< 孔子伝より 孔子と弟子:右から子貢、孔子、子路、顔回 >
BS日テレの歴史ドラマ「恕の人―孔子伝」全35話を見終え、孔子像の間違いに気がつきました。
孔子の生き方に深い感銘を受けましたので、お伝えします。
私が抱いていた孔子とは東アジアに多大な影響を残した人物ではあるが、懐古趣味で道徳論(処世術)を振り回す、世渡り下手な理想家だと思っていました。
彼は生涯、自らの力による社会改革を望み、幾度政争に負けても挑み続けた。
己を採用してくれる為政者を求めて危難に幾度もあいながら諸国を弟子と共に放浪する。
但し、会えても実現の目標と手段は一切妥協しない、政治状況(権力闘争)を考慮しない。
結局、採用されることはない。恐るべき融通のなさ、片意地さである。
必死で生きた73才の生涯は何ら理想を実現出来なかったように思える。
< 孔子の授業風景 >
だがドラマで描かれていた孔子と弟子の関わりには異様な輝きがあった。
論語に頻出する高弟の顔回、子路、子貢などが孔子を師と仰ぎ、敬い慕う姿に、思想家と言うより教育者の姿を見た。
弟子には百姓、浮浪者、町人などが多くいたが、彼らは孔子の薫陶を受け、各王家や豪族に仕官し活躍し始める。
やがて孫弟子あたりから著名な改革政治家や思想家が誕生し、儒教は400年後に漢の国教となる。
孔子の偉大さとは・・
孔子の生きた時代は春秋戦国時代(BC770~BC221)のちょうど真ん中、下克上がまさに深刻の度を増していた。
2百ほどに分裂した国家が滅ぼされ16ヵ国になり、遙か先に秦による統一が待っている、まさに血みどろの時代であった。
鉄器と貨幣が普及し始め、農耕・交易・都市は発展し、争乱を繰り返す国は人材を求めだした。
< 軍列 >
この最初に活躍したのが孔子でした。
孔子はさらに500年前の古い体制(周)への復活を望んだように見えるが、その思想には新規性と革新性があった。
A 当時為政者が望んだ軍備や法・租税強化により富国強兵ではなく、徳による治世を訴える。
B 神や祈祷、穢れなどを否定し、出自や民族を問わず、能力による人材登用、教育を重視した。
C 万人が持つべき「仁」(自己抑制と思いやり)こそが平和社会を実現する根本だとした。
< 孔子の心 >
孔子の出自身分は低かったが、社会改革の方法を伝承や歴史書から見出そうとした。
ほぼ同時代のソクラテスの「無知の知」や、釈迦の「戒律と悟りによる煩悩滅却」、旧訳の「民族の掟と神への絶対信仰」とは異なる道を選んだ。
国家体制を否定せず、常に現実的で因習に捕らわれず、庶民に理解出来る言葉で語った。
理論の根拠を、神話や哲学的なものによらず周公旦(周の宰相)の善政と歴史に求め。
孔子は礼楽や葬祭などの儀礼にこだわり過ぎたきらいはあるが、徹底した反逆や反抗に走らず、中庸の精神、待ちの精神で事にあたった。
今から見れば、下克上の乱世にあって、仁(道徳)と礼のみを武器に平和を築こうとした行為はドンキホーテよりも滑稽に見える。
しかし、そのことが2500年間の東アジアの国家体制や庶民を秩序ある暮らしへと導いたのです。
皆さんもこのすばらしいドラマを楽しまれることお奨めします。DVDかもしれないが。