白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

26.羽衣と水神

2009年10月25日 09時59分11秒 | 神隠しの惑星
 キジローは3時間ほどで起き出して、またサクヤの心配をし始めた。
 最初サクヤは『心配するな』と繰り返していたが、やがてキジローは無くした家族の代りにこんな風に誰かのケアをしたかったのだと気づいた。
 キジローはサクヤを必要としていたのだ。サクヤがキジローを必要としていたように。この人の手を取って良かった。

「姫さん、寒くないか?」キジローが毛布を持ってきた。
「大丈夫よ。これ以上くるまれたら、チョコレートみたいに融けちゃうわ」
サクヤが笑った。
「まだ顔が白い」キジローが手を取った。
「手も冷たい」両手で包んで温めようとする。
 サクヤは温室の陽射しの中で微笑んだ。
「大丈夫。何度も説明したでしょう? あんなこと、しょっちゅうなのよ。ちょっと疲れただけ」
 キジローがうなだれた。「すまん」

 あの日、普段はおくびにも出さない女の顔でまっすぐにこっちを見つめ返してきた。そのくせ、自分からは絶対に触ってこないし、上に乗せればどうすればいいのか途方にくれるらしい。聖母のように包み込んでくると思えば、赤ん坊のように安心しきって腕の中で眠る。そのギャップがかわいくて幻惑されて、つい深追いしすぎた。

「だからキジローのせいじゃないの。それにすごく幸せだったからいいの。このまま死んじゃってもいい、と思うくらい」
「そんなこと言わないでくれ!」キジローが遮った。
「キジロー?」
「冗談でも言うな、そんなこと!」
 キジローはベンチから立ち上がって、サクヤに背を向けた。
「ユリエさんのことなの?」
 答えずに肩を震わせている。
「キジロー、寒いわ。側に来て」
 黙ってベンチに戻るとサクヤを抱き上げてひざに乗せ、毛布ごと自分の身体で包んだ。
「同じことをユリエが言ったんだ」
 キジローはサクヤの頭に鼻をすりつけてつぶやいた。
「キリコを生んだ時に。難産で、かなり母体が危なかったと医者に言われた。”でも赤ちゃんが元気で、信じられないぐらい幸せだから死んでもいい”と言ったんだ。その次の日、死んだ」
 サクヤは黙ったまま、キジローの身体の温かさを感じていた。
「あんなことは2度とゴメンだ、と思っていたはずなのに。またバカなことをやらかしてしまった」
「……あなた、外に出さなかった。一度も」
「ああ。バカだ。あんたが昏睡した時、どれだけ後悔したかしれない」
「そのことが関係あるとは思わないけど……でも、なぜなの」
「なぜ……なぜだろう。頭に血がのぼってたわけじゃない。ちゃんとわかっててやったんだ。天女の羽衣を隠したんだ」
「天女の羽衣?」
「あんたは自分の命に執着してないように見えた。すぐにも消えて、空に溶けそうだった。腹に赤ン坊がいるかもしれない、と思ったら簡単に死ねないだろう?」
「ずいぶん原始的な解決法ね」
「そうだな。でも結局、俺は単にあんたに俺の赤ン坊を生んで欲しかっただけかもしれない」
 サクヤはうつむいて、水盤から木々に反射する光のきらめきを見ていた。

「キジロー。どうして私のことを”姫さん”と呼ぶの?」
「ああ、あんたの名前、姫神の名前だろう。木花咲耶姫。サクラの女神さまだ」
「どうしてそんなこと知ってるの。知っている人に初めて会ったわ」
「バアちゃんがそういう神話の話が好きでな。まあ、神社の神主だから仕方ないが」
「そうだったの」
「美人のサクヤ姫とブスのイワナガ姫の2人を差し出されて、ホノニニギはサクヤ姫だけ娶ってイワナガ姫を返した。返さなかったら長寿繁栄が約束されたのに、という話だ。バアちゃんは、それで俺に”女を外見で選ぶな”という訓戒を垂れたかったんだろうが、生意気なガキだった俺は”長生きなんかできなくてもいい。好きな女と充実した時間を過ごせれば、それが例え一晩限りでもいい”と言ったんだ。バアさんは珍しく白い顔をして、強張った声で言った。『お前。それは言上げだよ。お前は今、自分で自分の運命をしばったんだよ』俺はよく考える。ユリエがたった21で死んだのは、俺があの時、コノハナノサクヤヒメを選んだせいだろうかって」


