白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

61.ペーパームーン

2011年06月03日 10時39分35秒 | 紫と銀の荒野で

F.D.2525

 連絡船がイドラを離れるにつれて、スオミの緊張が高まってくるのがわかった。ワルキューレ・ステーションのドッグに下りたとき、キジローがそっとスオミの肩に手をおいて「ほら、見えるか?」と窓の外を指差した。
「あの明るい赤味がかった星があるだろう。その右下の青白い星がヴァルハラだ。ペトリとイドラの太陽だな」
「あんなに小さいの」
「このステーションはヴァルハラ星系への玄関口といっても隣のミラ星系の公転軌道上にあるからな。今、たまたま遠い側にあるし」
「あんなに小さいのね」
 スオミがつぶやくように繰り返した。5歳で家族と引き離されて以来、あの辺境の太陽系の第七惑星がスオミの世界のすべてだった。8人の育ての親も、いつも泉越しに心配して食べ物や服を届けてくれたおばあさんも、友人も、愛した風景も、何もかもあそこに置いて来てしまった。

「さあ、ターミナルまで出て荷物を受け取ろう」
 キジローが静かにうながして、2人は歩き始めた。自然豊かな土地で何不自由ない暮らしをして来たスオミにとって、この巨大な人口空間はどんな風にうつっているのだろう。流れない空気、閉ざされた天蓋に偽装天候、装飾用の虚弱な植物群。やさしい手で紡がれ、織られ、草木で染めた実用的で暖かい衣服に守られて育ったのに、今は既製品の都会的な服装できゅうくつそうにカムフラージュしている。
「その服、よく似合ってるぞ。イオのフェリス・アルファのお嬢さん学生に見える。堂々としてろ」
「うん」スオミはイオが太陽系第五惑星の衛星で銀河連邦本部があることも、フェリス・アルファが銀河系随一の名門女子校であることも知らなかった。でもキジローが自分を励まそうとしていることはわかったので、青白い顔で微笑んだ。

 ターミナルに入って人ごみの間を歩くようになると、スオミの身体がますます強張った。平静を装って、この10年毎日こうして旅行しているような顔でキャリー・ケースを牽いてなめらかに自動歩道を歩いているが、緊張で指先が紫色になっている。キジローはそっとかがんで、低い声で言った。
「次に歩道が切れたら、左手の待合ロビーに入れ。ビュッフェで昼メシにしよう」
「わかった」スオミがほっとしたように答えた。
 ロビーの隅に荷物を積んで、自分達の基地にした。
「えらく暖房が効いているな。コートを脱いだ方がいいぞ」そう言いながら、自分も慣れない皮のコートとスポーツ・ジャケットを脱いで、荷物の上にかけた。ソファにどさっと座ると、うめくように言った。
「ふう。こういうまともな服は肩が凝る。あんたもくたびれただろう。イドラの織物は雲みたいに軽いからな」
「ナンブさん……」
 スオミが警戒したような声を出した。
「大丈夫。3時までは俺達はイドラから来た田舎者のままでいい。イドラの宙港管制員ともそういう世間話をして来た。おまえはエクルーの遠縁の娘で、葬式の後、しばらくサクヤの話し相手をして滞在していたが、学校が始まるのでミラ星系の衛星フローレンスに戻る。俺はサクヤに頼まれて、あんたをフローレンスまで送っていく、という筋書きだ。管制官のジョニーは”あ、じゃあ、3時の客船だな。豪勢じゃないか”と抜かした。というわけで、これが俺達のチケットだ」
 キジローが2枚のチケットを見せた。それぞれ、ちゃんと2人の名前が印字してある。
「でも俺達はその豪華客船には乗らない。チェックインした後、こっそり搭乗タラップから下りて……」
「ゲートに戻ってくる!」スオミの眼が輝いた。
「はずれのロビーで、9時発の辺境連絡船を待つ。アペンチュリン行きだ。そこにサクヤの古い友人がいるらしい。これからイドラと通信する時、彼女が窓口になってくれるから、ジンが作った魔法のシステムをしかけに行くわけだ。おしゃべりしても、アシがつかないように。でもアペンチュリンに行くのは俺達じゃない。俺達は……」
「3時の客船でミラに行ったはずだから……」
 スオミの飲み込みの早さにキジローは思わずにやりとした。
「そう。アペンチュリンに行くのも、今後、その女医さんにメイルを出すのも俺達じゃない。そいつらはアカデミア・プラトン出身のインテリ親子だ。俺は薄給の古典文学教師、お前は別れた女房と暮らしてて、久しぶりに父親に会ってむすっとしている娘。ほれ、反抗期のティーン・エイジャーのIDだ」
 パスポートは”フィオナ・マックギィルヴィ”名義になっていた。
「あなたは?」
「”ニッタ・ジロウ”だと。ウソ臭いなあ」
 キジローは2冊のパスポートを胸の内ポケットにしまった。
「というわけで、3時まではスオミのままでいいぞ。手を出して」
 キジローはスオミの手の上にひとつかみのお金を乗せた。
「この通貨はアペンチュリンでは使えない。高額紙幣は後で換金するが、細かいのは使ってしまおう。イドラの宙港で買い物したろう?」
「12ペブルスで1リーフ」
「その調子だ。荷物番してるから、何か買ってきてくれ」
「何がいい?」
「何でも。食べてみたいものをいくつか選んでトレイに乗せて、金を払えばいい」

