑んだ気がした。
「わかった。ちゃんとする。ちゃんと起こせばいいんだな」

 カプセルの廃水ボタンを押した。治療液が少しずつドレインされて、下から出てきたシートに身体を着地させた。温風が髪や服を乾かした。
 ハッチボタンを押して、カプセルを開ける。サクヤの頬はバラ色で、今にもくすくす笑い出しそうだった。
「寝たフリでもしてるみたいだな。でも、いいや。ちゃんとするよ」
 エクルーはサクヤの顔の横に右ひじをついて、顔を近づけた。
「お姫さま、起きて。白い花を摘みに行こう」
 そう言って、キスした。

 サクヤはふわっと目を開けて、エクルーの顔を見つけると、にこっと笑った。
「ああ、ずっとあなたの夢を見てたわ。白い花がたくさん咲いてる野原を、2人で歩いてるの」
 エクルーも微笑んで答えた。
「それは夢じゃないよ」
「そうなの?」
「だって君は今から俺と、白い花を摘みに行くんだから」
「うん、そうしてグランパにあげるのね」
「そうだよ。行く?」
「ええ、行くわ。行きましょう」
 サクヤはエクルーの手をとって、カプセルからポンと床に下り立った。
「早く行こ!」
「うん、でもその前にボニーに言っとこうね」
 2人で手をつないで温室に入っていくと、すぐボニーがソファから起きてきて、駆け寄ってサクヤを抱きしめた。
「良かった。目覚めなかったらどうしようって……。大丈夫なの? お腹痛くない? お熱は?」
「大丈夫。どこも痛くないよ。エクルーと一緒にグランパにあげるお花摘みに行っていい?」
 ボニーがエクルーを見上げた。
「ちゃんと気を付けるよ。もう少し、サクヤを貸して」
「何だか年中貸し出し中ということになりそうね」


 棺にキジローを移して、サクヤとエクルーで摘んできた白い花で周りを埋めた。1本、1本花を差していきながら、2人は無言だった。サクヤがキジローに聞かせるように低い声で歌っていた。それが何の歌か気づいて、エクルーは顔を上げた。
「その歌……」
「あ、うん。夢の中でエクルーが教えてくれたの。これ何の歌?」
「白い花の野原の歌だ。もうない星の歌だよ」
「そうなの。きれいな歌だわ」
 サクヤの歌を聴きながら、エクルーは鼻の奥が熱くなった。
(父さん、これはあんたの仕業かい? まあ、なんにしろあんた楽しそうだな。まんまと乗せられた気もするけど)


 葬式を取りしきりにメドゥーラが来た。
「ふう、こっちまで出てくるのは久しぶりだよ」
 黒いセーターを着たエクルーが、サクヤと手をつないで立っているのを見て、メドゥーラが「ほうほう」と言った。
「まあね」とエクルーがちょっとニっとした。
「ほうほう、そりゃあさぞかしキジローも喜んだろうな」
「そうみたいだ」
「しかし、私がやっていいのかね」
「うん、頼むよ。キジローはイドラの土になりたいって言ってたんだから」
「まあ、それだったらワシらの祈りで良さそうだね」

 メドゥーラが死者を送る祈りの歌を歌い始めると、すぐグレンとイリスも合わせて歌い出した。スオミやアルもすぐ覚えて後を追った。不思議な抑揚のついた施律を3回くり返して、次はそれを倍のリズムで歌う。そのくり返し。
 みんなで歌をくり返していると、北西の暮れ始めた空の下にオレンジ色の灯りが見えた。灯りがだんだん増えて、近づいて来た。たくさんのイドリアンが提灯を下げて、ルパでやってきたのだ。順番にクマ石の周りに枝を三角錐に君だ枠に灯りをぶらさげておいては、合唱に加わった。最終的には300人くらいいたかもしれない。

 ひとりのイドリアンがエクルーに話しかけた。
「何ですって?」とボニーが聞いた。
「キジローと一緒に、サクヤや銀髪のエクルーの魂も送ってやろうって。それから死んだ石の子供たちのためにも歌うって」

 提灯に喜んで、ホタルも100匹ばかり乱舞して、歌った。イドリアンは、歌いながら、次々と別のメロディーを重ね始めた。
「すごいな、5声ぐらい重なってるよ」とエクルーが感動した。
 ジンは混乱して「俺ァ、どこを歌えばいいんだ?」とグレンに聞いた。
「どこでも。歌えるところ」
「こんなの、お前らどこで練習したんだ?」
「練習なんかしないよ。ただ歌うだけさ」

 それぞれのメロディーが三部ずつに分かれて、さらに複雑になってきたので、グレンとイリス以外ははずれて聴衆になった。
「スオミは歌えるんじゃないの」とアルが聞いた。
「ええ。歌えるんだけど、何だか……ほら、ホタルがへん」
 歌に惹かれて、さらに数を増していたホタルが、一斉に西の脊りょう山脈に向かって飛び始めた。高音でリリリリリと鳴きながら。

 スオミがアルの腕をつかんだ。
「聴こえる? ほら。でも、そんなはずないわ。そんなはずないのに……」
 スオミが泣き出した。
「どうしたんだ。何が聴こえるの」
「ミナトが……ククリも……みんな一緒に歌っているの。イドリアンの歌に合わせて」
「おい、泉が!!」ジンが叫んだ。

 岩山の泉の洞から青い光がもれていた。南の洞からも。北の方にはさらに3つサーチライトのように、青い光が空にのびていた。
「ゲートが開いたのか? でもペトリはもうないのに」
 アルはスオミを連れて上空に飛んだ。
「まだ歌が聴こえる?」
「ええ、7人全員の声が聴こえてる」
「107の泉が全部光ってるみたいだな。前はゲートが開いた時、ペトリの空の明るさが、泉の水面からもれて見えてたんだよな。じゃあ、この光はどこから来てるんだ?」
 スオミは答えなかった。両手を顔の前でにぎりしめて涙を流していた。

 ホタルたちの声の調子が変わった。ろーろーと長くのばして、不思議なハーモニーを作り始めた。
 その響きに載って、ミヅチの声が聴こえて来た。
「これは我々が残したメッセージだ」
「螢石のために、たくさんのものが傷ついたり、死んだりした。その傷を修復するために残しておいた」
「こんなもの無用だ。要らぬお節介だ、と言われることを望むわ」
「結局、107の石を残してしまったのが気懸かりだ。このことが負の遺産にならないことを望む」
「それから、番人たちの負担にならないこともね」
「しかし、これらの石が、イドラの生命が生きていくための助けになれば、望外の喜びだ」
「実際、石のおかげでこうしてメッセージが残せたわけだからな」
「今の美しいイドラがみられなくて残念だが」
「元気で」
「元気で」
「生命をつむいでいってね」
「また会おう」
「また会えるわ」
「また会う日まで」

 まるで終幕のベルのように、またホタルが高くリリリリリと鳴き始め、やがて泉の光は消えた。
 イドリアンの歌も最初の単調なメロディーに戻っていた。歌いながら、3、3、5、5と去って行き、気がつくと、クマ石の横を歌っているのはメドゥーラとグレンとイリスだけになった。メドゥーラがゆっくり両手を上げて、手のひらをみせると静かに両脇に下ろした。
 歌が終わった。

 しばらく誰も、何も言えなかった。
 メドゥーラがジンの腕をぼんと叩いて「提灯の明かりがあるうちに、キジローを埋めてやんなさい」と言った。
 そして、しっぽをぴんとのましてノビをするとグレンに言った。
「家に送っとくれ。私は歌い続けで少々疲れたよ」



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