 サクヤはゆらり、と立ち上がるとマキの樹の植え込みの間に入っていった。
「おい。どうした、姫さん!」
 キジローは追って低木の茂みに分け入ったが、大きな身体が災いして追いつけない。
「待てよ。どうした。姫さん、待ってくれ」枝が顔を打つ。
 やっとで追いついて腕を掴んだが、サクヤは顔をそむけてキジローを見ようとしない。
「どうした。俺、またマズイことしたか?」
「何でもない」
「だって泣いてるじゃないか」
「何でもない」
「姫さん、こっちを見ろよ」
 キジローはサクヤの腕をひっぱって抱き寄せると、覆いかぶさるようにサクヤの身体をすっぽり包んだ。
「一人で泣くな。話してみろ。何か思い出したか? 予兆か? それとも俺がまたドジったか?」
 サクヤは濡れた瞳もわななく口も、キジローの胸に隠した。
「あなたのせいじゃない。ただ、サクヤ姫って死神みたいだと思ったのよ。男を早死にさせる、呪いの女神だわ」
「そりゃ違うよ、姫さん。徒に長生きするのが幸せとは限らん。それに早死にが不幸とも限らん。あんたは時々言ってたな。エクルーはあんたにつき合って宇宙を彷徨ったために、まっとうな暮らしができなかったって。でも、俺に言わせればうらやましいぜ。あんたと2人でずっと旅して来たなんて」
「そう?」
「俺は少なくとも、ボウズを可哀想とは思わないね。第一、あいつ自身が俺に自慢するんだぜ?グチに見せかけたノロケをな」
「そう?」
「それに俺は、この頃よく考える。ホノニニギがもう少し賢かったら、長寿と繁栄、両方手に入れられたはずだ。サクヤ姫とイワナガ姫ってのは、一人の女の違う面なんじゃないかと思う。サクヤ姫の表面の美しさとか優しさだけで満足せずに、彼女が内面に抱えた葛藤とか不条理な部分も理解して受け容れてやれたら、一緒に長く人生を送れたんじゃないかって」

 キジローの目がまっすぐにサクヤをのぞき込んだ。
「別にあんたを独り占めできなくていい。ボウズと2人であんたを支えていけたらそれでいい。とにかくひとりで泣くな。あんたはすまして笑ってるとこより、泣きベソかいたり、ぐるぐる悩んでるとこの方がかわいいんだから、迷惑だなんて思うな」
 両腕を背中に回して、ぎゅうっと抱きしめると低い声で言った。
「3000年だろうと3日だろうと構うもんか。あんたをこうして抱ける立場になれるなら」
「ありがとう……でも……」
「言うな」とキジローが静かに遮った。
「あんたに押し付けたくない。あんたから何か答えをもらおうと思ってない。ただ、俺の気持ちを言っときたかっただけだ。何もかも片付くまで、このまま3人でやっていこう」
 低い静かな声で、なだめるようにあやすようにゆっくり言った。
「俺が大した戦力じゃないのはわかってる。キリコに会わせるためだけに、俺を入れてくれたのもわかってる。だが、まだ俺を切り捨てないでくれ。見届けたいんだ」
「見届ける……何を?」
「この星と、あんたと、ボウズを」



