今、思い起こすと、あの当時のホールはのんびりとしたものでした。
虚脱感をもよおす程、いい意味での癒しの場所でした。
100~200台規模のホールがほとんどで、学校教室のような油床に演歌の有線。
カウンターのおばさんが箱を持ってきたりと、なんともルーズな時間と空間。
いかにも賭場の風情を醸しながら、実際は現代のようにシステマチックにお金を吸い上げない良さというのがあったのでしょう。
なんたって、オバサマです。
今のように、若い子猫なんて一匹だっていません。
“綺麗な薔薇には棘がある”とは、よく言ったもの。
格好の良い店舗と便利な玉貸機。
美しい画像と迫力ある音響のパチンコ台。
そして極めつけは、可愛らしいコーヒーガール(これが言いたかったのですw)
その全てが快適な内に知らずお金を奪う装置にしか思えないのは私だけでしょうか?
失礼、話が飛びそうでした・・・。
ともかくも、田山幸憲氏がパチンコを謳歌した時代の初期なんて、例えば1000円札を両替しなくちゃならないほど装備も不完全。
そういった時代背景だったと覚えてください。
ここで少し、その当時の私の話をしたいと思います。
当時といっても、約30年前ぐらい。
田山氏がパチンコを始めたのが1966年ぐらいだから、まさかそこまでは遡りませんw
もうすでに電動ハンドルの時代でして、手打ち式はアレンジというビンゴで遊ばせる特殊な機種だけでした。
この話の冒頭あたりにも書きましたが、その頃の私は高校を卒業したばかりの浪人生。
親には内緒でパチンコ三昧の日々。
今でも思うのですが、本当にめちゃくちゃ楽しかった。
人生で本当に楽しい時期なんて、そうざらにはありません。
親のスネをかじり、若い時分の貴重な時間を潰してもなお、今となってはあの時代を得たことに感謝する程です。
なんたって、遊びながら稼いでいるんです。
遊ぶということは、毎日がドキドキしているわけです。
稼ぐということは、男の自負心をも刺激しているのです。
これ以上の高揚感なんてあるでしょうか?
次回へ