白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

32.ワードローブとアクアリウム

2011年06月03日 22時14分28秒 | 神隠しの惑星
 ジンの住居ドームの横に、小さなカプセルが増設された。ペトリの魚や両生類を飼育するアクアリウムを作るためだ。水温を調節するヒーターや冷却装置がけっこう電気を食うので、小ぶりの発電用風車を3つ取り付けた。イドリアンの子供たちは水槽に入った魚を見るのも珍しければ、風車も初めてなものだから、連日カプセルに押しかけた。温室からガードナー・ロボットが3体出張して、魚の世話や子供たちへの応対を手伝っていた。


「ジーン、またトゲカジカの卵、目が生えてるよー!」
 常連のイオがジンを呼んだ。
「本当か? 朝見た時は気づかなかったのに。水温を低く抑えてるのに、どうして発生しちゃうんだろう? それも、この1番上の水槽だけ……」
「明るすぎるんじゃない?」イオが意見を言った。
「この水槽が一番ライトに近いだろ? 明るくて日が長いから、春が来たと勘違いしちゃったんじゃないか?」
 ジンは感心した。
「なるほどね。植物を育てる時は当たり前のように日照量を調整するくせに、忘れてたよ。採取した場所の冬の日射時間になるようにライトの点灯時間を調整してみる。ありがとう」
 イオはちょっと照れ臭そうに笑った。
「ついては頼みがある。アクアリウムの管理を手伝ってくれないか? 俺は手が回らないんだ。バイト料を払ってもいい」
 イオはちょっと考えた。
「金をもらっても使い途がない。代わりに空き時間にいろいろ教えてくれないか。コンピューターとかロボットとか。何でも手伝うから」

 そういうわけで、ジンはタダで優秀な助手を手に入れてしまった。イオは目端の利く、覚えの早い生徒だった。来年、ミラ星系の高校に進学するというので、それまでできるだけ仕込んでやろうと思った。


「ジーン、イリス達が帰って来たよ!」
 カプセルの外でイオが呼んだ。湖で水生昆虫と魚の卵を採取していた一団が戻ってきたのだ。
 アマデウスが操縦するヨットから下りて来たイリスを見て、ジンが仰天した。
「イリス! ずぶ濡れじゃないか! 着替えなかったのか?」
「ああ。チビ達を着替えさせるのに忙しくて忘れてた。もうあらかた乾いてしまったな」
「いいからシャワー浴びて着替えて来い。髪もちゃんと乾かせよ」
 イリスは返事もせずに、面倒くさそうにドームに引っ込んだ。

 魚の卵が入ったケースを運びながら、子供たちが心配した。
「ジン、イリスとケンカしたの?」
「夫婦ゲンカ?」
「バカ、まだ夫婦じゃないだろ?」
「じゃあ、ただのケンカだ」
 ジンは苦笑した。
「ケンカじゃないよ。心配するな」
「ケンカじゃないのに口を利かないのはもっと悪いわ」
 5歳の女の子がこまっしゃくれた事を言う。
「そうやって、愛情が磨り減っていくものなのよ」
 誰かの受け売りだろうが、今のジンには笑い飛ばせる余裕はない。
「ほら、もたもたしてるとせっかく取って来た卵が死んじまうぞ。ロボット達に採取データを渡して入れる水槽を決めてくれ」
 イオが子供たちをカプセルに追い立てた。
「ガキの言う事をいちいち間に受けるなよ、いい大人が」
 自分もまだガキと呼ばれる年頃のくせに、大人びた口を利く。
「いや、すまん。助かった」
「でもイリスのことはちゃんと考えた方がいいね。ねらってる男、多いんだぜ」
「え?」
 固まってるジンを残して、イオは子供たちの作業を手伝いに行った。
「卵を移してバケツを洗ったヤツから、ロボットにおやつをもらってくれ。今日はリオの母ちゃんからクッキーの差し入れだ」
 わあい、と声を挙げて子供たちがテーブルに群がった。
「手を洗ってくださいね」
 ゲオルグが小言を言う。
「温かいお茶もありますよ。ペヨの実の砂糖漬けも」
 アマデウスがもみくちゃにされながら、給仕している。

