夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

「山本太郎」現象について

2012年02月05日 | 教育・文化

 

山本太郎」現象について

池田信夫氏が自身のブログの中で、今になって反原発に生き甲斐を見出すようになっている俳優の山本太郎さんについて、次ぎのようにまとめている。

トリックスターとしての山本太郎
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51771856.html


>>引用はじめ、

「結果を考えないできれいごとを主張する「平和ボケ」は、反原発運動に受け継がれている。山本太郎は、こうした日本の伝統を象徴するトリックスターである。」

<<引用終わり。

確かにそうした観点から「山本太郎現象」を分析できるかもしれないが、私の視点はもう少し異なっている。池田信夫氏とは異なって、私は山本太郎氏については、「戦後民主主義」体制の申し子、というべきかある種の「犠牲者」であると考えている。彼もまた国家と民族にとっての一つの損失である。

一昔前に、多くの有為な青年たちが「オーム真理教」の山師教祖である松本智津夫の詐術に不幸にも惑わされ、彼らの貴重な人生を棒に振ったように、もし山本太郎氏が、まともな国家に育ち、まともな教育を受けてさえいれば、現在のようにトリックスターを演じることもなく、尊敬される立派な男として成長できたであろうに、ということである。惜しむべきことである。ここで池田信夫氏もまた「日本の伝統」を意図的に曲解している。

問題は、現代日本の国家社会体制そのものにあり、その現象の一つとしての教育にこそ根本問題があるのであって、もともと虐められっ子であった丸山眞男の自虐史観の創始者としての「日本の伝統」観でもって、山本太郎氏を断罪しても問題の根本的な解決にはならない。

 

 

 

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