 食べ物はどれもひどい味だったが、スオミには珍しくて楽しいらしい。全部の皿を少しずつ味見していた。新鮮な自然食で育ったので、材料が何なのか見当もつかない。
「ジローはわざわざワーム・ホールを越えてアペンチュリンまで何をしに行くの?」
 ぱさぱさしたターキー・サンドイッチを一生懸命飲み下しながら、スオミはつぶやくように聞いた。
「さあね。その女医さんが昔、お前を取り上げてくれたから、大きくなったところを見せにってとこかな」
「そんな用事でワーム・ホールを越えるかしら」
「ダメかね」
「説得力ないわよ。ジロウはその女医さんの古い友人に恋してるんだけど、プロポーズする勇気がない。反抗期の娘は、バツイチだ、薄給だ、とびびっているダメなパパのお尻を叩いて、どうやってその魅力的な女性を口説くか、共同戦線を張るために女医さんと相談に行くのよ」
 キジローはしばらくあっけに取られていたが、やがて笑い出した。
「大したもんだ。それは確かにリアリティがあるな。でも入国管理の窓口で、そのドラマティックな筋立てを全部ぶちまけなくてもいいぞ。俺たちのオフィシャルな旅行目的は”観光”だからな」
「ねえ」ぐにゃぐにゃしたフレンチ・フライをつまみながら、スオミが聞いた。
「サクヤにプロポーズした?」
「ああ」キジローはあっさり答えた。
「返事は何て?」
「返事の代りに、スオミを頼むと言われた。つまり、おまえは人質だ。アカデミーに捕まらずに、お前を見事オプシディアンまで連れ出して守り切ったらごほうびがある。協力してくれるだろう?」
「協力するわ」スオミがにっこり笑った。


 食後、2人はトランクを預けてステーションを探検した。たくさんの人。たくさんの店。たくさんのゲート、ドック。ターミナル間をつなぐスカイ・レール。何もかもが珍しい。
 スオミはスカイ・レールが気に入って2往復した。中央カウンターへ下りる長いエスカレーターも2往復した。キジローは、顔を輝かせてエスカレーターできょろきょろしているスオミを面白そうに眺めていた。
「そろそろフェリーのチェック・インの時間だ。さあて、どっちに戻ればいいんだったけな」
「こっちよ。第1ターミナルに戻らなくっちゃ。ジークフリート・スペースラインよね。スカイ・レールで3つ先」
「たいしたもんだ」
 スオミは自分の庭のようにステーションを走り回っている。到着したときには、あんなに萎縮していたくせに。戻る途中で、本のスタンドを見つけて立ち寄った。
「参考書を仕入れよう」
「何の?」
「変装の。古典教師と反抗期の娘は、旅行中どんな服装をするもんかね。適当に雑誌を選んでくれ」
 眉間にしわを寄せて、スオミが真剣にファッション雑誌を比較検討している間に、キジローは児童文学のコーナーに行って、船の中でスオミの暇つぶしになりそうな童話を2冊選んだ。
「決まったか?」
「決めた。これにするわ」
「じゃあ、この本も一緒に清算してくれ」
 雑誌と本を買うと、後はリーフ紙幣2枚といくらかの小銭しか残らなかった。
「よし、とっととチェック・インして、コーヒーでも飲もう。おまえはアイス・クリーム喰っていいぞ」
「アイス・クリーム?」
「何だ。喰ったことないのか? 子供はみんなアイス・クリームを喰うもんだ」
「小さい頃食べたかも」ダディが一緒だった頃に。
「じゃあ、ゲートのコーヒー・スタンドで喰ってみよう。さて、ゲートはどっちだ?」キジローはスオミの顔をのぞき込んだ。
 スオミは自信たっぷりににっこり笑った。「こっち」

