AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

頸動脈洞刺の意義 ver.1.3

2023-08-20 | 経穴の意味

1.頸動脈洞刺

1)洞刺(とうし)の開発 ※洞刺は「どうし」ではなく、「とうし」と読む。

1942年、中山(千葉大医学部教授)らは頸動脈球摘出術を施し、この手術が特発性壊疽、喘息、高血圧、狭心症等に著効あることを発表した。これをヒントに頚動脈洞の血管壁に針で刺激する方法を考案した。肺結核患者の訴える呼吸困難・極度の不整脈・高熱に対してこの技法を行ってみると卓効を得た。またある胆石疝痛患者の痛みに対して行うと即時に鎮静効果を得た、というエピソードが洞刺の始まりで、このことを契機として代田文誌と細野史郎(漢方専門医)が1948年に創案研究したもの。
頸動脈洞は、経穴でいう人迎穴がある部であることから、その血管壁刺針を、代田文誌は洞刺(頸動脈洞刺針の略)あるいは人迎洞刺と命名した。


  

2)洞刺の方法
①仰臥位にして、頸を過伸展させる肢位にする。喉頭隆起の高さで胸鎖乳突筋の内縁にある頸動脈の最大拍動部(人迎穴)を取穴。
②寸6~寸3の2番針程度の針で、拍動部からゆっくりと少しずつ直刺する。5分~1寸ほどの深度で頸動脈血管壁に針先を当てる。なお当たったか否かは、少し刺入しては術者の両手を針から離し、針の動きを見る。脈拍に一致した針柄の動きが観察できれば正解。そのまま7秒~数分間(病態により異なる)置針した後、抜針する。




2.洞刺の意義
代田文誌先生の記す適応症を個々に考察する。

1)圧受容体刺激による血圧降下作用

頸動脈洞には血圧の上昇を感知する圧受容体がある。血圧上昇すると頸動脈血管が拡張する。この反応を舌咽神経が捉え、延髄の血管運動中枢に信号を送る。すると血管運動中枢は迷走神経に信号を送り、血管拡張させ、血圧降下が起こるという仕組みになる。したがって洞刺は、高血圧時に血圧を下げる目的で行う適応が生まれる。しかしながら、この血圧降下は、正常血圧者では10~20㎜Hg程度(最高血圧150㎜Hgであれば時に50㎜Hg降下することもあるという)に過ぎず、反応は一過性である。洞刺が開発されたのは今から70年以上前の話であって、現代では効果的で安全で安価な降圧剤が広く普及しているので、応急処置は別として、高血圧の治療としての洞刺は適切な治療とはいえず、廃れてしまった。

なお血圧降下目的で行う洞刺の置針時間は左右とも7~10秒程度にするべきで、長時間の置針は人によっては血圧降下し過ぎる危険があるという。実際、洞刺を十分学習していない者が、洞刺の針に低周波通電10分ほどしたことがあり代田文彦先生を驚かせたが、実際には何の副作用もなかったということだ。


2)化学受容器刺激による気管支拡張作用

気管支喘息発作に洞刺を行えば、喘鳴が改善し呼吸が楽になると代田文誌は記し、実際にも有力な手段であることは確からしいが、この機序はよく分かっていない。滝島任ほか著:気管支喘息の鍼治療 気道抵抗連続側的による評価(日本医事新報 昭和54.12.29)によれば、「頸動脈洞には迷走神経からの線維を受け取っているので、迷走神経の鎮静化が治効を生むのであろう」と述べるに留まっている。

周知のように頸動脈洞部には、頸動脈洞とは別に頸動脈小体とよばれる直径1~2㎜の組織がある。これは血中酸素分圧の低下を感知する化学的受容器である。酸素分圧低下という信号は、舌咽神経により延髄の呼吸中枢に伝達される。呼吸中枢は、迷走神経興奮を弛めるよう命令が出され、これにより気管を広げるようになる。鍼で頸動脈洞を刺激すると舌咽神経が刺激されるが、これを中枢は頸動脈小体からの刺激だと誤認するので、呼吸中枢は血中酸素を増やすために、迷走神経に気管支拡張命令を送るのではないだろうか?

洞刺は気管支喘息発作時の鎮静に用いられるのだが、鍼灸治療院に来院することは喘息発作時には困難である。また現代の喘息治療は必要十分な量のステロイド剤吸入であって、発作に至る前に処置することになる。一方入院レベルの重度気管支喘息(肺性心)患者には、ほとんど洞刺の効果がないという事実がある。すなわち施術する機会は非常に限られるものになる。

3)舌咽神経痛の鎮痛

舌咽神経は、下根部~咽頭、外耳道、鼓膜を知覚支配しているので、洞刺によりこれらに鎮痛効果をもたらすことが知れる。代表疾患は扁桃炎。
速効しない場合には、人迎部に3㎜皮内針を皮下鍼的に下から上へ斜刺し固定する。おおむね24時間以内に扁桃炎症状は完全に治まる(渡辺実:扁桃炎・口内炎の簡易療法 医道の日本 昭58.8)という。