 キジローの腕の中で、サクヤがくるっと岩山の方に顔を向けた。
「ゲートが開いた。ノヅチが呼んでる」
「ああ、本当だ。山が青い」
「見えるの? 昼間なのに」
「だって山全体が青いじゃないか」
 サクヤがじっとキジローを見上げた。
「不思議な人。あなたはもしかしたら、思ったより私に近い人間なのかもしれない」
「どういう意味だ?」
「ううん。忘れて」
 ゲオルグの方を振り返って伝言を残した。
「呼ばれたので、隣に行ってくるわ。2、3日で戻ると思う。エクルーに伝えてくれる?」
「わかりました。ミズ・サクヤ。お気をつけて」
 サクヤは温室からまっすぐ、岩山に続くガレ場を登り始めた。キジローが慌てて後を追った。
「姫さん! せめてブーツとズボンに着替えろ。第一、数日向こうで過ごすのに、何の装備も持たずに行くつもりか?」
「こちらより豊かな星よ。スオミのうちに行くんだもの。何の用意も要らないわ」
 イドリアンの砂漠仕様のサンダルで、身軽に足場の悪い急斜面を上がって行く。ついてゆくキジローの方が息が上がった。
 祠に入ると、泉が明るく青く輝いていた。水面の向こうでノヅチとヤマワロが待っている。
「水の移動のことでちょっと詰めたかったんだが……おや、キジロー、君もいたのか。一緒にくるか?」
「いや、俺はそっち方面はたいして役に立たないから遠慮するよ。また船を飛ばして情報拾ってくる」
 サクヤが泉の縁に立って振り返ると、キジローが心配そうな顔で見守っていた。サクヤは思わず笑ってキジローの方に戻ると、ほおに両手をあててキスをした。
「あなた、何だか捨てられた仔犬みたいな顔してる」
「実際、そんな気分だ。あんたもボウズもいないドームにひとりなんて初めてだ。2人とも……帰ってくるよな?」
「本当、不思議な人。大丈夫。ちゃんと帰ってくるわ。あなたも気をつけて。今日はうちでゆっくり休んでね。空ではちゃんとシールド閉めて。いつフレアが飛ぶかわからないんだから。約束して?」
 キジローは黙って、ぎゅっとサクヤを抱きしめた。
「行って来ます」
 サクヤはするりと泉に消えた。

 湖面に出たところでノヅチが言った。
「どうやら、人間関係が多少変化したようだな」
 サクヤはくっくっくと笑った。
「あなた方でもそんなことに興味があるの」
「いや、野暮なことはしたくないが、邪魔もしたくないのでね。大枠を把握しておきたいだけだ」
「大枠……」サクヤがぼんやりとつぶやいた。
「いや、大体わかった。別に説明を付け加えなくていい」
「ノヅチにはわかったの。私は自分でもよくわからないのに」
「考えすぎるな。あんたの悪いクセだ」とカリコボが言った。
「まあ、キジローみたいに直感だけで動くのもどうかと思うが。エクルーは反射神経で動いているし」
「3人でちょうどいいぐらいだが、ややサクヤの荷が重いかもしれんな」とノヅチがつけ加えた。
「あんたにも鋭い直感があるはずなのに、考えすぎて捉え損なっているのかもしれんぞ」とカリコボが言う。
「ここにいる間は、ちょっと理詰めで考えるのを休め。のんびりいい空気を吸って、何がしたかったか思い出してみろ」
 サクヤがけげんな顔をした。
「水の移動について打ち合わせじゃないの?」
「それはこの間決めた通りでいい。何も変更はない。あんたが倒れたというから呼んだんだ。何だか混乱しているようだし。ちょっとあいつらと距離を置いて、リラックスしろ」
「あいつら?」
「悪ガキ2人だ」
 サクヤはくっくっくと笑い始めて、最後には涙ぐんで両手で口を覆った。
「どうして私の周りの男性陣は、こんなに私に対して過保護なの?」
「そりゃあ、あんたが危なっかしいからだ。自覚がないから、なお始末が悪い」ヤトがぬっと顔を出してつけ加えた。
「ミナトが呼んでいるぞ」
「どこにいるの?」
「案内する。俺に手をかけろ」