 アペンチュリン行きの連絡船が慣性飛行に入る頃には、スオミは疲れ切っていた。シートベルトをはずして幅の広いシートに丸くなると、すうすう寝てしまった。キジローは座席の下から毛布を出して、よくくるんでやった。自分は読書灯で、エクルーの船から借りてきたサリンジャーを眺めていた。どの話もよく覚えている。
 一言一句そらんじている本は、聖書かアルバムのようなものだ。読み直して安心するために持ち歩く。初めて会ったとき、あいつはこの本を読んでいた。昨日、本を借りようとテトラのボックスをのぞいて驚いた。ざっと30冊、”ナイン・ストーリーズ”があった。いろんな版、いろんな言語で。何を考えてこの本を読んでいたんだろう。聞いたことがなかった。聞いてみればよかった。
 多分、あのときすでに、自分の運命を知っていたのだろう。すさんだ顔をした俺を、イドラまでひっぱり出してサクヤに引合わせた。自分の死後、サクヤを支えていく人間として、俺を選んでくれたのだ。刻一刻とイドラから離れながら、キジローはごく単純素朴にサクヤとの再会を信じることができた。アカデミーの問題が片付いて、通信をコード暗号化する転送システムだの、逆探知防止のマスキングだの、足跡が残らずいつもクリーンなメイルボックスだの、見た事も聞いたこともない人物設定のIDだの、何もかも要らなくなったら、そしてそれまでこの子を無事に守れたら、サクヤと一緒に暮らせる。この子も一緒に3人で暮らせるかもしれない。そして、それはきっと遠いことではない。
 乗務員が飲み物の注文を受けてくれたので、バーボンを頼んだ。とはいうものの、チューブに入ったバーボンのロックというのは、いささか味気ない。周囲の乗客は灯りを落として寝ているか、静かな声で語り合っている。ひっそりとしたざわめきの中で、キジローは安らぎと呼べるくらい落ち着いた気持ちでいる自分に驚いた。
 隣りのシートで、スオミが何かつぶやいた。のぞき込むと、眠ったまま頬を濡らしている。昼間は明るく振舞っていても、ペトリを思い出してしまうのだろう。丸めた手にしっかり、キジローのウールのシャツのすそを握っているのを見て、心の奥の方のどこかが、柔らかく温かくなった気がした。
 読書灯を消すと、手すりを倒してスオミのシートとひとつづきにした。子供の体温と湿った寝息を感じながら、キジローもぐっすり眠った。



 ゲート・ステーションで、ドックに下りる長いエスカレーターに乗りながらスオミは「直行便じゃなかったの?」と用心深くたずねた。
「直行便だが、ワームホールはさっきの船じゃ越えられない。でかすぎるし、強度も足りない。だから、ここで2、3人ずつ専用ポッドに乗って、穴の向こうまで転がしてもらうんだ。渡し船みたいなもんだよ。あっという間に銀河の向こう側に行けるぞ」
 2人は自動歩道を、ポッドスターターまで移動した。
「ボールに分乗して、ぽこぽこゲートに放り込むわけだ。俺も、いつもは自分の船でゲートに入るから、ポッドに乗るのは久しぶりだな。また待ち時間だぞ。荷物もこのボールで送るから、向こうで全部そろうのに6時間。そこからまた連絡船に乗って、アペンチュリンに着くのは、明日の朝だ」