4)亜急性リウマチの鎮痛

代田文誌のいう「亜急性リウマチ」という言葉が、現在では何を意味するか不明であるが、慢性関節リウマチやリウマチ熱とは異なるようだ。
慢性関節リウマチ四肢痛に対する洞刺は、ほとんど鎮痛効果がない印象を受ける。

ただし私は過去28年の臨床中、興味深い症例を2回経験した。数週間来、四肢の多関節痛を訴えて苦しんではいるが、訴える関節部にはまるで圧痛を始めとする炎症所見がないケースであり、ともに1回の洞刺で症状消失したのだった。このことを代田文彦先生に報告すると、結合織炎ではないか?との一言だった。もっと詳細にお聴きすべきだったと後悔している。

慢性関節リウマチの疼痛や関節変形は、昔から医療における難題だった。数年間痛みをとればよいだけなら麻薬を使う手もあるが、本疾患は基本的には命にかかわる疾患ではないのでそうはいかない。かつて薬はできるだけ使わず様子をみて、改善しなければ消炎鎮痛剤、次いで抗リウマチ薬、悪化すれ強力な抗炎症薬であるステロイド薬を使った。「強い薬には強い副作用がある」との考えがあったためだが1990年頃からRAは発症後の最初の2年間で、骨破壊が進行することがわかり、薬物の使い方に変化した。 

身体の中でリウマチを悪化させるタンパク質あることは知られていて、そのタンパク質の作用と症状を抑えて関節の破壊を食い止めるリウマチ薬がいくつも開発され普及した。初期にはメトトレキサートなどの免疫抑制剤など強い薬を使い、それで効果不足であれば生物学的製剤のエンブレルやレミケードも併用して関節の変形や機能低下を防ぐようになった。
ある病院のデータでは、2000年頃の慢性関節リウマチの寛解率は8%だったが、2014年に50%に達した。 

※抗リウマチ薬:1990年代。代表はメトトレキサート(商品名リウマトレックス)で第一選択薬(免疫抑制剤)になる。関節リウマチを起こす免疫異常に作用し、病気の進行を抑える。痛みを直接抑えるのではなく、関節の軟骨や骨破壊を抑えることで、関節の痛みや腫脹が軽くなり、関節痛が改善される。 

生物学的製剤:2000年代。関節破壊に直接関わる物質(炎症性サイトカインTNFαなど)や細胞の活性を抑える。生物学的製剤は一般に高価。副作用は感染症に脆弱。レミケード(点滴注射)・エンブレル(皮下注射)・シンポニー(皮下注射)  

※生物学的製剤:バイオテクノロジーにより、生物がつくりだすタンパク質などから生成された(従来薬は、化学的に合成されたもの)。細胞から分泌される蛋白質の一つにサイトカインがる。これは他の細胞に情報を伝える働きをもつ物質だが、リウマチ患者ではサイトカインの働きが過剰になってリウマチが悪化する。生物学的製剤には、このサイトカインの作用を抑える薬やリンパ球の活性化を抑える薬がある。副作用は易感染。
最新薬はシンポニーで4週間に1度の皮下注射となるが、3割負担で1回4~7万円弱(2019年)かかる。

 

5)胃痙攣・胆石疝痛

胃痙攣は、現代でいう胆石疝痛に相当するとされる。胆石疝痛の痛みは、尿路結石と同じように迷走神経過剰興奮による中腔器官痙攣によるもので、体幹症状部に交感神経刺激目的の強刺激の針灸をすれば鎮痛するのが普通である。
洞刺激→舌咽神経→中枢→交感神経緊張作用という機序が作用するのであろう。

開業針灸にとって胆石疝痛はあまり縁のない症状だろうが、本症に緊急入院した患者に対し、側臥位にて魂門(肝兪外方1.5寸)に起立筋深層筋膜に向けて斜刺すると、数分後に鎮痛できた経験がある(数時間後に痛み再発)。ただし、このことを患者の担当医師に報告すると、ほとんど興味を示さなかったが。痛みをとるだけなら非ステロイド系消炎鎮痛剤を使えばよいことを知っていたからだろう。内臓痙攣痛に使うブスコパンではなく、ボルタレン等の消炎鎮痛剤が適応になることをもって、鍼灸が胆石疝痛にも効果あることを推定でき得る。

 
3.現在での洞刺の価値
 
現在でも頸動脈球摘出術は医科診療報酬点数表に載っているが、すでに過去の医療技術となっている。一方、洞刺を開発してすでに70年が経ているが、洞刺のことは針灸臨床の場でもほとんど話題にならなくなった。薬物療法の進歩により相対的に洞刺の価値は目減りしたのだろう。筆者が実際に洞刺を試みても、①②にあまり効いた印象をもっていない。咽喉痛に対しても速効するわけではない。③の胆石痛に対しては未追試(胃倉刺針の方が効果確実なため)。


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