 わいわいとおやつを食べている子供たちを、ジンは感慨深く見守った。1年前には、すさんだ街の裏通りで機械だけを相手に暮らしていた。それが今は同居人がいて、友人がいて、近所の人すべてが知り合いという賑やかな生活を送っている。
 この星に来て良かった。ただ、懸案事項は同居人だった。いつまでも同居人のまま、というわけにいかないらしい。でもそれはジンの不得意分野だった。
 自分はイリスをどうしたいのか。イリスにどうして欲しいのか。”イリスが欲しい”と宣言したものの、どうしていいかわからない。顔を合わせる度に途方にくれてしまう有様だ。近頃はもう何だか少し面倒臭くなってきた。イリスは俺に何を期待しているのだろう。甘いプロポーズの言葉? 花束? ダイヤの指輪か?
 イリスは何も言わない。何事もなかったかのようにすまして黙々と食卓で、食事を口に運んでいる。でも待っているのがわかる。
 ああっ、くそっ。いっそ”こうしてくれ”とはっきり言ってくれれないいのに。
 イリスと2人でいて緊張しなければならないのもつらかった。以前はゆったりくつろいでいられたのに。


「ドクター。ミズ・サクヤからメッセージです」アマデウスが呼びに来た。
「”頼まれていた古着を今から持って行っていいか”とのことです。何と返事しますか?」
「ありがたい。待ってるって伝えてくれ」
 子供たちもイオも帰ってしまったドームで、イリスと2人きりになるのは気が重かった。来客は歓迎だ。


 20分でサクヤがやって来た。アマデウスが出迎えて荷物持ちをした。
「イリスの部屋に運んでくれる?」
「かしこまりました」
 ジンもアクアリウムから出て来た。
「助かるよ。わざわざすまん」
「気にしないで。私が気をつけてあげなきゃいけなかったのに。私が縫った2組とメドゥーラの上着しか服がなかったのよね」
「俺がバザールでいくつか見繕ってみたんだが、女の服なんて良くわからないし、ネットのカタログ見せてもぴんと来ないみたいなんで……」
 サクヤがにこっと笑った。
「私の服じゃサイズが合わないかもしれないけど、少なくとも実物だからぴんとくるでしょう」
「しかしすごいな。これは全部古着か?」
 ロボット達が大小さまざまな箱を次々運び込んでいる。サクヤはため息をついた。
「しかもほとんどが新品。袖も通してないのがたくさん」
「だってあんた……言っちゃ悪いが、いつも同じような服ばかり着てるだろう?」
 サクヤがまたため息をついた。
「ジンにまでそう言われるなんて。これ全部エクルーのお見立てなのよ。たまには違う服を着ろっていろいろ買ってきてくれるんだけど、やっぱり着られないの。バザールに出すのもエクルーに悪いし……」
「ふうーん」


 イリスは服に埋もれて目を丸くしている。
「どうしてこんなにたくさん服が必要なんだ?」
「私もそう思うけど、いろんな服を着るのは楽しいものらしいわよ?」
 イリスは箱を2、3コ開けて、疑わしそうにじろじろ服を見ていた。
「楽しいのなら、スオミにも着せてやろう」
「そうね。いいかも。まだ元気がないものね。フェンとメルも呼ぼうか?」


 ジンはサン・ルームに閉め出されて、リビングでファッション・ショーが始まった。きゃっきゃっという笑い声。キャーっという歓声。
 居たたまれずうろうろしていると、エクルーがまた一山、箱を運んできた。
「服のお替り、お届けにあがりましたー」
「すごい量だな。これも全部、おまえが買ったのか?」
「だってサクヤは自分で服なんか買わないからな。でも結局、俺が見立てたなかで1番地味で装飾のないのを着てる」
 エクルーはため息をついた。

 そこへ、イリスの部屋のドアがばたんと開いて、サクヤが出て来た。
「エクルー、ありがとう。持って来てくれたの?」
 その姿を見て、ジンもエクルーも口をぽかんと開けた。白地のサマー・ドレス。大輪のオレンジがかった赤い花が全身に散っていて、肩とスカートの脇腹のところに深紅の大きなシルク・フラワーが揺れている。背中が広く開いたデザインだった。ジンは、サクヤがこんなに華やかな服をきているところを初めて見た。
「似合ってるよ。もったいない、何でこういうヤツ、普段着ないんだ?」
「このドレスで苗床の土をこねるの?」
「なるほど……着て行くとこないよな。しかしもったいない。そのドレス姿、キジローにも見せてやったらどうだ? ここに呼ぼうか?」
 とたんにサクヤの顔が真っ赤になった。
「必要ないわ、もう脱ぐんだから。今日は私は女のコ達の着付け係りなの」
 そう言って部屋に引っ込んでしまった。代わりにスオミやフェンが出てきて、お替りの服を部屋に運び込んだ。
「2人とも似合ってるよ。スオミは紫の入った青系の服を選ぶといい。目の色に合うから。フェンは黄色やオレンジが似合う。ほら、このリボンはもっと上でしばってごらん。ちょっとドレープを寄せて」