 スターターに近づいてポッドが目に入ったところで、スオミがぴたりと足を止めた。
「……いや……!」顔が真っ白になっている。
「何だって?どうした?」
「イヤ! 私、これに乗らない!」
 きびすを返して、走り出した。
「おい! 待ってくれ!」
 追いかけたキジローが肩に手をかけた途端、その指先でスオミが消えた。
 キジローは立ち止まって、周囲を見回した。幸い、近くに人はいなかった。駆動設備やエアロックの出入り口もない。カメラで監視されそうな施設のない、ガランとした通路で助かった。多分、誰にも見られなかっただろう。
 後はスオミを見つければいい。でも、どこを?
 どこか、ここなら安心だ、とスオミが思えるような場所だ。キジローは手近なモニターで、ドックの構内図を呼び出した。どこか……安心できるところ。静かで……明るくて……緑と水の匂いがするところだ。

 カフェテリアを囲む植物の植え込みの中にスオミは座っていた。ひざを抱えて、顔をひざに埋めている。まるで、表面積が小さければ小さいほど安全だと思っているみたいに。
 キジローは緑地を横切るクリークをはさんで反対側にそっと座った。
「いいところを見つけたじゃないか。どうせ3時間は順番が回って来ない。ここでのんびりしていよう」
 スオミは顔を上げない。
「おまえ、救命ポッドでペトリに下りたんだってな」
 スオミの肩がぴくっと動いた。
「そのポッドって、あのボールと似てたか?」
 スオミは答えない。
「でもアレは、もうちっとは頑丈だぜ?それに、2人一緒に乗れる。俺も一緒に乗るぞ。ちょっとは心強いだろ?お望みなら、お話してやる。本を読むと酔うヤツもいるからな。特別サービスで歌を歌ってやってもいいぞ」
 スオミが目だけひざから上げた。
「何の歌?」
「何がいい?あんまりレパートリーはないがな。覚えているのは、婆ちゃんの教えてくれた日本語の歌ばかりだ。意味もよくわからないのに、何故か忘れられない」
「今、歌って」
「ええ?そうだな……ちょっと待て」
 キジローはしばらく考えるような顔をして、それから低い声で歌い始めた。
 スオミには言葉の意味はわからなかったが、伝えるイメージはわかった。帰りたい場所。帰れない場所。懐かしい人の待っている場所。
「……水は清きふるさと」
 今ではスオミは顔を上げて、じっとキジローを見つめていた。
「ふう。自分でも覚えてると思わなかったな」
 キジローは少し照れくさそうに笑うと、スオミはまた目をふせた。
「ごめんなさい。逃げて。怖かったの」
 キジローは腕を伸ばして、スオミの頭にふわっと手をおいた。
「いいさ。誰にでも怖いものはある。でも、今度逃げるときは俺も一緒に連れて行ってくれ。一人だと……何かと心細いだろ?」

 スオミの顔がぐしゃっとゆがんだと思うと、泣き出した。
「ダディが私をポッドに突っ込んだの。ダディの首から噴水みたいに血が出てた。肩も腕も血だらけだった。私にもダディの血がついて、ポッドも血だらけになった。ダディは私をシートに固定すると、”すぐ後から行くから”と言っておでこにキスしてくれたの」
 両手をわななく口にあてて震えている。
「ダディは外からポッドをロックして、船の外に放り出した。私はダディのポッドもついて来てると信じてた。だって、ダディは一度もウソをついたことなかったもの。見えないけど、すぐ後ろを漂っているんだって、だから怖くないって自分に言い聞かせてたの」
「どのくらい漂流してたんだ?」
「1週間」
「1週間」キジローはショックを受けた。
「ずっと飲まず食わずでか?」
「水はあった。空気も切れなかった。でも外が見えなくて、一人ぼっちで怖かった」
 キジローは腕を伸ばして、今度はスオミの肩をしっかりつかんだ。
「よくがんばった。えらかったな。自慢できるぞ」
「ヤトやミナトが助けてくれたの。ずっと話しかけてくれて、少しずつポッドをペトリまで運んでくれた。私が怖がらないように歌ってくれて……」
「ヤトが?」
「ええ。俺が歌ったことは誰にも言うなよ、と約束させて。でも、あなたも歌ってくれたんだから、話してもいいわよね」
「もちろんだ。そして約束だぞ。俺が歌ったことも誰にも内緒だ」
 スオミは笑顔を作りかけて、そのまままた泣き出した。
「怖かったの。また同じことが起きそうで。外の見えないポッドで、どこへ行くのかもわからない。さっきまでダディが横にいたのに、私は一人になって……二度とダディに会えない。一人になるのはいや」
「一人にしない。ずっと一緒だ。今度はたった90分。おやつもジュースも持ち込んでいい。もういっぺん歌ってやってもいいぞ。約束だ」
「本当? 約束?」
「約束って、歌を?」
「一人にしない、ずっと一緒って」
「約束だ。俺も閉所恐怖症だから、一人じゃポッドに乗れないんだ」
「わかった。一緒に乗ってあげる」
 涙でぐしゃぐしゃの顔でスオミが笑った。
「ありがとさん」



