現代針灸治療

針灸師と鍼灸ファンの医師に、現代医学的知見に基づいた鍼灸治療の方法を説明する。
(背景写真は、国立市「大学通り」です)

代田文誌らが集った<きさらぎ会>について ver.1.1

2014-04-15 | 人物像

長野県といえば、一昔前に多くの偉大な鍼灸師を輩出したことで有名である。長野県出身者に自分の田舎を聞くと、長野県といわず信州という。まあ、そうした郷土愛のたぐいがあるようだ。

長野県出身の鍼灸師といえば、その筆頭に数えられるのが代田文誌氏といってよいだろう。その代田氏や長野県出身の著名鍼灸師を中心とした同志の方々と、昭和41年から毎年2月に温泉旅館に泊まり、酒を飲みながら鍼灸を自由に語りあった。この集まりを<きさらぎ会>といった。

この会のメンバーは年によって異なるが、代田文誌の他に、倉島宗二、塩沢幸吉、木下晴都、清水千里、米山博久、森秀太郎、三木健次、芹沢勝助(以上、敬称略)など、かつての日本を代表した、そうそうたる顔ぶれであった。

「きさらぎ会」の概要
 その「きさらぎ会」の様子は、代田文誌先生の詠んだ歌で知ることができる。
  きさらぎの
  諏訪のほとりに集まりて
  鍼灸語りて 
  命がけなる
 

ところで上の短歌で詠まれた諏訪湖畔とは、どこなのだろうか。できることならその宿に泊まり、せめて「きさらぎ会」の雰囲気に浸りたいものだと思い調べてみた。医道の日本誌で、気賀林一氏(元医道の日本社編集長)の「きさらぎ会の記(昭和48年10月号)を実際に見ることができた。本稿は、第9回のきさらぎ会について説明している。

 
場所は信州上諏訪の旅館「ぬのはん」で、江戸時代から続く老舗旅館。「ぬのはん」という変わった名前は、元々は屋号を布屋とう呉服商を営んでいた藤原半助が、この地で温泉を掘り当てたことを契機として、旅館を創業したことにちなんだもの。かつてはわが国に歌壇にアララギ派が風靡していた頃、大いに歌を詠み時勢を論じあったというアララギ派の常宿ともなった。

 きさらぎ会一同が宿に着き、浴衣にくつろいだあと、階下の大広間で会談が始められた、という。座長は森秀太郎と塩沢幸吉が交代で務めた。話題は針灸に関すること様々だが、暗黙の規約として、①ここでしゃべったことは一切公表しないこと、②会員相互はあとで、あげつらいをしないこと、③たとえ意見が食い違っても、決して根に持たぬことなど。いわば自分の責任において放談大いによろし、という趣向だった。 
 
旅館「ぬのはん」は、名旅館として今でも営業している。中央本線上諏訪駅から徒歩8分ほどの、諏訪湖畔にある。

 


追記

きさらぎ会は、毎年<ぬのはん>で行っているように記したが、それは間違いであった。年により異なっていた。

塩沢幸吉氏の医道の日本誌投稿記事よれば、昭和40年第1回きさらぎ会は、長野県下高井郡山の内町の名門旅館「塵表閣」で、昭和41年第2回は同じ町内の「望山荘」でおこなわれた。第3回~第8回の開催地は不明。
※「塵表閣」「望山荘」ともに湯田中駅付近にある。湯田中駅は、長野電鉄長野線で45分の終着駅「湯田中」にある。

昭和49年第9回は前述したように、上諏訪駅近くの「ぬのはん」。昭和50年は開催されず、第10回昭和51年は、松本駅からタクシーで15分ほどの東山観光ホテルで行われた。それ以降は不明。この東山観光ホテルというのは、昭和天皇も泊まったことのある由緒あるホテルではあったが、今はなくなってしまった。 

 


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