 エクルーは、ファッション・アドヴァイザーとして居間に残ることになってしまった。サクヤはいつものイドリアンのワンピースに戻って、女のコたちのすそをつまんだり、肩を上げたりしていた。スオミと、フェンとメルは、代わる代わる服を着ては、エクルーに見せてアドバイスをもらってサクヤに直してもらった。
「この服、みんなもらってくれない? サクヤは着る予定がないし、どうせ全部、春祭りのバザーに出す予定なんだ」
 そうエクルーが言うと、女の子3人は大喜びした。
「本当に? もらっていいの?」
「サクヤ、もう着ないの?」
「でも似合ってたのに」
 サクヤは微笑んだ。
「ありがとう。でももう着ないの。必要な服はちゃんと自分の部屋に取ってあるから心配しないで。着てもらった方が服も幸せだわ」
 3人は歓声を上げて、服を選びに部屋に戻った。


「ごめんね」サクヤがぽつんと言った。
 エクルーはからっと笑った。
「いいんだ。もともとサクヤは裁縫したり、編み物したりして、自分で作る方が好きなんだもんな。サクヤに既製服を買うのは単なる俺の趣味。さっきのドレス姿を見ただけで、十分満足したよ。後は服に幸せになってもらおう」
「ごめんね」サクヤが繰り返した。
「だから、いいって。しかもキジローは見てないんだもんな。自慢してやる」


 サクヤがイリスの部屋に引き揚げた後、ジンが聞いてみた。
「しかし、何だっておまえ、サクヤが着ないってわかってて、こんなにたくさん服を買ってくるんだ?」
 エクルーは口にちょっとゆがんだ笑いを浮かべた。 
「服を見た時、サクヤが何とも言えない顔をするんだよね。装飾の多い華やかな服ほど。ハデな服を着ることへの罪悪感と俺に悪いと思う気持ちの板ばさみでさ。あの顔が見たくて、ついまた買って来ちゃうんだよ」
 ジンはしばらく黙っていたが、やがてぼそっと言った。
「おまえ、それって、イジメてるだけじゃないのか?」
「そうだよ?」
 エクルーがさらっと答えたので、ジンはため息をついた。
「サクヤもかわいそうに。こんなヤツに玩ばれて」
「これも愛情のうち」
「そうなのか?」
 ジンはよくわからない、という顔をした。
「おまえの愛情ってひねくれてるよな」
「そうかな。シンプルだと思うけど」
「そんなんじゃ、長生きできないぜ」
 言ってしまってから気がついて、ジンは吹き出した。エクルーもぷっと吹き出して、2人でひとしきり笑った。
「もう十分長生きした。もう十分サクヤをイジメた。思い残すことは何もない」
「これからはイジメないで、もっと素直にかわいがってやればいいじゃないか」
 エクルーは口をゆがめて笑った。
「そんなの性に合わない」
 ジンは後々、この時のゆがんだ微笑みを思い出すことになった。


 肝心のイリスは一度も部屋から出て来ない。
「イリスは好きな服が見つからないのか?」
 エクルーが聞いた。
「何着か着てみているけど、ぴんとこないみたい。窮屈だ、とか動きにくい、とかぶつぶつ言っているの」
「イリスは、服に関しては誰かさんと同じ感覚みたいだな」
 エクルーは空を仰いでため息をついた。

 部屋の方できゃああっと歓声が上がった。
「すごい! きれい」
「一番似合ってる!」
 どやどやと出て来た女のコ達の真ん中にイリスがいた。両腕を引っ張られて、ムリヤリ連れて来られたようだ。
 白いドレスは、光沢のある白い糸で意匠を刺した刺繍と、水晶の小さな小片で飾られている。ヘッド・ドレスにも豪奢な刺繍が施され、そこから顔の左右に宝珠と組みひもの長い飾りが垂れて揺れている。
「メドゥーラが貸してくれた春の乙女の衣装なの」
「フェンとメルとイリスが候補なんですって。きれいねえ」スオミがうっとりと衣装に触った。
 フェンはジンの方を向いて、勝ち誇るように言った。
「どう? 花嫁さんみたいだと思わない?」