 手をつないでポッド・スターターに向かいながらキジローがぼそっと言った。
「なあ。俺の娘の話、誰かから聞いたことあるか?」
「キリコのこと?」
「うん。もう、死んじまったけどな。かわいい娘だった。親ひとり子ひとりだったんで、子供らしいワガママも言わずに、俺よりよっぽどしっかりと肝の据わった娘だった。あの子がさらわれたのが……5つの時だ。あんたが父親と離れ離れになったのが5歳のときだと聞いて、不思議な縁だと思った」
 スオミはだまってじいっとキジローを見上げている。
「多分、あんたが考えている以上に、この旅は俺にとって大事なんだ。失くしてしまったものは取り返せないが、別の形で今、返してもらってる気がしているんだ。だから約束してくれ。ニ度と俺をおいて消えないでくれ。逃げるなら、一緒に逃げよう。もう、あんな思いはまっぴらなんだ。とても耐えられない」
 スオミが両手を差し上げたので、キジローはひざをついた。その首に抱きついて、スオミは泣いた。
「ごめんなさい。約束する。一緒に逃げよう」
「約束だ。ずっと一緒に行こう。絶対に一人にしたりしないから。だから俺のことも一人にしないでくれ」
 スオミをぎゅっと抱きしめながら、不覚にもキジローまで目の奥が熱くなった。

 スオミは腕をゆるめておでこをキジローのおでこにくっつけると、ふいに聞いた。
「ねえ、ジロウはフィオナのお父さんなのよね」
「そうだが?」キジローはちょっと面食らった。
「じゃ、ポッドの中でまた歌を歌ってくれる、父さん?」
 キジローはにっと大きく笑った。
「ずるいな、俺ばっかり歌わせて。ポッドの中で教えてやろう。90分あったら覚えられるだろう」
「じゃあ、父さんも覚えてよ。”あんた”じゃない呼び方」
「うーん、そうだな。また名前が変わるもんな。あんたは何て呼ばれていたんだ?」
「ハミングバードとかスィートハートとか」
「そりゃ照れるな。シラフで呼べるか自信ない。ヤング・レィディってのはどうだ?」
「うーん」
「ポップシィ(お嬢ちゃん)?」
「ダメ」
「シス(お嬢さん)?」
「まあ、いいか」
「ハミングバードもそのうち練習するから。それでいいか、シス?」
「手を打つわ、父さん」
 キジローはスオミを抱き上げると、軽々と肩に乗せた。
「さあ。90分、恐怖の閉鎖空間の旅。二人で歌ってがんばろうぜ、シス」
「二人ならへっちゃらよ、父さん」
「ひとつ、あんたの知らないことがあるぞ、シス」
「なあに?」スオミは肩の上からキジローの顔をのぞき込んだ。
「このポッドは窓がないが、ワーム・ホールに入ると空が見える。どういう理屈かは、俺に聞かないでくれ。ジンなら教えてくれるかもしれん。とにかく、最初と最後の15分ガマンすれば、360°星空の中を飛んで行けるんだ。なかなか気持ち良さそうだろ?」
「そうね。それなら怖くないわ」
 キジローがからかうように言った。
「頼むから、こいつは二往復しないでくれよ?」




       






















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