 森の中の青い瞳のように輝く丸い湖に出た。
「ここは……どの辺りなの?」
「北半球だ。あんたが出てきた滝つぼから120°ぐらい上になる。こっちは今、夏だ」
「北半球にもサンプル採りに何度も来たけど……ここは初めてだわ」
「ミナトの隠れ家だ。スオミも知らない」
 ミナトが静かに湖面を泳いで2人の方に来た。
「やあ、サクヤ。よく来たね」
 ヤトはそっとサクヤを湖岸に下ろして言った。
「俺は南に帰る。俺たちが2人ともいないとスオミが騒ぐ」決してスオミが騒いだり、わがままを言ったりしないことを知っているくせに、ヤトはよくこういう言い方をする。本当はスオミにもっと年相応にのびのび振舞って欲しいのだ。ヤトがすっと水面で消えた後、サクヤはやや身構えてミナトに聞いた。
「話って何? スオミには内緒の話なの?」
「そう。あの子はこの3日間、朝から晩まで薬草採りに走り回っている。君が目覚めるのがあと一日遅かったら、あの子の方が倒れたんじゃないかと心配したほどだ。後で、口当たりの悪いものを色々出されるだろうが、ガマンして飲んでやってくれ。効き目は保証する」

 サクヤは黙ってミナトを見上げていた。こんな話のためにわざわざ星の裏側に呼び出すわけない。
「スオミにもキジローにも……エクルーにも内緒の話なのね?」
「そうだ」
「それで何なの?」
「……首が疲れるだろう。私の頭に乗って」
 ミナトが湖岸に首を伸ばした。サクヤがよじ登ってミナトの額の2本の触角の間に座ると、静かに湖面を泳ぎ始めた。
「もう君のことだから……夢の端々から気づいていると思うが・・・時間が迫っていてね。多分、今日、明日にもクリアな予兆が訪れるだろう。その時、君は一人の方がいいと思って、ここに呼んだ。もう隠しておけない。心の準備をして欲しい」

 梢を映す青い湖面。飛び交うトンボとイワツバメ。
 こんなに穏やかで美しい風景の中で、なぜこんな宣告を受けなければならないのだろう。気づかないようにしていた。気づきたくなかった。私が鮮明な予兆を受ければ、あの子も一緒にその夢を見るからだ。知らせたくなかった……エクルーに。

 ミナトはサクヤのパニックは治まるまで、静かに水面を泳ぎ続けた。疲れ切って声も出なくなる頃、サクヤはようやく涙でひりひりする目で、ミナトを見下ろした。
「こういう時は、つくづく我々のサイズの違いがうらめしいよ」
「サイズの違い?」
「私の前肢で、君の肩を抱いてやることもできない」
 サクヤはようやく少し笑った。
「ありがとう。心配してくれて」
「大丈夫か? スオミは君の夢までは読まないと思うが、動揺してボルテージが上がれば、接触しなくても君の思考が伝わってしまう」
「スオミにはいつ知らせるの?」
「知らせる必要ないだろう。本人も知らない運命を、12歳の少女に預けるのは酷だ」
「そうね。酷だわ」
 3000年生きた我々にだって酷なのに。

 ミナトはサクヤを乗せたまま、首を伸ばして顔を湖岸の木の梢に近づけた。
「薄紫色の実があるだろう。つる性の」
「ええ」
「丸く熟したのを5つばかりもいで口に入れてくれないか」
「皮はむく?」
「いや。ヘタさえ取ってくれればいい。1コずつ口に入れてくれ」
 サクヤが口に入れると、「うん。甘い」と満足そうに飲み下した。
「最後のひとつは君のだ。ノドが乾いただろう」
 ミナトのさりげないやさしさに、また眼の奥が熱くなった。
「ありがとう。すごく甘いのね。おいしい」
「さあ、スオミが心配する前に帰ろう」

 ミナトが常宿の滝が落ちる湖に戻ったとき、サクヤはミナトの頭の上でぐっすり眠っていた。カリコボがのぞき込んで「どうしたんだ?」と聞いた。
「アヴァロンの実を食べさせた。私も4つお相伴したから……」
「おい!」
「久しぶりに朝までぐっすり……」
 言い終わらないうちに、ミナトは額の上にサクヤを乗せたまま、長い首を自分の胴体に巻きつけて寝息を立て始めた。
「まあ、眠るのが一番の薬だな」
 ヤマワロがため息をついた。




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