 ジンは言葉が出てこなかった。
 純白の衣装に包まれて、イリスはまばゆいばかりに輝いて見えた。きれいな子なのは知っていた。でも、こんなに美しい女性だったなんて。
 ずっとやせこけた不憫な子供だから、と自分をだましてきたのだ。何てこった。もう俺を阻むものが無くなってしまったじゃないか。

 ジンは口を開けたり閉めたりしていたが、言葉が出て来ない。でも目はずっとイリスを見つめていた。イリスも大きく目を見張って、じっとジンを見つめている。口をきゅっと結んで、両手のこぶしを胸に握りしめている。

 やがてイリスはふっと目を伏せると、部屋に引っ込んでしまった。
 一同、魔法にかかったように言葉を失ってたたずんでいたが、ドームを遠ざかってゆくボートの音で我に返った。

「イリス?」
 部屋には衣装が脱ぎ捨てられていた。アマデウスがいない。
 アマデウスを呼び出すと、モニターにいつものおたまじゃくしのような顔で、緊張感をそぐ声で応答した。
「はい、ただいまメドゥーラさまの祠に向かっております」
「イリスが一緒なのか?」
「ええ。そうです」
「イリスを出してくれ!」
 ジンが言うと、ロボットがやや首をかしげた。首がないくせに器用なヤツ。
「ええと。イヤだ、と言われました。ちょっと待って……はい、なるほど。以前よりメドゥーラ様から打診されていた春祭りの”春の乙女”になるという件を引き受けることになさったそうです。そうすると春祭りまで厳しい潔斎を強いられて、祠で修行を重ねるので、ドクターとも会うことがかなわないそうです」
「そんなバカな! おい!」
「以上です。失礼します」
 通信が切れてしまった。

 みんな、じーっとジンを見つめる。
「何だ。俺のせいか? 俺が悪いのか?」
 フェンがため息をついた。
「どうして、きれいだ、の一言も言えないの?」
「せめて似合ってる、とかね」メルが付け加えた。
 スオミがうつむいた。「……イリス……かわいそう」
「サクヤのドレスはほめたくせに、イリスには一言もなし、か」
 エクルーまでジンを裏切った。
「お前だってサクヤに何も言わなかったじゃないか。キジローだってここに連れて来たら、やっぱり何も言わないと思うぞ。言えるもんか」
 ジンの必死の答弁も、みんなに冷たく無視された。フェンはやや大げさに肩をすくめてため息をついた。
「ジン、わかってる? イリスが春の乙女を引き受けたってことはね、ジンは有力候補からはずされたってことなの。イリスと2人で苗床を回ってるってだけで、グレンはかなりやっかまれたのよ? もう今日からこの辺の集落中から候補者が列を成すと思うわ」
 ジンは話がつかめなかった。
「待て。何のことかわからん。何の候補だって?」
「イリスのおむこさん候補に決まってるじゃない!」
 あきれたようなフェンの声に、ジンは頭がガンガンした。
「メドゥーラのとこ、行って来る!」
 そう言って、ヨットで飛び去った。


「さて」とエクルーが手をぱん、と打ち合わせた。
「ドラマはご両人に任せて、はずされた人間は衣装を選ぼう。どれにする? みんな5、6着ずつ山分けだ。サクヤ、どうせ、お祭り騒ぎだ。君も手放す前にもうちょっと着てみなよ。どうしても着てみて欲しいドレスがあって……」
「どれ? どれ?」
 エクルーがブルーグレーのシルクのドレスを広げた。不規則な花びらの形に裁断した布が何重にも縫い付けてあって、スカート全体がひとつの花のようだ。
「わあー、すごーい。きれーい。ねえ、着てみて」
「私も着てみたい!」
「順番に着てみたらいいよ」
 女のコ達の援護射撃もあって、主人のいないジンのドームで華やかなカーニバルが続いた。

 フェンを迎えに来たグレンが、メルのドレス姿を見て固まる、というハプニングもあったが、概ね楽しく過ごした。

 それでも結局、最後はフェンのこの言葉でしめくくられた。
「本当に男ってだめねえ」


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