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スペインとポルトガルを巡る旅 37: 天才画家ゴヤ 2

2015年03月08日 | 連載完 スペインとポルトガルを巡る旅

< 1. ゴヤ自画像、1815年 >

今回、ゴヤの憤怒とやすらぎを見て、彼の紹介を終わります。


< 2. 作品「1808年5月3日」1814年、プラド蔵 >

この絵は、ナポレオンの侵攻に蜂起した民衆の処刑を描いています。
作品「1808年5月2日」プラド蔵も含め、2枚の戦争画は革命的でした。
従来の戦争画は絵の中心に偉大な将軍が描かれているものですが、これらは共に民衆が描かれています。
そこには民衆や修道士の怒りと無念、銃殺兵の無表情が対比して描かれ、迫るものがあります。


< 3. やがて「黒い絵」へ >
L:「来るべきものへの悲しき予感」版画集「戦争の惨禍」より、1810―20年。
M:「彼らはここまでむしり取る」同上。
N:「サン・イシードロの巡礼」1820―23年、プラド蔵。

ナポレオンの侵攻で、ゴヤは戦争の惨状を目撃し、版画集「戦争の惨禍」を製作します。
彼は、惨状を躊躇せず描きました。
残念ながら、この版画集は生前には出版されず、前述の「気まぐれ」も出版3日後に発売を中止しています。
時代は、まだ彼の批判精神を受け入れなかったのです。
絵Nは、彼の別荘「聾者の家」の壁に描かれた一連の「黒い絵」14枚の一枚です。
この絵と前回紹介した絵Cを比べると、彼の心の変化をよく見てとれます。
この一連の絵には黒を基調にした非常に陰鬱な絵が多く、「我が子を食らうサトゥルヌス」が有名です。


< 4.「ボルドーのミルク売り娘」1827年、プラド蔵 >

この絵は、フランスでの最晩年の作品です。
暗い色調にあっても、若々しい女性のみずみずしさが際だっている。
ゴヤは「黒い絵」から抜け出し、心の平安を取り戻したようです。
この技法は後の印象派の点描画法を先取りしている。



< 5. その他の作品 >
P: 宗教画 “la triple generación”1769年。サラゴサ時代の作品?
Q: 肖像画、1805年。政治家の妻。


最後に
ゴヤは、荒野アラゴンの大地に生まれた田舎者で、野心に燃える青年だったらしい。
しかし、スペイン画家の最高位に昇り詰める頃から、彼は名声よりも国民や人間に向き合うことになる。

彼は多くの宗教画と肖像画を描く職人を脱して、民衆に訴える画家をいち早く目指した。
彼の絵は伝統に囚われず心理描写が重視され、これも先駆的でした。
最後には印象派の点描画法も先取りした。

スペインの画家エル・グレコやゴヤには不思議な共通点がある。
派閥に属さず、独り新たな境地を開き、名誉を得ても不利を覚悟で信念を貫くところがある。
型破りな建築家ガウディーや画家ピカソにも似ているところがある。

スペインの芸術はピレネー山脈によってヨーロッパから隔てられ、イスラムの影響を受けた荒野と地中海沿岸が作ったのだろうか。


参考資料
「巨匠たちのスペイン」神吉敬三著
「ゴヤ」エンリケ・ハリス著
「スペインゴヤの旅」中丸明著
「西洋美術史」高階秀爾監修
事典「世界大百科事典」「ウィキペディア」他

画像
各国の「ウィキペディア」、ブログ「のぶなが」、「長崎県美術館」から主に借用。





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