こんなタイトルじゃ読む気がなくなるのは分かっていますけれど…
gooブログアプリ版では、ブログタイトルはちっちゃくしか表示されないから、まあいいでしょう。
全米の大学で、ガザ=パレスチナでの虐殺への抗議と、それに関連して…
大学とシオニスト団体(イスラエル国家の政治的バックボーン)との間の金銭的な癒着に抗議するデモ、集会が大規模に行われて…
500人を超える学生が既に逮捕され、退学処分になる人もたくさん出ています。
同時に、学生を暴力的に排除する警官隊に抗議して「学生に手を出さないで!」と訴える教師たちまで、暴行を受けて逮捕されています。
物凄く騒然とした状況で、大変なことになっているのに日本のマスコミは十分に報じず、オオタニサンの成績を主に報じています。
こちらのリンクの「X」のアドレスをクリックして、教授たちへの暴力の記事をご覧ください。
「ウィスコンシン大学マディソン校で、学生たちに手を出すなと言ったために、地面に押さえつけられて逮捕される教授」
— 日英メディア翻訳者✒️斎藤キリク (@kirikousaito) May 1, 2024
色々おかしい😵💫 https://t.co/BUS9BkyTfO
嗚呼、アメリカ。やがて崩れ落ちる砂上の楼閣。 https://t.co/MFpihmGJZq
— よしログ (@yoshilog) April 28, 2024
ふだんは学生たちから信任が厚く、慕われている、良い先生たちなのでしょう。
しかもこんなに華奢な女性教師にまで、屈強な警官がここまでの暴力を加えて逮捕しなければならない理由が、どこにあるのか。
年配の女性教師に格闘技の技をかけて倒し、二人がかりで、息ができないほど(とても危険です)地面に押し付けるのは正当なのか。
アメリカの警察、アフリカ系市民への暴行で、無抵抗の相手を殺してしまって…
「Black Life is Matter」運動の引き金にもなったりしていますが、ほんとにおかしい。
テレビニュースでは、ニューヨークのコロンビア大学(友達のFが奉職していたところです)の騒乱ばかり報じていますが…
これは本当に、全米のほとんどすべての大学に拡がっているものですから。
アメリカ、狂い切っている国だけれど、こういう学生や教授がまだたくさんいるという分だけ、私たちよりはましなのだと思います。
日本の学生や教員は、いまの、自分の、損得勘定でしか動かないですから。正義なんてない。
これらのことについて、乃木坂46を「卒業」した、元アイドルのタレントさんがニュースショーに出て来て…
(慶応大卒の人みたいです)
「せっかく入った大学を退学になるかもしれないのに…」
「デモをすることに、何か意味があるんでしょうか」と言っていたようです。
別に、この人を取り立てて責めるつもりはないです。これが多くの「普通の日本人」の感覚、感想なのでしょうから。
たしかに、今現在目の前の、自分個人の利害だけを考えれば、とても割に合わないことです。
「今だけ」「自分だけ」「損得だけ」を考えるのが賢い生き方、というのは、もはや我々の共通認識になってしまっていますから。
社会の構成員の一人として、他の人間に共感する。助け合う。連帯して生きる。
そういう発想はないんですよ。
しっかりした「個」が確立されていないのに、ひとりひとりが孤立している。他人と関わり合わない。
西洋流の「個人主義」とはまた全然違う、自己中心的な「孤立主義」なんですよね。
どこかで誰かが無体な理由で、無残に、大量に殺されて行っている。
そして、それに間接的にでも、自分の所属する集団・団体が協力している、手を貸しているという状況にあっては…
口をつぐんで、所属集団には文句を言わない。自分個人の利害を守ることが利口で正しいという考え方。
個人的には、尊厳ある人間として、恥ずかしいことだと思うのですが。
プライド、誇りなんていう飯の種にもならず、役に立たない物よりは、自分の具体的な利害が大だと。
でも、本当はそうではない。
何事も、今、その場所で起きている現象は、別の場所で先立って起きている、別の物事が原因としてあるわけです。
世界は広く、すべての社会で起きることは、因果の連鎖で繋がっているのですから。
今現在、とりあえずの、自分の利害を守るために、目の前で(あるいは遠いどこかで)起きている不正を見過ごすということは…
それを生み出した原因を、放置することになる。
その原因にも、それが起きて来た原因があって……という具合に、物事は果てしない因果の連鎖で成り立っているわけです。
そして、この後も、因果の連鎖は未来に向けてつながって行く。
今日、自分が見過ごした不正義や理不尽が、世界を、社会をめぐり巡って、いつか自分のもとに「お鉢が回って来る」んですよ。
どんなに運が良くて、早死にして、お鉢が回って来なくても、自分の子や孫には回ってくる。
いつの日か、必ず。
それが因果律の掟なのですから。
そのときになって「こんな理不尽が許されるのか!みんな見てないで誰か助けて!」と言っても…
助けてもらえる資格が、その人にありますかね。
いや、資格云々の話ではないけれど、誰も他人の不幸や災難に関心を持たない、自分には関係ない、と見捨てる社会にしてしまえば…
自分も見捨てられるのは当然です。
「私」は、社会を外側から見ている「お客さん」じゃないんですから。
見えていないだけで、実は社会に起きるすべての現象の渦中にいる「当事者」なんですから。
でも、みんな「お客さん」気分で、当事者意識がないから、なんでも画面の向こうの「他人事」だと勘違いしているから…
だからとりあえず「今の」「自分個人の」「損得」だけを考えて、社会のことに関わるのは「損だ」としか考えられないんです。
時間的な前後の関係、空間的な広がり、因果律によって引き起こされるものに目が行かない。視野狭窄で、目の前のこと以外認知できない。
そうやって勘違いしながら、ぼやぼやしていると、いつかきっとどこかで、崖っぷちに追い込まれます。
で、そのときになって気が付く…ならばまだましで、どうかすると崖から転落しながら…
「なんでこんなことになった?」と思うのでしょう。
視野が狭く、利己的で、愚かだった自分のことは棚に上げて「誰のせいでこんなことに?」と。
繰り返しますが、アメリカは狂っています。いろいろとヤバい。
でもヤバさに気づく人たちが一定数いて、逃れようともがいているだけ、まだましです。
でも、我々の国と、その国民は、実はもっとやばい。
ヤバいことに気が付かないように、目隠しをされて、どこかに連れて行かれようとしている。
ほんとですよ。とんでもないところに向かっているという「証」が、目隠しをはずしたらいろいろ見える。
目隠しじゃなくて、バーチャルリアリティーだけを見る、特殊メガネをつけられているのかも。
VRメガネで、きれいなお花や、かわいい動物や、美味しそうな食べ物だけ見ながら…
崖から落ちてラクに死ねるのならそれでいいよ、という人もそれなりにいるのかもしれないですが…
それでは、あまりに後の世代が、我々の子や孫世代がかわいそう。
無責任で、自己中すぎる。
外国人がやっているようなデモだのゼネストだの、全部愚かだ、無駄だというのなら、何か他に具体的な代案はあるのでしょうか?
何もせずともすべてが上手く行く、誰かがどこかでなんとかしてくれるさ、と…
誰かが理不尽に倒されて、暴行されて、殺されている世の中で、今、たまたま自分がラッキーにも生きていられるからということで…
「明るく生きてれば、ニコニコしてさえいれば、悪いことなんておきないよねっ!」(お目目キラキラ)なんてのが…
通用すると、本気で思う人がもしいたら、私は軽蔑しますよ。